「軽トラックに乗り込んだときに、ゴーッていうすごい音がしたんですよ。すごい地震が来たと思ったら、倉庫がわーっと倒れて、車の上に覆いかぶさってきた。

『これはダメだ』と思って、慌てて車から降りて……命の危険を感じました」

間一髪の一部始終を明かしてくれたのは、熊本県八代市に住む50代の男性だ。

’16年4月に最大震度7を記録した熊本地震から10年がたった、7月28日16時27分。宇城市や八代郡氷川町で最大震度7を記録する地震が発生した。

熊本県の発表では8月3日時点で、災害との関連を調査中の人を含めて死者は38人に上り、多数の家屋が倒壊、県南部を中心に停電や断水が続いていた。避難者も、一時は約1万人を超える規模となり、駐車場で車中泊を余儀なくされる人も大勢いた。

そして連日35度を超える猛暑が、被災地をいっそう苦しめている。7月29日に、宇城市小川防災拠点センターに避難していた80代の女性はこう語る。

「28日の夜からここの避難所に来ました。避難してしばらくはエアコンが効いていたのですが、すぐに故障してしまった。すごく蒸し暑くて、昨夜は一睡もできませんでした。市のほうで大型の扇風機を何台か設置してくれましたけど、本当に暑くて。今晩も寝つけないかもしれません……」

10年の苦難を乗り越えた熊本の人々に再び襲いかかった地震の猛威。

国民の苦難に、天皇陛下と雅子さまも心痛を深められている。

宮内庁関係者はこう話す。

「天皇皇后両陛下は、復興に向けた歩みを進めてきた熊本県民が、再び大きな被害を受けて尊い命が失われ、甚大な被害が生じていることに、深くご心痛です。

安否不明となっている人々の救助を願うとともに、不安を抱えているその家族の気持ちにもお心を寄せていらっしゃるようです。さらに酷暑のなか救助や応急復旧にあたる警察や消防、自衛隊、自治体の関係者らに労いの気持ちも抱かれているとも伺っています」

■ご静養の中止をすぐさま決断されて

すぐさま、両陛下と愛子さまはお気持ちを形にされていた。

「まず発生翌日に天皇ご一家や皇族方が出席を予定されていた皇居・東御苑の桃華楽堂での絲竹会による雅楽演奏会の開催を延期されました。

また、8月3日からご一家で予定されていた須崎御用邸での静養も取りやめられたのです。先日那須で静養されましたが、9月には愛知県で開催されるアジア競技大会開会式へのご出席や、春に延期された岩手・宮城両県ご訪問も予定されており、側近も“休めるときに休まれてほしい”と進言していたそうなのです。

しかし天皇陛下と雅子さまは、被災や暑さで苦しむ人々や、懸命に作業にあたっている関係者がいる以上、“東京で熊本の被災地の状況を注視したい”というお気持ちがあり、地震発生の翌日には取りやめの方針を示されたと聞いています」(前出・宮内庁関係者)

須崎ご静養を中止された緊急のご決断――。

もとより両陛下は、9月29日と30日に熊本県を訪れ、’16年の熊本地震の被災地の復興状況を視察される予定だった。

皇室担当記者によれば、即位後初めてとなるはずの同県への訪問には、両陛下も並々ならぬ思いを抱かれていたという。

「令和となり、コロナ禍が世界を覆いました。

熊本では’20年7月の豪雨災害などもあり、直接被災した人々を見舞い、励ましたいという雅子さまの願いもかなわない期間が続いたのです。

直接お会いできないために、’21年1月にはオンライン行幸啓の形で被災者と懇談されていますが、やはりご自身で足を運び、お言葉をかけたいお気持ちが強かったようにお見受けしています」

お二人でのご訪問は’99年以来となるだけに、人々との再会が大地震の被害の後という悲しむべき状況となってしまったが――。

長年皇室番組を手がける放送作家・つげのり子さんはこう話す。

「これから新たに歩んでいこうというところで再び大きな地震が起き、被災地では心が折れそうになっている方々が大勢いらっしゃるはずです。

もともとのご予定としては、発生から10年の節目に、熊本県の復興状況をご覧になる訪問でした。今回の地震を受け、急きょ被災地のお見舞いという形に変更される可能性も大いにあるでしょう。

両陛下も、一日も早く被災地を訪れ、人々を励まされたいという思いを強く抱かれているようにお見受けします。インフラがある程度復旧した段階で、ご日程を前倒しでお見舞いに赴かれることも十分あると思います」

何よりも両陛下は“訪問が被災者を救うことにつながれば”というお心も固くお持ちになっている。

名古屋大学大学院教授の河西秀哉さんはこう指摘する。

「天皇ご一家による被災地の訪問は、人々に寄り添うご姿勢が報道を通じて国民の関心を広げ、災害の記録や記憶の風化を防ぐ重要な役割を果たしています。

もし9月末のお見舞いが実現すれば、もともとご予定がありましたが、『国民と苦楽を共にする』という皇室の基本的なあり方を体現される訪問となるでしょう」

■祖父を巡る宿命とも向き合われるご覚悟

そして雅子さまは27年ぶりの再訪に、不退転のご決意を固められているという。

熊本では今年、「日本の公害の原点」とされる水俣病が公式確認されてから70年を迎えた。

現在も被害を訴える人は絶えず、救済するための法律をめぐって現在も国会で議論が行われている。

水俣病の原因は、戦前から日本の化学工業をリードした「チッソ」の工場から出るメチル水銀を含んだ排水だった。不知火海に流れ込んだ排水は魚介類を汚染、それを食べた人々が運動失調やさまざまな神経症状など中毒性の疾患を発症したのだ。

雅子さまの祖父・江頭豊氏は、チッソの社長を務めていた。

「日本興業銀行(現・みずほ銀行)から、水俣病への対応により経営不振に陥ったチッソの立て直しのため、江頭氏は同社の専務、社長を歴任しました。

水俣病発生の原因に関与していないとはいえ、社長としての江頭氏の対応に不信感を抱く患者や支援団体が多くいたのです。

皇室の方々の熊本県ご訪問が慎重に対応されていた時期もありました。また戦前の1931年、戦後にもチッソ水俣工場を視察された昭和天皇は、国策のために人々が苦しめられた事実に、生涯苦悩されていたとも伝わります。

雅子さまがお妃候補として話題を集めた当初は、昭和天皇をはじめ宮内庁内にも、江頭氏が親族であることを懸念する声があったほどでした」(前出・宮内庁関係者)

しかし、患者をはじめ人々との関係を前進させたのが、上皇ご夫妻だった。’13年に熊本県を訪問され、水俣病資料館を訪問し、患者たちと対面されたのだ。前出の河西さんはこう続ける。

「美智子さまは、水俣病患者に寄り添い続けた作家の石牟礼道子さんとの交流を通じ、患者や家族らの苦しみや思いに向き合われてきました。

患者と親族らとの対面は、こうした上皇ご夫妻の長年のご努力により実現したものでした。

雅子さまが今回27年ぶりに熊本県を訪問されることを通じて、皇室もより水俣病への理解を深め、患者ら人々の存在や苦難を広く伝え、理解を促す機会にもつながっていくのではないでしょうか」

宿命を乗り越えながら、被災者を抱擁して慰めるため――。熊本へと旅立つべく、雅子さまは悲壮な覚悟を抱かれている。

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