誰にでも親と別れる時が来る。悔いのないお別れのためにやるべきことは何か。
訪問診療・緩和ケアを専門とする医師の岡山容子さんは「人生の最期をどう過ごしたいか、親と人生会議をしておくことをすすめる。ただ、そこで決めたことを絶対にする必要はない」という。ライターの市岡ひかりさんが、自身の体験を踏まえて、岡山先生に聞いた――。(第1回/全2回)
■「親の最期」を決めるのは私でいいのか
どんな親でも、必ず弱る。そして、時に子どもは、その最期を決める責任を負わされる。
「当院では、原則として心肺停止した場合の心肺蘇生は行わず、お看取りとなります」。
先月、母の認知症が悪化し、入院することになった精神科の病院で、担当医は淡々とそう告げた。その後も立て続けに、延命治療や、身体拘束のリスクと必要性についての説明が続く。本当にこの病院に入院させてよかったのだろうか。同意書にサインする手に力が入らなかった。母の小さくなりつつある命は、今、私の手の中にある。もし選択を間違えれば、握りつぶしてしまうかもしれない。

親の最期を見守る上で、子どもは時に様々な判断を迫られる。治療方針をどうするか、施設に入れるか、在宅で介護すべきか。施設や病院の選択肢も無数にある。もし、入れた施設で一気に認知症が加速したら。病院の治療方針が合わなかったら。自分の選択のせいで、親の病状が悪くなってしまったら……とプレッシャーを感じた経験があるのは、私だけではないだろう。
「そんなもん、誰のせいでもないですよ」
私の取材そっちのけの悩み相談に、穏やかな関西弁できっぱりと答えてくれたのは、京都府で訪問診療・緩和ケア医として終末期医療にかかわる、岡山容子先生だ。
■施設や病院選びに対するシンプルな答え
「私たち医者も一生懸命治療しますが、結果が芳しくないこともある。でも、それに対して、『自分のせいだ』と悩んだりはしないんです。ガイドラインに従ってベストと思われる治療をしたら、うまくいくかどうかは本人の生命力次第。あとは他人ではどうしようもないところに委ねられているんです。プロがそうなのだから、医学的知識のない素人がベストを模索しようとしても難しいのは当然です」(岡山先生、以下すべて同)
先生は「もし、どうしても施設や病院選びに迷うんなら……」と、こう続けた。

「最後はお値段で決めたら? 価格差を決める要素は『立地条件』『地価』『人件費』の3つだけ。都心は高くて田舎は安い。行われている医療の質は、どこもそんなに変わりません」。
自宅で最期を迎える多くの患者やその家族と向き合ってきた知見をつづった『毒親を在宅で見送った緩和ケア医が伝える 関係のよくない親を看取るということ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を上梓した岡山先生。
同書には、先生自身が40代のころ、長年関係の悪かった“毒母”の最期を看取った経験談もつづられている。本の帯には「黒い気持ちで見送ってもいい、親を捨ててもいい」とある。ドキッとすると同時に、胸がすくような思いがした。
■親を捨てたいけど捨てられない
実は私も長年、母が苦手だった。過干渉で子どもを支配しようとする一方、子どもの気持ちには無関心。いつも母の顔色を伺って過ごしていた。実家を出てからは必要以上に関わらないようにしてきたが、5年前、母は65歳でくも膜下出血を発症。認知機能が低下し始めてからは、そうも言っていられなくなった。

