急転直下の逮捕劇だった──。


 神戸市長田区の路上で2017年、神戸山口組から離脱した「任侠山口組」(現・絆会)の組員が射殺された事件。

兵庫県警暴力団対策課は23日、9年間、逃亡を続けていたヒットマンの菱川龍己容疑者(50)を殺人、銃刀法違反の疑いで逮捕した。


 6月上旬、関係先より情報提供を受けた山口県警から、「菱川に似た人物がいる」と兵庫県警に連絡があった。23日早朝、捜査員が山口県下松市の集合住宅に踏み込み、部屋で1人で寝ていた菱川容疑者の身柄を確保した。潜伏先のハイツは他人名義で借りられていた。


 事件は17年9月12日朝発生した。神戸山口組系4代目山健組傘下「一勢会」幹部だった菱川容疑者は、任侠山口組の織田絆誠代表(59)が車3台で自宅を出た際、運転するセダンを先頭車両のワゴン車に衝突させた。菱川容疑者は後続車から降りてきた織田代表のボディーガード、楠本勇浩さん(当時44)ともみ合いになり、楠本さんの頭などに数発の弾丸を浴びせ、殺害した。


 犯行後、菱川容疑者はそばに止めていたバイクに乗って逃走。現場から1キロ東の路上で知人女性が運転する車に乗り換え、そのまま行方が分からなくなった。付近の防犯カメラには、もう1人、現場から立ち去る男の姿が写っていた。県警は菱川容疑者を全国に指名手配し、行方を追っていた。


 菱川容疑者は、もともと神戸山口組の井上邦雄組長(77)の「付き人」をしていた。

井上組長は事件当時、神戸山口組の中核組織「4代目山健組」の組長を兼務し、山健組ナンバー2の若頭は、現6代目山口組「5代目山健組」の中田浩司組長(67)だった。


■逃亡中に組織は山口組に復帰


 菱川容疑者の親分だった中田組長は事件の翌18年、井上組長の後を継ぎ、山健組組長に就任したが、組織の運営を巡って井上組長と激しく対立。中田組長は神戸山口組から除籍処分を下され、21年、山健組の組員を率いて古巣の6代目山口組に復帰した。


「事件後、神戸山口組側は『菱川と連絡がつかなくなった』『組を去った』と説明していたが、菱川も組の方針に従い、一緒に6代目山口組に籍を移したとみている。これまで6人が関与していたことが判明しているが、住まいや生活面など、山口組から逃走資金を援助してもらっていたのではないか」(捜査事情通)


 神戸山口組は6代目山口組との分裂直後こそ約6100人の組員がいたが、25年末には約280人まで激減。同約6300人の6代目山口組との勢力差は歴然で、弱体化が著しい。


 暴力団に詳しいノンフィクション作家の溝口敦氏はこう見る。


「事件当時、付近の防犯カメラに自動小銃を抱え、織田の車の周りをウロウロする男の姿が写っていた。その体つきや身のこなしから、中田その人ではないかと疑われた。その頃は神戸山口組にも豊富な資金はあったはずだが、中田は山健組が山口組に復帰後も組の指示に従った子分の面倒を見ないといけないと思い、支援を続けた可能性は十分考えられます」


 この9年間、親分と子分の間で、どんなメッセージが交わされていたのだろうか。


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