東大教授時代に反統一の弁護士集団のセミナーで「統一教会の教えを伝えること自体が違法」と発言しながら、そのことを黙って、統一教会に対する解散命令を担当した沖野眞已最高裁判事の問題を前々回、前回と取りあげたが、今回はそのセミナーの講演での沖野氏の民法学者としての基本姿勢を問題にしたい。献金を、悪質な消費者契約の一種として捉えようとする発想だ。
問題のセミナーのタイトルは第34回日本弁護士連合会夏期消費者セミナー「霊感商法等の実態を知り、救済と予防を考える」で、沖野氏はそこに消費者法の専門家として招かれているわけだが、単に専門家として専門的知識を提供しただけではない。沖野氏は、かつての“霊感商法”だけでなく、解散命令裁判で争点になっている“高額献金”も、消費者契約の一種として扱うべきという立場を取っている。
「また霊感商法は、とりわけ献金のような場合がそうなのですが、長期にわたり信じているということも稀ではなく、それが明らかになるまでに、契約締結から5年という取消しの期間が過ぎてしまうことがままあります」
「霊感商法」については若干の説明が必要なので、少し後で触れるが、ここではまず沖野氏が、統一教会での「献金」を(悪質な消費者)契約だと考え、それを取り締まるにはどうするか、という視点で講演していることに注目したい。解散命令裁判で実際に判断の材料にされたのは、何十年も前の霊感商法ではなく、“高額献金”である。沖野判事は、その“献金”を本質的には、悪質な消費者契約商法と捉えていたのである。
この箇所の後でも、統一教会問題が浮上した後で制定された「法人不当寄附勧誘防止法」について、この法律で寄附を勧誘する時の配慮義務が規定されたことを、「消費者契約法の展開を見たとき、非常に画期的なことに思われます」と述べている――「寄附」の在り方を規制する法律を、消費者契約法の先進的形態のように捉えるのは、民法学者としてかなり雑である。
沖野氏の問題の講演があったのは二〇二四年七月だが、その二年前、安倍元首相殺害事件のわずか一か月後の二〇二二年八月に、河野太郎消費者担当相(当時)の下で設置された「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」が、統一教会を社会問題として追及すべきという方針を打ち出している。全国弁連の紀藤正樹弁護士、山尾志桜里元衆議院議員(元検事)、統一教会にマインド・コントロール(MC)技術があると主張する心理学者の西田公昭氏、日弁連副会長などが参加したこの検討会では、「献金」を、霊感商法の一種と捉える見方が示されている。
沖野氏や、東京地裁の鈴木謙也判事、高裁の三木素子判事等はこの路線の影響を受けていると思われる。“悪質な消費者契約”だという前提に立てば、全ての統一教会信者の献金が、何らかのMCによる騙しの所産に見えてくる。
ここで論じたいのは、信者には信教の自由があるから消費者契約扱いすべきでない、という正論ではない。信者の献金を消費者契約と同じレベルで扱おうとする沖野判事や消費者庁の発想は、信教の自由の問題を抜きにしても、実体面からおかしいということだ。消費者契約は基本、その場限りのものだ。訪問等で多少時間がかかるかもしれないが、売買契約が結ばれるのは比較的短期間だ。詐欺であれば、相手が気付かない内にさっと終わらせ、その後は二度と接触しようとしないはずだ。
それに対して、献金は入信というプロセスを経て、信仰生活の中で長期にわたって行われるものだ。教義や礼拝を聴いたり、教団の行事に参加したり、他の信者と交流したり、といった様々な活動を続ける中で、「献金」する気になるのである。「献金」させるのが目的で信者を増やしているのだとしても、値段の決まった特定の商品を買わせるために効率的に錯覚させる悪徳商法とは、全くやり方が違う。そもそも、信者になったからといって、高額献金する保証はない。実際、統一教会にはたまに、教会に通ってくるだけで、ほとんど献金しない、悪徳商法だとすると極めてコスパが悪く、むしろマイナスになっている信者が少なくない――そんな信者はどこの宗教にもいるだろうが。
東京高裁の決定で三木素子判事は、「献金」を、「地獄行きを免れるための商品」のように見せるべく、「先祖解怨」に言及しているが、額の面でも信者の受け止め方の面から見ても、全てが献金を商品と見なす証拠にはなり得ない――この点は、BEST T!MESに既に寄稿した「統一教会に解散を命じた東京高裁はまさに〝異端審問〟だった。
MCによって信仰させ続けているという全国弁連等の言い分に沿って考えるとしても、売り場の雰囲気とか販売の口先でその気にさせる悪徳商法と、何年も教会に通い、他の信者と関係を築きながら、自分のタイミングで献金するのでは全く状況が異なる。MCによるのだとしても、短期的に錯覚させるのと、信者だという自覚を何年にもわたって持たせ続けるのでは全く違う。そもそもそんなに長期にわたってMCで支配し続けることが可能なのか疑問だし、誰か定期的にMCのかかり具合をチェックし、調整する担当者がいるのだろうか? 悪徳商法と言うからには、何年にもわたって信仰を持たせて、いつどれくらい献金させるのか管理している者がいるはずだが、そういう人物を特定できるのか?
