「障害のある子ども」と聞くと、多くの人は、親がわが子を懸命に支え、家族一丸となって困難を乗り越えている姿を思い浮かべるのではないだろうか。もちろん、そのような家庭は数多くあるが、一方で、「障害があるからこそ」親子関係がより複雑になってしまうケースもある。


「うちに障害者がもう一人増えちゃった」母の言葉に絶句。身体障...の画像はこちら >>
 先天性の骨形成不全症という障害を持ちながら、親と距離を置いて一人暮らしをしているのが渡辺みのりさん(仮名・37歳)だ。

 遺伝子の病気で生まれつき骨が折れやすいため、幼い頃から車椅子で生活し、トイレなどの介助を必要とする日々を送ってきた渡辺さん。

 現在一人暮らしを始めて11年目になるというが、本音で語り合ったことがない、不健全な親子関係だったと振り返ってくれた。

介助を人質に取られているかのような日々

「親の指導方針では、骨が折れやすい以外に知的に障害があるわけではなく、人とのコミュニケーションは問題なくとれるので、自分のことは自分で説明できなきゃダメだし、とにかく簡単に人を頼るなと教えられて育ちました。人に介助される過程で骨折などの怪我をした際は、『怪我したときに、痛いのはあなたかもしれないけど、傷つくのは周りだ』『あなたの説明不足のせいだ』と言われていました。

そう育ててもらったことで、自立への意識や安易に人を頼ってはいけないという意識は高い方ではあると思いますが、『産まなきゃこんな目に遭わずに済んだのに』と言われたこともあり、ずっと私に障害があることを母に対して負い目として感じる生活でした」(以下、渡辺さん)

 介助を必要とする子どもにとって、親は家族であると同時に、生活を支える存在でもあり、だからこそなるべく良い空気感を作ることが、身を守ることにつながる。その関係性は、ときに健常者の親子以上に力の差が生まれ、本音を飲み込まざるを得ない状況につながることもあるようだ。

「親が仕事に行こうとするときとかに、骨折すると『なんでこんなときに折れるの!』と不可抗力な部分を責められてもいましたが、私としては、介助してもらわないと生活することが叶わないので、とにかく母の顔色を常に伺いながら、生活していました。

介助を人質に取られているような感覚で、私に障害がなければ、本音でやりとりできる機会もあっただろうなと思います。ただ本音を言えるなら、他人に頼るなと教えるなら、せめて親ぐらいは味方と実感できる拠り所でいて欲しかったし、精神的に甘えたかったなという想いはありますね」

 障害のある子どもだからといって、家庭の中で十分な理解や支えを得られるとは限らない。そんな渡辺さんが、親との精神的な距離を置こうと決めた大きな出来事があったという。

障がい者が二人も増えた!と怒る母の言葉

「うちに障害者がもう一人増えちゃった」母の言葉に絶句。身体障害のある37歳女性が親と距離を置くまで
幼少期の渡辺さん
「その時点では、私も兄も一人暮らしをして、親とは物理的な距離をとっていましたが、兄が5年前に職場のストレスで鬱状態になり、引きこもりになってしまったんです。そのときに、親が兄の了承なしに、施設にいれてしまって、兄からしたら厄介払いをされた気持ちになったでしょうし、実際夜中に『俺って必要な存在だったの?』と親に言ってしまったと、私に苦しい心中を吐露してくれました。

兄とは3歳差で、幼少期から普通の兄弟として隔てなく関わってくれていたので、兄のおかげで健常者側の視点を多く学んでくることができました。
逆に兄も私を通して福祉制度や受けることができる手当などの知識があったことで、精神障害者保健福祉手帳を申請することになった際、自分でその申請をしたんです。それに対し、私が実家にいるときに兄のことを褒めたら、母は『何言ってんの!うちに障がい者がもう一人増えちゃったんだよって』って怒り出してしまい、それが私にはすごくショックでした。

子どもとして愛してたから障害があっても育ててくれたというよりも、周りから見てちゃんと育てないと恥ずかしいという体裁を優先して育てただけなのかと、そんな風に思えてしまったんです」