2人のきょうだいは、長らく実家と疎遠になっている。母のために動けるのは私しかいない。日々の生活介助をヘルパーさんにお願いしながら、仕事を休み、子どもを預け、片道1時間かけて度々通院の介助や見守りに通った。
母は苦手だが、憎いわけではない。感謝の気持ちもある。直接親を毎日介護する人に比べ、責任を果たしていないんじゃないかという罪悪感もあった。でも――。関わりたくない、もう傷つきたくないという思いと、弱っていく母を見捨てられないという思いが交錯した。
岡山先生の元にも、患者の家族から「親を捨てたいけど捨てられない。どうしたらいいんでしょうか」といった切実な相談が日々寄せられている。
「ご家庭によりますが、100%すべてが嫌な親も、100%大好きな親もあまりいないですよね。ちょっと嫌いで、ちょっと好き、という方が多いと思います。
その『ちょっと好き』の中に罪悪感を残さないために、患者さんのご家族には『無理をせず、いつも通り接して』と伝えています」
■どのカードを引いても“後悔”のカード
全身の状態が悪くなっても、親の方は案外「ちょっと調子が悪いだけなのに大げさな」と平常心なことが多い。一方の家族は、介護や看病が長引き、心理的に追い詰められると「早くこの時が終わってほしい」と、“その時”を待ってしまうことがあるのだという。
親が嫌いなら、嫌いのままでいい。「最後に親の死を願ってしまった」と罪悪感を抱かないためにも「家族なら当然こうすべき」という社会通念上の“正解”に捉われなくていい、とアドバイスする。
「看取りに必要なのは覚悟ではなく知識。関係の悪い親でも、無理せず、自分が納得のいく別れをするために、知っていてほしい知識があります」
特に看取りの場面で子どもが思い悩みがちなのが、治療方針の選択だ。私自身も、母を精神科に入れるべきか、なんとか施設介護を模索すべきか散々思い悩んだ。
岡山先生は、特に終末期における様々な選択において「後悔のない選択肢はない」と言う。例えば、延命治療のため胃ろうを付けると選択すれば、家族は「自分のエゴで長生きさせてしまったんじゃないか」と悩み、つけないと選択すれば「自分が親の寿命を縮めたんじゃないか」と悩んでしまう。
「『そうか、どのカードを引いても“後悔”のカードか』と知っておくだけで気持ちがラクになるんじゃないか、と思います。自分のキャラ的に、一番後悔しそうな選択肢は避けよう、くらいでいい。ベストより、セカンドベストを模索するぐらいの気持ちでいいと思います」
■肋骨がバキバキ折れる心肺蘇生
何を選んでも、どうせ後悔したのだ。
あとは母ではなく、自分が納得できるかという基準で選べばいい。そう思うと、すでに後悔と罪悪感まみれだった気持ちが緩むのを感じた。
心停止時は基本的に心肺蘇生を行いません――。母の入院した精神科のように高齢者の終末期に関わる医療機関では、しばしばこうしたDNARと呼ばれる方針が取られることがある。ただ、医師からこのような説明を聞くと「姥捨て山に親を捨てるようなものではないか」と動揺してしまう家族も少なくない。しかし「そうではないんです」と岡山先生は言う。
心肺蘇生と聞くと、多くの人は「命を救うために当然行うべき処置」というイメージを持つだろう。しかし、終末期医療の現場では、必ずしもそう単純ではない。
「人としての当たり前に来る時を静かに受け入れ、その旅立ちを邪魔しない、ということなんです。認知機能の低下した方を受け入れる病院で、身体や頭が役割を終え、自然な形で終わりの日を迎えた時に、それでもなお暴力的に呼び戻そうとすることがいかに非人間的か。医療の反省からできたシステムなのです」
心臓マッサージは、肋骨のたわみを使って血液を押し出す。肋骨が折れてしまえば大きな効果は得られないが、高齢者の骨は固く、折れやすい。

