短所はどうすれば長所に変わるのか。ニトリHD代表取締役会長の似鳥昭雄さんは「コツコツ貯めてきた貯金が一晩でなくなることがあったが、泣いて落ち込んだのも一晩だけで翌日にはアルバイトに精を出す生活に戻った。
私は忘れ物だけでなく、苦しみとか失敗といった心の痛みも、悩みはしますが、すぐに忘れるところがある」という――。
※本稿は、似鳥昭雄『発達障害の私だからこそ、成功できた』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
■ジムに通い、少しだけ人生が上向いてきた
いつまでもいじめられる側では、この先の人生は好転しようがない。高校生になった私はそう考えました。そうして、家業の手伝いとアルバイトで稼いだお金でボクシングジムに通い始めます。もちろん、親には内緒。目的はボクサーになるためではなく、ケンカに強くなるためです。
ジムでのトレーニングは想像以上にキツいものでした。縄跳び、腹筋、サンドバッグ、シャドーボクシング、ミット打ち……。
でも、小学生の時からやってきた家業の手伝いや冬場の雪下ろしのおかげで、基礎体力はあったのでしょう。だんだんと強くなっていく実感がありました。
不思議だったのは、ボクシングの練習中は飽きることなくじっくりと集中できたこと。
ひたすら繰り返し行なう動作によって、雑念がなくなるような感覚がありました。
結局、親にバレたので1年間であえなく退会しましたが、それでも「サシでのケンカなら負けない!」くらいの自信はつきました。
一方で、学校の成績は相変わらず振るいません。高校入試はどこも不合格でしたが、受験で落ちた高校の校長先生に米1俵を届けて頼み込んだところ、補欠合格となりました。補欠入学なので勉強には当然ついていけず、高校1年生の時は60人中58番目。しかも、私より下だった2人はすぐに学校を辞めてしまったので、事実上のビリです。
それでも、ジムに通ったりもしたし、この頃には少しだけ人生が上向いてきた感覚がありました。
■計算力はニトリ社内でナンバーワン
「珠算(しゅざん)部」での活動も、振り返るといい思い出として浮かんできます。私は手先が器用だったためか、そろばんだけは中学時代から得意だったので、高校では珠算部に入ったのでした。
入部後は一心不乱に腕を磨き、およそ500人が参加する大会で1位に選ばれました。高校3年生の時には、暗算や掛け算、読み上げ算など複数の部門がある大会でも総合1位に。そろばんを頭の中でパチパチとはじいていくイメージを思い浮かべると、スムーズに計算が進んでいくんです。
ここで培った計算力は今でも役立っていますね。
というのも、ニトリの社内で私の計算スピードと正確さはナンバーワン。社員の皆が電卓を叩くよりも、私が頭の中でそろばんをはじくほうが速いのです。原価計算、為替計算、輸送コストなどはお手の物。社員の誰よりも速く正確に、楽々と済ませることができます。頭のいい人がたくさんいるニトリですが、事業に関係する四則計算は私のほうがずっと速いし、自信があります。
他がダメでも、たったひとつ得意な何かがあれば道が開けると気づけた意味で、そろばんは大きな助けになってくれました。今でも、頭の中でそろばんをはじくからこそ、社内の様々な数字が頭にしっかりと入っています。
そろばんで1位になり、ボクシングで自信をつけたりもして、高校生活を何とか乗り越えたものだなあと振り返ります。周囲との違いに気づきながらも、自分なりの強さを見つけ始めた時期だったと言えるかもしれません。
苦手を避けることばかり考えたり、できない自分を責め続けたりしなかったことは良かったです。「他に何かできそうなことはないかな?」と前向きにチャレンジしたからこそ、思わぬ自信がついたり、今にも繋がる特技を見つけたりできたのだと思います。

■資金援助なし、アルバイト三昧の大学生活
「まだ社会に出たくないなぁ」という一心で大学受験をしました。勉強は苦手のままでしたが、1962年、札幌短期大学になんとか滑り込みました。
父が経営するコンクリート会社に入ることから逃げるためだけの進学でしたし、進学の条件として、「資金援助はナシ」と両親と約束していました。なので、自分で授業料や生活費を稼ぐ必要がありましたから、キャンパスには1週間に1回行くか行かないか。アルバイト三昧の毎日でした。
学費を自分で出すなんて無理、進学は諦めるだろうと、両親とも思っていたはずです。でも私は諦めなかった。やると決めたら、無茶な手段でも実行に移してしまうところがありますから。
父の会社の手伝い、雪下ろし、お歳暮の配達など、とにかくたくさんのアルバイトに励んでいました。多動と不注意による失敗も多かった中、稼いで貯めたお金を失う痛恨の出来事がありました。
当時は日本のさまざまな地域に「無尽(むじん)」や「頼母子(たのもし)」「講」「合力(ごうりき)」と呼ばれる民間金融がありました。無尽とは仏教に由来する言葉で、困っている人を助けるために仲間内でお金を融通する仕組みです。

戦後の混乱期から復興期、母もまた引き揚げ者住宅が集まる地域で無尽に参加していたのでした。いざという時のためでもありましたが、まとまった額を貸し付けると1年後には利子が付いて戻ってくる利点もあったのです。
■つらくて泣いても、翌朝にはケロリ
私も母からその仕組みを聞かされていたので、幼い頃からの貯金と学生時代のアルバイトで稼いだお金を無尽に貸し付けました。ところがそのタイミングで、無尽からお金を借り受けた家族が夜逃げしてしまったのです。母に泣きつきましたが、どうにもなりません。
おばあさんの肩を1時間叩いて5円、摘んだワラビをご近所に売り歩いて10円、米の配達1回で10円……とコツコツ貯めてきた貯金が一晩でなくなってしまった。泣いても泣ききれませんでした。
ただ、泣いて落ち込んだのも一晩だけ。朝になるとカチッと気持ちが切り替わり、アルバイトに精を出す生活に戻ったのでした。発達障害の人には、感情の波が激しい傾向があるといいます。急に怒ったと思えば、今度は泣いていたり、笑ってケロッとしていたり……。私のエピソードは、これにぴったり当てはまります。

