「S&P500を買っておけば安心」。新NISAの普及とともに、そんな言葉を耳にする機会が増えました。
しかし私たちは、本当に米国株の成長性だけを理由にS&P500を選んでいるのでしょうか。

本記事では『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 教養としての金融市場』(鹿子木健/講談社+α新書)から抜粋し、投資家が無意識に信じている「前提」について考えます。
○S&P500を選んでいるのは誰か

近年、「S&P500さえ買っておけばよい」という主張が、YouTubeなどを通じて広く流布しています。長期で見れば右肩上がり。分散が効いている。個別株を選ばなくていい。そうした説明は、どれもわかりやすく、反論しにくいものです。

では、日本人投資家は本当に、「米国株のほうが合理的だから」という理由だけで、この選択をしているのでしょうか。

単に日本株より上がってきたから。成績が良かったから。もちろん、それも一因ではあります。しかし、それだけでは、この言葉がここまで疑われずに広がっている理由を説明しきれません。


S&P500は、単なる株価指数ではありません。それは、国家・通貨・市場が同じ方向を向いているという前提の上に成り立っています。

危機のたびに、国家が市場を支え、通貨を守り、資本の流れを止めない。その積み重ねによって形成された、「最終的には守られる場所」という感覚。多くの人は、指数そのものよりも、この感覚を引き受けています。

言い換えれば、日本人がS&P500を買っているのは、米国企業の成長力というよりも、米国という枠組みへの信頼を買っている側面が大きい。

この選択は、必ずしも誤りではありません。問題は、それが「選択」であるという自覚が、どこまであるかです。

一方で、日本市場に対しては、別の前提が積み重なってきました。長く続いたデフレ。
政策と成長の連動の弱さ。国家が市場を支える主体として輪郭を持てなかった期間。
その結果として、「日本という単位で未来を描きにくい」という感覚が、社会の底流に広がっていきました。

さらに厄介なのは、環境が変わったあとも、その前提だけが残り続けている点です。すでに世界はインフレの局面に入り、価格も賃金も、資源も通貨も、明らかに別の論理で動き始めている。それにもかかわらず、多くの人の感覚は、なお「デフレの世界」の延長線上にとどまっています。インフレを一時的な異常として捉え、元に戻ることを前提に考える。価格が上がることを、構造変化ではなく、過渡的な混乱として理解しようとする。

その結果、現実に起きている変化と、人々がそれを理解しているつもりの説明とのあいだに、微妙なズレが生まれます。このズレは、数字には表れません。

「いま市場で動いている人たちは、世界の前提をまだ切り替えられていないのだろうか」
「その前提のまま取引されている市場を、どこまで信用してよいのだろうか」。

こうした疑念は、声高に主張されることはありません。ただ、資金の向きや、時間の取り方として、静かに現れてきます。

S&P500を選ぶという行為は、米国を選んでいると同時に、日本を相対的に選ばなくなった結果でもある。


この構造の中で、「S&P500を買っておけばよい」という言葉は、非常に強力な装置として機能します。単純で、再現可能で、誰も責任を取らなくていい。失敗しても、「長期だった」「途中だった」という言い訳が用意されている。それは、投資の判断というよりも、思考を止めるための言葉に近い。

本書が問いかけたいのは、S&P500が正しいか、間違っているか、ということではありません。自分はどの前提を信じ、どの世界観を引き受けているのか。そこに、どれだけ意識的でいられるか、です。

市場に「入口」はありません。指数であっても例外ではない。どの資産を選ぶかより前に、どの世界観で市場を見ているのかが、すでに試されています。

○『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 教養としての金融市場』(鹿子木健/講談社+α新書)

一日10兆ドル以上と、日々天文学的な数字の取引がされている金融市場。金融市場を知ることは、世界の仕組みを知ることだ!本書を読んでも、これから有望な金融商品を知ることはできないが、もっと大切な「世界基準のものの見方」を知ることができる。
金融市場はある意図をもってつくられ、そして歴史上、数多くの大危機を乗り越えながらさらなる拡大を続けてきた。危機の度に多くの者が市場から退場させられたが、必ず勝ち残ってきた者たちもいる。勝ち残ってきた者たちとはどのような者だったのか。
じつは彼らにはある共通の思考法があった。
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