全く違う状況でのお金のやりとりを、同じ範疇で考えようとするから、そういう疑問がいろいろ生じて来る。そういうことを勘案して、本当に同じ範疇に入れていいのか考えるのが民法学者だろ。沖野氏は安易すぎる。
なお、「霊感商法」については、私がいた当時、かなり悪質な販売をしている人もいるようだと教団内で噂になっていたこともあるので、悪徳商法と言われてしょうがないケースはあるのではないかと思う。ただ一般論として、壺とか多宝塔はすぐに売れるものではなく、一定の信頼関係を築いてから買ってもらうことが多かったはずである。既に信者になった人、教団のことをよく知っていて信者になろうかどうか迷っている人、身内が信者になっていてそれをネガティヴに受けとめていない人などが、顧客になることもあり、一概に、正体を隠した悪質な消費者契約とは言えない。個別に検証する必要がある。長期にわたる関係の中での売買であれば、簡単に騙した/騙されたと決めることはできない。そんなのは、法律家の常識のはずだ。
統一教会の現役信者には不本意な譬えだろうが、芸能人、小説家、起業家になるという夢を語り、結果的に、パートナーや恋人に貢がせる奴がいる。恋人と別れた後で、私は詐欺に遭っていましたと訴えることは一般的に可能だろうか? 恋人だった時は一緒に夢を追いかけていたのに、別れて嫌になったからといって、私はMCで恋人にさせられていました、詐欺です、と言い出すのはまともだろうか?
こういうことを言うと、お前は恋愛・結婚詐欺とかデート商法を知らないのか、と言い出す者がいるだろう。沖野氏もそう考えたのかもしれない。実際、講演の中で「デート商法」に言及している。
端的に言って、そういう発想は安易だ。恋愛詐欺や結婚詐欺、デート商法は、奪い取るものをはっきり定めて、短期的に恋愛関係を装う犯罪あるいは悪質商法である。ある程度長期間にわたる場合もあるだろうが、騙しのゴールは決まっているはずだ。
恋人になってから相手の夢を知り、不定期的に必要に応じて支援することまで、騙しの範疇に入れるのであれば、ほぼ全ての恋愛には、悪質商法の疑いがあり、恋人のための“投資”は、後になって訴えられるリスクがあるということになる。統一教会信者として喜んでやった献金について、信者をやめた後で、「あれは最初から騙しだった。私はMCされて、献金させられた被害者だ」と主張することが妥当だとすれば、同じことが、恋人との関係でも言えるだろう。反統一運動の人たちは、よく「貢がされる」という言葉を使うが、これは明らかに、恋人関係を念頭に置いた言い方だ。
こうした“被害者”の言い分が正当だとすれば、結婚や友人関係でも、関係を解消した後で、“貢いだ”分を被害として請求できるだろう。
私の信者だった時の実感からすると、統一教会信者の多くは、教祖がやっている、新聞社設立や開発援助などの世界的事業に魅せられ、それに貢献しているつもりで、ある種の推し活感覚で、献金している。そうした推し活感覚の献金が不正なら、推し活全般が怪しくなってくる。何千万円も他人の夢にかけて破産するのは、宗教だろうと趣味だろうと、病的だ、治療してやるべきだ、と主張する人がいるかもしれない。しかし、誰が治療を受けさせるべき病だと判定するのか?
「そういうひどい混乱は起こらない。統一教会だけの話だ」と言う人は少なくなかろう。しかし、統一教会の献金だけ消費者契約扱いするのは、法の下の平等という原則に反しているし、一度、「高額の推し活は違法」という雑な判断を最高裁が追認すれば、それが先例となり、将来何が起こるか分からない。
沖野判事や三木判事は、信者に対する悪意からではなく、彼らのためを思ってやっているのかもしれない。「あなたたちは、詐欺に遭っていますよ。
しかし、それはかなり粗雑なパターナリズム(paternalism)だ。本当にそれが信者たちのためになると確信したうえでの判断だろうか? 現に信者たちは解散によって、礼拝や祈祷、集会の場所を失っただけでなく、葬式さえ行えない。清算が終わっても、残った資産を返してもらえそうにないので、新たに献金してゼロから再建しないといけない。かえって献金額が増える。教会建設のために自分の土地・建物を寄進したのに、それが信仰と何の関係もない清算人に奪われ、嘆いている人たちもいる。そうした「被害者」が出ることを考えたうえでの、「本人たちのため」だろうか?
人の心の中は本当の所分からない。どういう「幸福」観に基づいて、献金したり、推し活したり、グッズを買っているのか、他人は理解しきれない。だからこそ、他人の心の中、関係性を勝手に想像して、粗雑なパターナリズム的な介入をするのは控えるべきだ。粗雑な干渉でかえって不幸な人を生み出さないよう、注意を促すのが法律家・法学者の役割のはずだ。沖野氏や三木氏は何を学んだのか?
文:仲正昌樹
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