田沼意次は、第9代将軍徳川家重や第10代徳川家治の時代に活躍した政治家です。株仲間の公認や南鐐二朱銀の発行などの政策を実施しました。
「賄賂政治」などで名前を聞く機会はあっても、実際に田沼意次がどのような政策を実施したのか知らない方もいるのではないでしょうか。江戸時代の政治や経済の流れを理解するうえで、田沼意次が実施した改革の内容やその意義を押さえておくことが大切です。
本記事では、田沼意次の改革内容を時代背景とともにわかりやすく解説します。
田沼意次とは
田沼意次(たぬまおきつぐ)とは、18世紀後半(江戸時代)に活躍した政治家です。小姓から出世を重ね、10代将軍である徳川家治の時代には側用人兼老中として政権を担いました。
これまで、田沼意次は賄賂政治家のようなネガティブなイメージで語られる傾向にありました。しかし、近年では田沼意次が進めた経済政策について、一定の評価を見出す動きも増えています。
田沼意次が生きた時代とは
田沼意次が誕生(1719年)してから若年期までは、第8代将軍の徳川吉宗が享保の改革を実施していました。
享保の改革とは、1716年から1745年まで、初代将軍である徳川家康の政治を理想として推し進めた改革です。参勤交代の負担を減らす代わりに大名により多くの米を納めさせる「上米(あげまい)の制」や新田開発、給与制度を改革して優秀な人材を登用できるようにした「足高(たしだか)の制」などが具体例として挙げられます。
享保の改革後、吉宗の息子である家重が第9代将軍に就任しました(吉宗は1751年に亡くなるまで大御所として政権に携わる)。その後、1760年に徳川家重が将軍の座を退くと、家重の息子である家治が第10代将軍に就任しています。
田沼意次が政治家として活躍するのは、主に徳川家重・家治親子の時代です。家治が亡くなり、徳川家斉が第11代将軍に就任する頃、田沼意次は失脚しています。
なお、田沼意次の存命中に将軍の座に就いているのは、第8代将軍徳川吉宗から第11代徳川家斉までです。
田沼意次の生涯
田沼意次の生涯を以下の年表にまとめました。
・1719年:田沼意行(おきゆき)の長男として、江戸で誕生する
・1734年:家重の小姓として仕える
・1735年:前年に亡くなった意行の家督を相続する、元服
・1745年:(徳川家重が第9代将軍に就任)
・1746年:小姓頭取になる
・1750年:長男意知が誕生する
・1758年:遠州相良(現静岡県牧之原市)藩主となる
・1760年:(徳川家重の隠居に伴い、徳川家治が第10代将軍に就任)
・1767年:側用人に昇格する、相良城築城を拝命する
・1769年:老中格となる
・1772年:老中になる
・1783年:(浅間山大噴火・天明大飢饉)
・1784年:(長男意知、殿中で佐野政言に刺されたときの傷が元で死去)
・1786年:徳川家治死去後、老中を罷免される(寛政の改革が始まる)
・1787年:蟄居・所領の没収を命ぜられる、相良城が没収される
・1788年:死去
ここから、田沼意次の生涯を「若年期から幕府に仕えるまで」「老中就任・田沼時代の始まり」「失脚から晩年まで」に分類し、それぞれ主な出来事を解説します。
若年期から幕府に仕えるまで
当時の将軍、徳川吉宗の息子である家重の小姓(西の丸を守る西丸小姓)として江戸で仕えていた田沼意次は、父の死去に伴い10代で田沼家を継ぎます。その後、田沼意次は家重が第9代将軍に就任するタイミングに合わせて本丸に移ります。
また、翌年には小姓頭取として取り立てられています。家重の将軍在任時に田沼意次は、御用諸取次見習・小姓組番頭・御側御用取次などの職を歴任しました。
老中就任・田沼時代の始まり
第10代将軍に徳川家治が就任してからも、田沼意次は側用人・老中と順調に出世を重ねていきます。
側用人は将軍と老中を取り次ぐ役職です。また、老中は臨時で大老の職が置かれる場合を除き、幕府で政務を統括する最高職とされていました。
なお、1767年に側用人に就任して1786年に失脚するまでの約20年間について、田沼意次が権勢を誇った時代として「田沼時代」と表現されることがあります。
失脚から晩年まで
老中就任後、田沼意次は権力者として様々な政策を打ち出す一方で、1783年から84年には、浅間山噴火や天明大飢饉、嫡男である意知の暗殺を立て続けに経験します。また、当時天明大飢饉により民衆は苦しい生活を送っていたため、民衆の批判は政権を担う田沼親子に向けられていたとのことです。
1786年に徳川家治が亡くなると、田沼意次は老中をやめさせられます。その後、領地である相良城の没収などを経て、1788年にその生涯を終えました。
