【スージー鈴木のゼロからぜんぶ聴くビートルズ】#84


 ビートルズ来日スペシャル④


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 ちょうど60年前のビートルズ来日公演について、ビートルズによる音楽以上によく語られるのは、日本人音楽家によるオープニングアクト、つまり前座である。


 参加したのは、ボーカリストとして内田裕也尾藤イサオ、望月浩。

バンドとして、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ブルージーンズ、そしてご存じザ・ドリフターズ。勘違いされやすいのだが、このときのブルージーンズに、寺内タケシは参加していない。


 この中では、望月浩だけが知名度で一段落ちるだろう。当日は1人だけ場違いな「エレキ演歌」=『君にしびれて』を歌っているソロ歌手。


 さて、今回はこの名誉ある「ビートルズの前座」を断った男たちについて語りたい。


 まずは、のちにザ・ワイルド・ワンズのリーダーとして名を上げ、作曲家としても大成する加瀬邦彦である。


 当時彼は、ブルージーンズにいたのだが、前座に出ると、その後、楽屋に閉じ込められ鍵をかけられ、ビートルズのステージが見られないという情報を聞き付け、ブルージーンズを脱退するのだ。


 前座を断った男たち、2人目はかまやつひろしだ。こちらはかまやつ単独ではなく、ザ・スパイダースとして前座を断っている。ムッシュかまやつ名義の『ムッシュ!』(日経BP)から、メンバー全員で前座参加の是非を検討するくだり。


「ビートルズと共演すれば箔がつくっていう人もいるけどな」「そんなに大勢の前座のなかの一本じゃあ、しょうがないよ」「やりたいことはやりたいけど……」「オレたちにもプライドってものがあるよな」「そうだな、よし断ろう」


 今になって思うのは、もしこのときスパイダースが前座に出ていたら、ということだ。オリジナリティーあふれる傑作『ザ・スパイダース・アルバム№1』(1966年)をすでに4月にリリースしていた彼らのこと。

晴れの場で、かまやつひろし作曲の『ヘイ・ボーイ』『ノー・ノー・ボーイ』を披露していたら、日本のロックの歴史は変わっていたのではないか。


 最後に、加瀬邦彦が信じた「前座は楽屋に閉じ込められてビートルズを見られない」という説は本当だったのか。


 いや、実は尾藤イサオと内田裕也が、舞台にほど近い、ほぼ真正面のアリーナにふんぞり返ってビートルズを堪能している写真が残っているのである。


 でも、その後の活躍を考えると、加瀬邦彦は、やっぱりブルージーンズを辞めてよかったと思うなぁ。 (この項つづく)


▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。昭和歌謡から最新ヒット曲まで幅広いジャンルの楽曲を、社会的な視点からも読み解く。主な著者に「中森明菜の音楽1982-1991」「大人のブルーハーツ」「日本ポップス史 1966‐2023」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。日刊ゲンダイの好評連載をまとめた「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」、最新刊「日本の新しい音楽1975~」は大好評。ラジオDJとしても活躍。


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