これは韓国だけの問題ではない。日本でも表面化しないだけで、同様の事例は日常的に起きている。
あまりに多すぎて「発達障害じゃない?」で片付けられ、まるで免罪符のように発達障害が使われてしまう。昭和の時代にも「なんだこいつ!」と異端視される子はいたが、それは個性であり、大人になると「変わり者」と陰口を叩かれる程度で、病気のせいではなかった。

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 現在は、少しでも同級生と違えば担任から「精神科に行って診断書を」と促されるという。入院設備のある精神科は、認知症高齢者と発達障害児で満床状態。軽度の鬱や不安を抱える人は町のクリニックへ回される。精神疾患の診断を受けなければ人間扱いされないような風潮すら漂う。

 今回逮捕された韓国の男子高校生は、小学校教室に忍び込み、女性教諭のタンブラーに唾液を入れ、翌日にはその教諭の椅子に放尿した。幸い当日は代理教諭が発見したが、行為は悪質である。防犯カメラが至る所に設置されている現代の学校で、発覚しないと信じていたなら本当の意味で発達障害的な認知の歪みだろう。逆に発覚を承知で行ったなら愉快犯であり確信犯だ。

 この高校生と女性教諭には明確な面識は確認されていない。タンブラーと椅子が同一人物のものだと、なぜ知り得たのか。
面識もないのに犯行に及んだ背景には深い闇がある。

 こうした事例を「発達障害だから仕方ない」と同情で済ませるのは危険だ。悪事には妥当な刑罰が科される社会でなければ、人間社会は50年後に崩壊しかねない。
【編集:fa】
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