(本紙主幹・奥田芳恵)
●海外の現場で任された大仕事 すぐに帰っちゃう 相棒から受けた衝撃
奥田 座右の銘が「相互尊重」だとか。ちょっと変わった言葉だと思いますが?
蓑輪 2007年に、いきなり海外マーケティングを任されたんです。ある日、海外出張で米国のスタッフと新製品の発表会でデモをやることになりました。多くの日本人は事前にすごく準備するじゃないですか。ところが一緒に担当したその彼は、しないんですよ。
奥田 まさにカルチャーショックですね。目の前が真っ暗になります。
蓑輪 それで翌日の本番。案の定、失敗するんです。すごくショックでした。ところが彼は、失敗したところを笑いにかえて、やり直して結局成功させたんです。それを見たときに思いました。相手の考えを理解せずに、自分のやり方だけを押し付けても、仕事は前に進まないんだと。痛烈に体感しました。
奥田 そこから相互尊重、となるわけですか。
蓑輪 はい。異文化の洗礼を受けて、一気に視野が広がりました。それ以降、今に至るまで、何かうまくいかないことがあれば、相互尊重に立ち返るようにしています。そうすれば、必ずなにがしかの糸口が見つかるんですよ。
奥田 最初からマーケティング畑だったんですか。
蓑輪 もともとエンジニアとして入社したんです。DTMのパッケージをつくったり、プログラムを書いたりしていました。しばらくすると「自分がつくった製品のプロモーションをしてみないか」と、国内マーケティングの部署に異動になりました。ずっとエンジニアとしてやっていく気でいましたから、正直「外された」と思いましたね。一応、2年間だけの期限付き「往復切符」だったので、それであればチャレンジしてみようと応じました。
奥田 技術職から営業職とはかなり大胆な人事じゃありませんか。
蓑輪 ローランド創業の地は大阪です。だから営業スタッフは関西弁の人ばかり。技術が分かって標準語が喋れるプレゼンターがほしかったみたいですね。学生の頃、アップルでバイトしていたことがあって、よくDTM機器の説明をしていました。エンジニアの時代も時々、営業応援に行ったりしていたので、目をつけられたんでしょう。
奥田 エンジニアで、ちゃんと喋れて説明もうまいじゃないか、となったんですね。
蓑輪 開発と営業でスピード感はずいぶん違って苦労しましたが、難しいものでも簡単に分かり易く説明するのは得意でした。技術者の頃よりも会社に貢献できているとの実感がありました。結局、2年経って帰りの切符は返すことにしました。当時の役員に、このままやらせてくれと頼み込んだんです。その時のことは、場所も時間も内容も、今でもはっきりと覚えています。
奥田 とても大きなご決断だったんですね。
●「俺も付き合うから」と言われ 大枚はたいて通った英会話教室
蓑輪 ずっと国内プロモーション業務を楽しくやって、充実した日々を送っていました。5年ほどすると、今度は海外マーケティングだと。
奥田 それで最初のお話につながるんですね。
蓑輪 ローランドに入って今年で31年目になりますが、一番しんどい時期でした。国内マーケティングに移ったときは、担当するのは自分がつくった製品ですから熟知しています。バイト経験も生かせたし、言葉はもちろん日本語。ところが、今度の担当製品はシンセサイザーと電子ドラム。これまで関わったこともなく、製品知識はおぼつかない。その上、英語もしゃべれない。動きを封じられた感じで、生きた心地がしませんでした。
奥田 人事が無茶、というか冒険する社風なんですね。
蓑輪 当時は、熱湯につけるとか、ハードシップ経験とか言っていました。大きなギャップを乗り越えさせることで成長を促す、というチャレンジだったんだと思います。
奥田 英語はどうやって勉強されたんですか。
蓑輪 開発から国内マーケティングに異動させた役員が「海外マーケになったんだって?」と寄ってきて「英会話教室の申込書を2通もらってこい。俺も一緒に行くから」と言うんです。私は自腹で何十万円も払って通うことになるんですが、結局その役員を英会話教室で見かけることはありませんでした。
奥田 それはちょっとひどくないですか?
蓑輪 今思えば「当然そうだよな」です。うまいな、やられたなと。ただ、教室に通うだけでは全然うまくなりませんでした。結局、なんとかなるまで3年かかりました。当時仕事上の連絡手段は電話とファクスです。「Zoom」のようなオンラインツールはありません。
奥田 小さい頃から、何か楽器をやられていたんですか。
蓑輪 小学生の妹が電子オルガンをやりたいと言うので、両親が買ってあげたんです。ところが3カ月で止めちゃったんですね。もったいないのと、親がかわいそうに思えたこともあって、長男として私が引き継いだんです。そうしたら、はまってしまって。他社さんの電子オルガンだったわけですけど(笑)。
奥田 最初から電子楽器だったんですね。何か縁を感じます。電子楽器の魅力って、どこにあるんでしょう。
蓑輪 全てを自分でコントロールできるところですね。ドラムでもベースでもキーボードでも。中学生の頃に、パソコンを買ってもらって、音楽をつくることに熱中していました。ちょうどYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が「散開」して、小室哲哉氏がTMNETWORKを結成したあたりです。高価な機材はとても買えませんでしたが、手持ちの機材を使って、見よう見まねで彼らの音楽を再現して遊んでいました。それがある種の原体験になりました。コンピューターやシンセサイザーの技術革新が激しかった頃ですね。(つづく)
●モニターの落選を知らせる 手紙とカタログとステッカー
バンドでキーボードを弾いていた高3の蓑輪青年。ある日、雑誌で見つけた電子ピアノのモニター募集に応募した。後日、落選を知らせる手紙が届く。そこには2500通を超える応募があったと記されていた。しかし宛名は手書き。なんて丁寧な会社なんだろうと思った。それがローランドだった。同封されていた「FP-8」のカタログとステッカーと一緒に今でも大事に保管している。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第396回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。











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