■「あのまま心臓が止まっていればよかったのにね」
「肋骨を折ったことのない救急医はいません。最後を骨が折れる音とその痛みで見送りたくない。でも『最後までベストを尽くした』というポーズをしなければ、家族が納得しないという社会的な要求から心臓マッサージを行ってきました。でも、もうやめよう、と。静かに旅立ちを見守ってあげたいという思いからなのです」
「静かな旅立ちを見守る」という意味で、岡山先生には苦い思い出がある。重度の糖尿病で透析患者である先生の父のことだ。
高齢者施設に入居中、父は毎日4個ずつグレープフルーツを食べ続けたことがあったという。カリウムを制限しなくてはならない透析患者にとって、果物は最も注意しなくてはならない食べ物のひとつだ。
ある時、父の施設から慌てて「心拍数が20まで落ちています。救急車を呼びます!」と連絡があった。先生は「呼ばなくていい」と止めたが、そのまま搬送され一命をとりとめたという。
後に「お父さん、心拍数が落ちて苦しかった?」と聞くと、当の本人は「なーんも苦しくない。救急車で運ばれて大げさやなと思った」とのこと。「ほんなら、あのまま心臓が止まっていればよかったのにね」と親子で笑いあったという。
「これは冗談でも何でもなく、この1年後、父は糖尿病で片足を失い、そして今、もう片方の足も失いつつあるんです。生き延びたらこうなるのはわかっていたんです」
■とにかく人生会議をしておくことが大事
一秒でも長生きしたいという人もいるだろうし「苦しくない、痛くない最期を迎えたい」という人もいるだろう。本人らしい最期を迎えるため、岡山先生はできれば親と人生会議(ACP=アドバンス・ケア・プランニング)をしておいた方がいいと勧める。
人生の最期をどう過ごしたいか、延命治療はどこまでしたいか、事前に話し合って決めておく。関係が良くない親子の場合、話し合い自体難しい場合も多いだろう。かつ、一度決めても、直前で本人がひっくり返すケースもあるという。それでも決めておいた方がいい、と岡山先生は断言する。
「決めてあったから、後で変えられるんです。『家に帰りたい』が絶対なのか『身体がしんどくない』のが絶対なのか。譲れない線で調整するのが大切です」
家族や患者本人も、どうしたいか常に考えが揺れ動く。むしろ揺れているぐらいの方が、張りつめた状態よりも柔軟性があっていいそうだ。
「患者さんやご家族の解決しない悩みに向き合い、一緒に揺れ続けることが私の仕事なんです」
■「さよならのない別れ」と「別れのないさよなら」
しかし、親との別れは、必ずしも「死」の瞬間に始まるわけではない。特に認知症の場合、家族はもっと手前から、少しずつ喪失を経験していく。
昨日まで通じていた会話が噛み合わなくなる。自分のことを忘れられる。怒鳴られる。私自身も、徐々に独り言が増えたり、急に叫んだりするようになって「母が壊れてしまった」と、胸がつぶれるような思いを抱えるようになった。
岡山先生によると、心理学的には、こうしたモヤモヤとした喪失感を「あいまいな喪失」と呼ぶのだそうだ。この感情には二つのタイプがあり、一つは「さよならのない別れ」。震災などで行方不明となったまま死を認定せざるを得ない状態をいう。
もう一つが「別れのないさよなら」。認知症など、姿は変わらないのに中身はそれまでのその人ではなくなってしまう状態だ。自分の感情に名前を付けて整理することは、自分を癒すための手段として有効だという。
岡山先生には、忘れられない母娘がいる。病院に入院中だったある女性の認知機能が低下し、病室の下の階にも聞こえるほど大声で叫ぶようになった。入院の継続が困難となり、やむなく自宅に帰ることに。「私が母をきちんと見てあげさえすれば、きっともとに戻る」。そう考えた娘は懸命に介護をしたが、残念ながら症状は変わることがなかった。介護も限界を迎え、岡山先生のすすめで精神科に入院させることに。画像診断の末、「認知症であり改善の見込みがない」と診断を受けたという。
■「最期は美談でなくていい」
気落ちする娘に先生は「それはあいまいな喪失ですね」と先の話をしたそうだ。すると娘は「私は“別れのないさよなら”を経験している。悲しんでいいんですね」と納得したという。
1年後、先生が彼女に電話したところ、こう告げられた。「母は会いに行ってももう私のことが分からないんです。ただ、母と”別れのないさよなら”ができたことで、別れの予行演習ができた。きっと私は本当の別れですごく悲しんでしまうから、母がプレゼントしてくれた時間なんだと思います」。
「悲しみがもたらすものは、悪いものだけではない」。そう岡山先生は感じたという。
最後に、目下「別れのないさよなら」の途中にいる、私と母の話をしたい。
母を入院先の精神科まで車で送っていった時だ。後部座席に座った母は、私のことが分からず、目も合わず、終始不安げだった。ただ、しばらく話しかけていると、急に表情が和らいだ。バックミラー越しに目が合うと、母は突然「今日、仕事は大丈夫なの?」と話しかけてきたのだ。過干渉だったが、私の仕事のことを家族の誰より気にしてくれていた母が、ちゃんとそこにいた。忘れていた、母の好きだった部分を思い出すことができた。
と、ここで終わればいい話。2週間後に面会に行くと、私にはほぼ関心を示さない一方、いまだ連絡すらしてこない他のきょうだいに「会いたい」と言い出した。「そうだ、母はこんな人だった」と思わずイラっとしてしまった。が、きっとそういうものだろう。
「最期は美談でなくていい」という岡山先生の言葉を思い出した。揺れたり、迷ったり、時に腹を立てながら。「正しい娘」ではない、いつも通りの私で、母の最期を見守りたい。

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市岡 ひかり(いちおか ひかり)

フリーライター

時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。
AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。

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岡山 容子(おかやま・ようこ)

医師、おかやま在宅クリニック院長

1971年、大阪府堺市生まれ。4人姉妹の次女として育つ。1996年、京都府立医科大学卒業後、麻酔科医として京都府立医科大学病院や西陣病院にて勤務、その後在宅医療分野へ転向。2015年、京都市内に在宅療養支援診療所おかやま在宅クリニックを開設し、訪問診療、緩和医療、認知症治療などに携わる。2018年より産経新聞大阪本社地方版でコラム「在宅善哉」を連載開始(筆名:尾崎容子)で。2020年、真宗大谷派にて得度を受け僧侶となる。現在は終末期をみる医師として、地域密着医療を実践するほか、看取りの勉強会を主宰する。著書に『老後を心おだやかに生きる いのちと向き合う医師の僧侶が伝えたいこと』(明日香出版社)『毒親を在宅で見送った緩和ケア医が伝える 関係のよくない親を看取るということ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。

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(フリーライター 市岡 ひかり、医師、おかやま在宅クリニック院長 岡山 容子)
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