【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】#24


 作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。


  ◇  ◇  ◇


増田「欽ちゃんと二郎さんの間には一度もトラブルなしと」


萩本「なし。『次、ネタ何やんの?』って二郎さんが聞く。俺が『マラソン。コーチと選手。以上』『はい、わかったよ』って、それだけ。それ逸脱したこと一回もないです。テレビもね。ちょっと打ち合わせしたいんですが、ってプロデューサーが言うじゃない。そしたら、二郎さんは『僕は欽ちゃんの邪魔しない。もう欽ちゃんに任してるから、私は外に遊びに行きます。それじゃあ欽ちゃんよろしく』って出て行く。プロデューサーが私に『いいんですか?』って驚いて聞くけど、『ええ。

そういう役目ですから。お互いに気分のいいやり方でやってるだけで、私はいろいろと考えんのが嫌じゃないすから』って」


増田「そういう意味ではもう、結成されるべきというか、出会うべき人に出会った。実は最初は嫌だったけども、磁石のように反発したけども、パズルがハマるようにバチッとハマったんですね」


萩本「うん。そうすると二郎さんがもうほんと頼りになった。なんたって、何にも一切、文句も愚痴もひとつもなし。お願いもなし。要求ゼロ」


増田「すべてにおいて」


萩本「100パーセント」


増田「本当に今見ても全く古びてないコントで、素晴らしいですね。2人しかできない。二郎さん以外の人と組んだらあれはできないわけですもんね」


萩本「できないできない。畳み込むような、それはもう言葉じゃないから。ほとんど動きですから」


増田「そういうお互いの信頼感ができた上で、ああいうコント55号の世界を作り上げたわけですけども、プライベートでは二郎さんとはほとんどお付き合いがなかったというのは…」


萩本「あ、それは私が二郎さんに言ったんです。よくコンビでケンカをするっていうのがあるけど、あれは親しくなりすぎたってこと。

だから、私たちは親しくならないよって」


増田「へえ。なるほど。そういう考えもあるわけですね」


萩本「うん。一緒に遊ばない、一緒にご飯食べない、一緒に夢を語らない。そうすれば、ずっと相手が何者だかわかんないんでしょ。何者だかわかんないっていうことが、コンビが長くうまく続く秘訣じゃないのって二郎さんに言った。『うん、わかった』って。だから、2人では一切話もしてないし、夢を語ってない。余談で言うと、俺が50歳の時にね、思いついて二郎さんに連絡取ったの。『二郎さん、久しぶりに2人でネタをやるよ』って。『はい、待ってたよ』ってね。そういう関係」



50歳で初めて2人きりで食事をした

増田「萩本さんが二郎さんに電話をかけて」


萩本「そうそう。

『久しぶりにやるよ!』、『おう! 待ってたよ!』なんて」


増田「二つ返事ですか」


萩本「で、50歳の時に初めてですよ。2人で飯も食ったことないから、もうここでね、初の食事会でもやろうかって言ったら、『なるほど!』って言ってた。で、初めて食事したんです」


増田「何を食べられたんですか?」


萩本「中華。コマ劇場の舞台が終わった後だったかな」


増田「二郎さんは57歳ですね」


萩本「そう。俺が50、二郎さんが57のとき」


増田「それが初めての2人の食事だったと」


萩本「うん。その話でいうと、二郎さんが(2011年3月11日に)亡くなってから、実は二郎さんの奥さんと話をしたの。二郎さんって、普段、俺についてどのぐらいぼやいたのって聞いた。奥さんは『欽ちゃんでぼやいたことは一度もなかった』と言って、こんな話をしてくれた。二郎さんの奥さん、『私のお父さんがすごい暗い人だったんで、お母さんから明るい人と一緒になりなさいって言われてて、コメディアンだったら明るい家庭になるだろうって結婚したんだけど、二郎さんはうちで何にもしゃべらない人だったの。うちの父より暗い。ただ、たった1日だけ、夢中でしゃべってくれたことがあった。それが、欽ちゃんとご飯を食べた日。

〝今日、欽ちゃんとご飯食べたんだ〟って。その時の二郎さんのね、夢中でその話をしてた楽しそうな表情が忘れられない』って」


増田「面白いですね」


萩本「ご飯を食べただけの話をこんなにたくさんしゃべるのかって。だからどれだけ、二郎さんにとって幸せな1日だったか」


増田「初めてフランス座で会った時のイメージとは全く違う二郎さんがそこに」


萩本「うん。食事中もずーーーーっとしゃべってた」(つづく =火・木曜公開)


▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。


▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。

12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。


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