田沼意次の政治・改革の主な内容
農民の年貢を基盤とする経済から、国内の財政を豊かにするために経済活動を重視して幕府が介入する「重商主義」へ転換しようとしたことが田沼政治の特徴として挙げられます。田沼意次が取り組んだ政策は、主に以下の通りです。
・株仲間を公認する
・南鐐二朱銀を発行する
・鉱山採掘・蝦夷地開発に取り組む
・印旛沼の干拓事業を手掛ける
それぞれ解説します。
株仲間を公認する
株仲間を積極的に認めようとしたことが、田沼意次の改革のひとつです。株仲間とは、商工業者の同業組合を指します。
田沼意次が株仲間を積極的に公認した主な目的は、幕府の財政を強化することでした。公認した株仲間に冥加(※)を納めさせることで、幕府は収入を得たとされています。
※冥加:営業上の権利を公認される代わりに納める金銭。商工業者は、冥加以外に営業や取引に対して運上なども負担していた
南鐐二朱銀を発行する
南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)を発行したことも、田沼意次による政策のひとつです。
当時の日本では、金貨・銀貨・銭貨が流通しており、それぞれの交換比率は市場によって変動していました。また、江戸では金貨を枚数で数えて使うのに対し、大坂では銀貨を重さで量って使うなど、地域によって貨幣の使い方が異なっていた点も重要です。
そこで田沼意次は、銀貨でありながら金貨の単位(2朱)の価値を持たせた南鐐二朱銀を発行しました。これにより、銀貨であっても枚数で取引できるようにし、貨幣制度の利便性向上や取引の円滑化を図ったとされています。
鉱山採掘・蝦夷地開発に取り組む
田沼意次は、鉱山採掘にも取り組もうとしました。幕府の財政を立て直すことが、主な目的であったとされています。
また、仙台藩の医師でロシアの研究書「赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)」を著した工藤平助の提言を受けて、田沼意次は蝦夷地の開発にも関心を示しています。
印旛沼の干拓事業を手掛ける
利根川流域の新田開発を目指し、現在の千葉県佐倉市にある印旛沼の干拓事業を手掛けたことも、田沼意次の取り組みとして挙げられます。税収を賄うために、田んぼの面積を増やそうとしたことが干拓事業の主な目的です。
しかし、1786年に利根川の大洪水が発生したことで工事現場が破壊されてしまいます。また、田沼意次が老中の座を辞すことになったため、計画は頓挫してしまいました。
田沼意次失脚後の政治
田沼意次の失脚後、第8代将軍徳川吉宗の孫である松平定信が、1787年より第11代将軍徳川家斉のもとで寛政の改革を手掛けました。寛政の改革の主な内容は、以下の通りです。
・倹約令を出す
・旗本や御家人を救済するために一部の借金を帳消しにする棄捐令を出す
・飢饉に備えて、大名に一定の米を蓄えさせる(囲米の制)
・江戸に来ていた農民を村に返すことを奨励する
・出版を統制する
・文武を奨励する
重商主義の政策を打ち出した田沼意次に対し、松平定信は節約を命じるなど締め付けが強い傾向にありました。そのため、民衆の中には、田沼時代を懐かしがる風潮もあったとのことです。
なお、1793年に松平定信が失脚したことに伴い、寛政の改革も終了しました。寛政の改革は、徳川吉宗による享保の改革、寛政の改革から約50年後に水野忠邦が実施する天保の改革と並び、「三大改革」と呼ばれています。
田沼意次は重商主義への転換を図った政治家
田沼意次は、農民の年貢を基盤とする経済から「重商主義」への転換を図った政治家です。株仲間の公認や南鐐二朱銀の発行など、様々な政策を手掛けました。
しかし、徳川家治が亡くなったタイミングで、田沼意次は失脚させられます。
田沼政治や寛政の改革のメリット・デメリットを比較したうえで、現代の日本経済にも有効な政策なのか一度考えてみてはいかがでしょうか。
参考:牧之原市「田沼意次」
参考:国税庁「運上と冥加」
ライター:Editor HB
監修者:高橋 尚
監修者の経歴:
都市銀行に約30年間勤務。後半15年間は、課長以上のマネジメント職として、法人営業推進、支店運営、内部管理等を経験。個人向けの投資信託、各種保険商品や、法人向けのデリバティブ商品等の金融商品関連業務の経験も長い。2012年3月ファイナンシャルプランナー1級取得。2016年2月日商簿記2級取得。現在は公益社団法人管理職。

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