戦後81年の「慰霊の日」の23日、沖縄県内は鎮魂と恒久平和の祈りに包まれる。住民を巻き込み、軍民合わせて20万人超が亡くなった苛烈な沖縄戦。
糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「平和の礎」をはじめ、県内各地の慰霊塔には多くの遺族らが訪れ、亡くなった人々を追悼する。

沖縄戦の犠牲者を悼み上空に照射された「平和の光の柱」を見上げる家族連れ=22日午後8時26分、糸満市摩文仁(金城拓撮影)

 平和祈念公園では、午前11時50分から県などが主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれる。正午の時報に合わせ、参列者が1分間の黙とうをささげる。玉城デニー知事が平和宣言を読み上げ、平和を希求する「沖縄の心」を世界に発信する。高市早苗首相や衆参両院議長も参列する。式典後には一般焼香も行われる。
 国籍を問わず沖縄戦などの戦没者氏名を刻んだ平和の礎は、戦後50年の1995年に除幕された。今年新たに95人(県内32人、県外62人、米国1人)が追加刻銘され、総数は計24万2659人となった。
 米軍は1945年4月1日に沖縄本島へ上陸。生活の場が戦場となり、日本軍の兵力不足を補うために子どもを含む住民が根こそぎ動員された。「鉄の暴風」と呼ばれるほど米軍の砲弾や爆弾が飛び交い、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。日本兵による住民虐殺や壕追い出し、逃げ場のない状況に追い込まれての「集団自決(強制集団死)」、食糧強奪などもあった。
米軍の本土侵攻を遅らせる「捨て石」にされた沖縄では、日本軍の組織的戦闘が終わったとされる1945年6月23日以降も犠牲が続いた。
 沖縄戦の全戦没者数は20万656人と推計されている。このうち、沖縄県出身者は12万2228人(一般住民は9万4千人)。ただ、戸籍の焼失や一家全滅の家もあり、正確な数字は分かっていない。
 戦後81年がたち、戦前・戦中世代の人口が県内総人口の1割を切った今、戦争の記憶の継承が課題となっている。今年3月の名護市辺野古沖の船転覆事故を受け、文部科学省は同志社国際高校(京都府)の学習内容が政治的中立に反すると認定。平和教育が萎縮するとの懸念の声もある。
 国土面積約0・6%の沖縄に依然として、在日米軍専用施設面積の70%超が集中。米軍の事件・事故も相次ぎ、基地負担は解消されていない。
 
 その上、自衛隊の体制強化も進む。2026年度は陸自第15旅団を師団へ格上げして人員や装備を増強し、石垣駐屯地には新たに電子戦部隊を置く計画だ。与那国駐屯地には2030年度に地対空ミサイル部隊も配備する。

 政府は「台湾有事」などへの対応を念頭に、2027年1月、沖縄県で「武力攻撃予測事態」を想定した初の実動訓練も予定している。こうした現状に「戦前に似てきている」「再び戦争が起こるのでは」と危機感を抱く県民もいる。
 今年11月には、火災で焼失し復元された首里城正殿が一般公開される。沖縄戦時、首里城地下に構築された日本軍第32軍司令部壕の保存・公開の取り組みも進む。この壕で司令部は本島南部への撤退を決め、軍民混在を招いて住民被害を広げることになった。「負の遺産」の保存・公開の仕方にも注目が集まる。

 
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