忘れ物がとにかく多いとお話ししましたが、私が忘れるのはモノだけじゃないのです。苦しみとか失敗といった心の痛みも、悩みはしますが、すぐに忘れるところがあります。覚えていようと思っても、忘れてしまう。この「忘れっぽさ」は、「切り替えが早い、引きずらない」とも考えられますよね。
■道内の名門大学に合格、ナンパ師に弟子入り
2年間の短大生活があっという間に終わりに近づいた頃、私はもう少し学生生活を満喫したくなって大学編入試験に挑戦しました。受験したのは北海道では名門と言われる北海学園大学です。
とはいえ、残念ながら自分の実力で合格できる自信はありません。試験科目は英語と経済学です。経済学は自分でなんとかしようと猛勉強したものの、英語はカンニングに頼れないかと画策。同じ編入試験を受ける友人に、英語の答案を見せてくれるよう頼み込んだのでした。
ところが、試験当日。その友人は問題を解くのに必死で答案を見せてくれず、カンニングは未遂に。
合格はないな……と諦めながら合格発表の日を迎えたのですが、なんと驚くことに合格していました。経済学が70点で英語が5点という成績でしたが、「両方合わせて70点」が合格ラインだったのです。
それまでとにかくいじめられ、バカにされてきた私は、道内の名門大学に入ったことで周囲を見返したような気持ちになれました。
そんな晴れやかな気分も束の間、私はすぐにまた、別の大きな悩みに直面していました。それは「女性と話すことができない」という問題です。元々、人と話すのが苦手な私。当然、中学高校短大とガールフレンドは1人もいませんでした。そもそも女子と一緒に遊びに行ったことすらなかったのです。
このままではダメだと思った私は、ナンパ師に弟子入りしたのでした。
■自分にできないことは素直に教えを請う
当時、札幌の大通公園で女性に声をかけて、その場ですぐに仲良くなってしまう男性がいました。私はその人に、どうやって女性と仲良くなっていくのか教えて欲しいと頼み込んだのです。コーヒー代も食事代も全部、私が払うからと。
無事に弟子となった私は、師匠と一緒に大通公園に立ちました。師匠が女の人に声をかけるのを横で見ながら、メモを取る。師匠が喫茶店に女の人を連れて行ったらついて行って外で待つ。そんな「修行」が続いたのでした。
それでも、いざ自分でやってみると失敗の連続です。そううまくいくはずもないのでした。道行く女の人に「あのぉ……」と声をかけても、「なんですか?」と言われるとドキッとしちゃって後が続かない。「すいません……」と頭を下げて戻ってきてしまう。
師匠からは「ダメじゃねぇかっ!」と叱られ、「断られて当たり前なんだ。何回でも行け」と励まされて……。根気強く練習を続けた結果、2、3カ月後にようやく女性と自然に会話できるようになりました。だから初めての彼女ができたのも、その頃です。
自分にできないことは、それを得意としている人に教えてもらう。そういう動きができることと、人からの教えを素直に吸収できることは、私の強みと言えるかもしれませんね。
■「このままではダメだ」という思いの強さ
一見すると脱線ばかりに見える大学生活でしたが、私にとっては社会に出る前の、さらに大きな壁にぶつかる前の青春のひと時でした。
講義を聞いて理解するとか、試験勉強で暗記するといった学習がずっと苦手だった私は、別のところで学びを得た。それはアルバイトであり、ナンパ師への弟子入り、仲間たちとの遊びだったんです。
学校や親からの教えだけでなく、こういうところからだって、社会に出る下地を育てられる。そのことを身をもって経験できたことはラッキーでしたし、それが次のステップ、社会人としての第一歩に繫がったと思えます。
こうして振り返ったことで気が付きましたが、「このままではダメだ」という思いは、私の中でひと際強かったのかもしれません。いじめられてばかりだった現実も、女の人と話せなかった現実も、この思いがなければ今でもそのままだったかもしれません。
そしてこの考え方は、私がニトリの社員教育でよく使う「4C主義」という言葉に繫がっていそうです。ニトリでは、次の4つのCを従業員の指針にしています。
・Change(変化:現状に満足せず、常により良いものを求め続ける人)

・Challenge(挑戦:どんなことも前向きに考え、前人未到なことに挑戦していく人)

・Competition(競争:常に自分を成長させることを考えている人)

・Communication(対話:お客様、従業員同士の対話を大切にできる人)
私は、変化を恐れず、できそうもないと思えるほど高い目標を掲げて、仲間とともにそれを実現させることで人は成長していくと思っています。
だから社員には、そのような4C主義を持った人になってほしいとよく伝えているんです。企業も人も、成長するためには変わり続けることが必要ですからね。

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似鳥 昭雄(にとり・あきお)

ニトリHD 代表取締役会長兼CEO

1944年、樺太生まれ。66年北海学園大学経済学部卒業。67年似鳥家具店を創業、72年似鳥家具卸センターを設立。社名を78年ニトリ家具、86年ニトリに変更を経て、2010年ニトリホールディングスに移行。16年から現職。

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(ニトリHD 代表取締役会長兼CEO 似鳥 昭雄)
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