7月15日は、「うらかわ夏いちごの日」だそうです。「うらかわ」って、どこ?「夏いちご」って?調べてみましたら、小さなイチゴに、大きな物語がありました。

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「うらかわ菅農園」の4代目・菅正輝さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

「うらかわ夏いちごの日」。この「うらかわ」とは、北海道の日高地方にある、浦河町のことです。南は太平洋に面し、北は雄大な日高山脈が広がり、夏は涼しく、冬は雪が少ないことから「北海道の湘南」とも呼ばれています。もともとは農業が盛んで、お米や野菜を生産していましたが、政府の減反政策が始まった頃、多くの農家が、サラブレッドの生産牧場へと切り替えていきました。やがて浦河町は「競走馬のまち」として全国に知られるようになりました。

北海道で栽培される夏いちご インストラクターから苺農家に転身した男性の物語
雨による傷みを防ぐため、ビニールハウスで栽培

雨による傷みを防ぐため、ビニールハウスで栽培

しかし、バブル崩壊によって景気が後退すると、小規模な家族経営の牧場は、徐々に減っていってしまうんですね。そこで浦河町は「新たな町の特産品を育てよう」と注目したのが、「夏いちご」でした。

イチゴといえば、冬から春までがシーズンですが、イチゴが不足する夏場に「夏いちご」を生産・出荷している浦河町は、日本一の生産量を誇る一大産地となっています。品種は「すずあかね」や「すずりっか」といって、実が硬く、日持ちもよく、いい香りがするので、特にケーキに最適なんです。この「夏いちご」を、多くの人に知ってもらいたいと、浦河町は7月15日を「な(7)つ」「いち(1)」「ご(5)」の語呂合わせから「うらかわ夏いちごの日」と制定しました。

浦河町で「夏いちご」を生産している、老舗のイチゴ農家が、『うらかわ菅農園』です。

明治時代、新潟から北海道へ渡ってきた開拓団がルーツです。2代目が浦河で本格的に農業を始め、戦後、3代目が引き継ぎます。「菅農園」の3代目を中心に、わずか4軒の農家で「夏いちご」の栽培に乗り出しました。

現在「菅農園」の代表は4代目、菅正輝さん、48歳。子どもの頃は「農業は絶対に継がない!」と決めていたそうです。

「父は朝から晩まで一年中、家族のために忙しく働いていましたね。だから子どもの頃、キャッチボールなど遊んでもらった記憶が全くないんです。両親からは農家は継がなくていい。お前はスポーツが好きだから、教員免許を取って、体育教師になればいいと勧められていましたね」

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「すずりっか」と「すずあかね」の2品種の夏いちごを生産

「すずりっか」と「すずあかね」の2品種の夏いちごを生産

中学卒業後、札幌の高校を経て、東京の日本体育大学へ進学。教員免許を取ったものの、当時は教師になるのは狭き門で、江別市の職員として、体育館のインストラクターになりました。その後、事業を立ち上げて独立した30歳のとき、父親が交通事故に遭ったと連絡が入り、久しぶりに浦河に戻ると「え!」と驚いたことがありました。

「浦河で農業をやりたいという新規就農者が、父の指導のもとで働いていたんです。

それも自分と同じ若い世代が!話を聞いたら、横浜から移住してきたというんですよ。大都会の横浜から、人口が1万人ほどの浦河へ、イチゴをつくるために来たのか……と驚きましたね」

その時から家業への見方がガラリと変わったと正輝さんは言います。

「近所に野菜をおすそわけすると喜んでもらえるんですが、イチゴだと反応が違うんです。『わぁ、いいんですか!イチゴ、もらったよ!』と、家族全員で大喜びしてもらえる。イチゴって、こんなに人を幸せにする力があるんだな、と実感しました」

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一年を通して「冬いちご」と「夏いちご」を生産

一年を通して「冬いちご」と「夏いちご」を生産

イチゴの魅力、可能性を知った正輝さんは、4代目として「菅農園」を継ぐ決意をしました。その後、仲間のイチゴ農家と力を合わせ、浦河町は、夏いちごの生産量日本一を達成しました。いまではイチゴづくり一筋の正輝さん。次の目標を伺うと、

「今は、やる気さえあれば誰でも農業ができる時代です。浦河の子どもたちが将来なりたい職業に『いちご農家』を挙げてくれるような、子どもたちが憧れる、地域に根差した農業にしていきたいですね」

今朝も4時に起きた菅正輝さん。日の出とともに、夏いちごの収穫が始まります。

(写真提供:うらかわ菅農園)

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