 私をちゃんと愛していた瞬間があったのか?と一度湧き上がった疑問は止まらず、今まで以上に親との心の距離ができてしまったそうだ。

一人暮らしを決意も……

「うちに障害者がもう一人増えちゃった」母の言葉に絶句。身体障害のある37歳女性が親と距離を置くまで
30歳の誕生日
「大学を卒業してから企業のコールセンターで働いていたこともあり、このまま実家で過ごしても、親がどんどん過保護になっていくだけで、親にとっても私にとっても良くないなと、一人暮らしを決意しました。介助が常に必要な中で、親子だと物理的にも精神的にも距離が近すぎて、常に見張られているような気持ちになっていました。とにかくプライベートな時間が欲しかったというのもあります。初めて入院した時、あまりにも自由でとても楽しかったんですよね。

なぜなら看護師さんは仕事なので、割り切って必要な世話や介助はしてくれますが、プライベートに介入してくることがなかったからです。カーテンを閉めといてくださいと頼めば、小言も言わずにしてくれるし、意思も尊重してくれる。それがすごく心地よかったことも一人暮らしに向かった大きな理由です。

今は一人暮らしで、就労時以外は重度訪問介護というサービスを使って、ヘルパーさんに頼りながら生活をしています。仕事でやってもらっているという意識があるので、こちらも過度に気を使わずに、ヘルパーさんがいても一人でテレビを見たりとプライベートな時間は確保できるようになりました」

 一人暮らしに伴う不便は増えるが、自己判断を優先される生活を送ってみたかったという渡辺さん。その最大のハードルとなったのは、やはり両親の説得だったようだ。


「父はいつも傍観者でしたね。定年まではとにかく仕事第一な人で、母も私が子どもの頃から一人で常に介助が必要な私をどう受け止めていいかわからず、精神的に折り合いがつかない状況がずっと続いていたのだとは思います。障害=恥と思っていた節があったので、周りにも悩みや本音を吐露する機会もなかったようですし。

その中で、自立を決意する大きな機会になったのは『いつか親は必ず死ぬ』と思えたということ。私は最終的な判断を自分で負うのが自立だと捉えています。親がいなくなる前提で、一人で生活する準備をしておく必要がある中で、その準備期間はできるだけ長いほうがいい。そう思って、一人暮らしをする決意を話したのですが、まあ当然反対されました(笑)。

私が一人暮らしをして、1人のときに何かあったり、骨折をしたらどうするの?って言われましたが、逆にいま一人暮らしをして、しっかり自立できたら逆にお母さんも安心できるよねと説得したら、あまり離れたところではダメなどの条件付きではありましたが、一応許可はおりましたね」

 親と物理的に距離を置いたことで、親子関係を客観的に見れるようになり、親の心理面を俯瞰的に分析する機会になったという。また、自分の世界もどんどん広がり、自分の世界を確立することにもつながっていると渡辺さんは、話してくれた。

親は変えられないが、関わる人は決められる

「うちに障害者がもう一人増えちゃった」母の言葉に絶句。身体障害のある37歳女性が親と距離を置くまで
渡辺さん
「障害を持つ立場の人は、親が世話をするべきという風潮はまだまだあるので、そこに外部が介入するのは難しい側面はあると思いますが、でもだからこそ制度を利用して、家に篭らず、親以外のところで自分の世界を作ることが重要だと実感しています。障害の程度によって限界もありますが、実家にいながらでもヘルパーは使えるので、親以外の人と関わる機会を積極的に作ることは大切だと思います。

障害者ゆえに健常者よりも経験値が少ないことはどうしてもあるので、だったらなおさら、いろいろな人と関わって、そこからもらえるアイデアだったりヒントはありがたく、自分の世界を広げてくれる材料になると思います」

 障害の有無に関わらず、親との関係に悩み、「理解してほしい」と苦しみ続けている人にとっても、親との関わりを自分の人生のすべてにしないことの重要性は共通してくるだろう。


 親は選べなくても、自分が関わる人は選ぶことができる。また外の世界に目を向け、新たな人とのつながりを築いていくことで、人生というのは、少しずつ変えていくことができるのかもしれない。

<取材・文/SALLiA>

【SALLiA】
歌手・音楽家・仏像オタクニスト・ライター。「イデア」でUSEN1位を獲得。初著『生きるのが苦しいなら』(キラジェンヌ株式)は紀伊國屋総合ランキング3位を獲得。日刊ゲンダイ、日刊SPA!などで執筆も行い、自身もタレントとして幅広く活動している
編集部おすすめ