■「指揮する人」から「任せる人」に変わった
やはり経験は宝である。サッカーワールドカップ(W杯)で日本代表が躍動する。初めて2大会連続の指揮をとる57歳の森保(もりやす)一(はじめ)監督のマネジメント力の変貌がチームの成長を促している。
サッカー取材歴35年。サッカージャーナリストの藤江直人さんは「自分で率先して指揮をとる形からマネジメント型に変えたんです」と説明した。
「ワールドカップをまたいで監督をするにあって、一番怖いのはマンネリです。そうならないために、2期目、コーチ陣をがらりと変えたんです。
スポーツマネジメント論でいえば、森保監督による指導体制は、従来の指揮・命令型リーダーシップから「ファシリテーション型リーダーシップ」へと重心を移したのだろう。監督中心の組織から、コーチ陣と選手が知識を共有する分散型組織へ転換したことになる。
森保監督とコーチ陣、選手間の信頼構築をベースとし、選手の主体性を引き出しながら目標達成へ導く手法である。新たなコーチ陣はみな、かつて日本代表で活躍した選手、多くは海外クラブでのプレー経験を持つ。
■海外組23人が生んだ「ビビらない日本代表」
ちなみに今回のW杯登録枠の26人中23人が海外クラブ所属となっている。初戦(日本時間6月15日)のオランダ戦(△2-2)、2戦目(同6月21日)のチュニジア戦(○4-0)でプレーしたのは、全選手が海外組だった。藤江さんは「森保さんがよく言うのは、海外組は“普段から非日常でプレーしている”ということです。大舞台のピンチでも選手は動じない。まったく、ビビらないんです」
なるほど、だから、強豪相手のオランダ戦。先行されても追いつき、2点目を奪われても、最後にまた同点とできたのだろう。
ついでにいえば、2025年10月14日に東京スタジアムで開催された国際親善試合において、ブラジル代表に前半に2点を先行されても、3-2で歴史的な逆転勝利を収めたのだった。藤江さん曰く。「この試合は、堂安(律)たちが主体性を持って、後半、ブラジルと殴り合いにいって、3点とったわけです」と。
■「この人のために勝ちたいと思わせる監督」
森保ジャパンの強みはなんといっても、ベンチを含めたチームの一体感である。チーム最年長の39歳、長友佑都選手の熱量たるや。チームで一番、戦っているように見える。
藤江さんは「これは森保監督の素の顔ゆえでしょう」という。
「選手たちはよく、森保さんを、“この人のために勝ちたいと思わせる監督”と表現します。森保監督一期目の時、吉田麻也キャプテン(当時)がこう言いました。“僕はいろんな監督のもとでプレーしてきましたけれど、ここまで選手のことを本気で考えてくれる監督は珍しい。神輿で担ぎたいと思う監督であるのは間違いない”って」
そういえば、森保監督は国際Aマッチを終え、選手が三々五々、別々の飛行機でクラブのある都市に戻っていく時、宿舎のホテルで全員、見送るのだそうだ。
また、藤江さんはこんなことも教えてくれた。国際Aマッチでは26人前後が招集されても、試合ベンチに入れるのは23人となるケースが多い。だから、必ず3人程が試合メンバーから外れることになる。
「森保さんは試合メンバー決定前夜に必ず、外れる選手の宿舎の部屋をノックして、次は試合から外れてもらう旨を直接、伝えにいくんです」
これは、選手へのリスペクトが成せるワザだろう。長友は2024年3月のW杯アジア2次予選の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)戦でサプライズ復帰したが、その後、ほとんどベンチから外れてきた。だが、長友は森保監督からメンバー外を伝えられると、その都度、「次はベンチに入れる選手になって見せます」というそうだ。ゆえにW杯最終メンバーに選ばれたのだろう。
■情に厚い監督が下した、遠藤航を外す非情な決断
選手思いの森保監督だが、今回のW杯開幕の3日前、前主将の遠藤航をけがの影響でチーム離脱させることを決めた。「驚きました」と藤江さんは述懐した。
「下手したら、チームが空中分解していましたから。
引っ張ってきたMF南野拓実やMF三笘薫が負傷によりW杯メンバーから選外となっていた。遠藤もまた失意のうちにチームを離脱し、代表引退を表明した。森保監督は初戦前日の公式会見で、「航(わたる)が傷つくことはもちろんですけど、航が大切にしている家族、航を応援している方々、本人だけでなくて多くの方々を傷つけるようなことをしてしまったことは、私自身、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。皆さんに謝りたいと思っています」と涙声で漏らしている。
なお、オランダとの試合前の日本代表ミーティングで遠藤の約3分のビデオメッセージが流され、遠藤がつけた背番号6の青色の日本代表ユニホームが日本ベンチに架けられていた。試合後、新主将の板倉滉はそのユニホームを誇らしげに高々と掲げたのだった。
■ドーハの悲劇で知った「下を向くな」の意味
わが脳裏に刻まれたサッカーのテレビの映像がふたつ、ある。いずれも、森保一監督が映っている。
ひとつが、1993(平成5)年10月28日の「ドーハの悲劇」である。
ピッチに崩れ落ちた日本代表の選手の中に当時25歳の森保選手もいた。ポジションはボランチ(守備的ミッドフィルダー)だった。中盤の底で守備を最優先させる、「縁の下の力持ち」、黒子役の役回りだった。
同点ゴールとなるコーナーキックは、森保選手の頭上を通り過ぎている。藤江さんは現地でこの試合を取材していた。藤江さんも最後、記者席で崩れ落ちた。
「衝撃的な終わり方でした。悪夢を見ていたような感じでしたね」
試合翌日朝、藤江さんは選手の宿舎ホテルに取材にいった。仲の良かった「カズさん」こと三浦知良選手と言葉を交わした。「成田空港に着いたらトマトかな」とカズさんは漏らした。1966年のW杯イングランド大会1次リーグで北朝鮮に負けて敗退したイタリア代表がローマ空港に帰ったら、ファンからトマトをぶつけられた事件を持ち出したジョークだった。
■ファン、メディアへの感謝を忘れない“黒子”
当時スポーツ新聞社に勤めていた藤江さんは国際ファックスで送られてきた紙面を見せ、「そんなことは絶対、ありません」と言った。紙面は2面・3面の見開きで、大きな見出しが躍っていた。「下を向くな!黄金イレブン、胸張って帰ってこい」と。
カズさんは泣き出し、「チームのみんなにも見せたい」と言ったそうだ。おそらく森保選手もこのスポーツ新聞を見たに違いない、と藤江さんは振り返る。
「その時、選手たちは日本のファンのありがたみ、メディアへの感謝を知るわけです。また、勝負は下駄を履くまでわからない、ということは身に染みて知ったことでしょう」
話を今に戻せば、サッカー日本代表とメディアの関係性はすこぶるいい。森保監督は練習グラウンドにメディアが来たら、練習前に一人ひとりにあいさつをしていくそうだ。メディア対応、ファン対応を殊の外、大事にしている。誠実なのだ。選手にも、メディアには積極的に話をするように啓発してもいる。
そういえば、メンバー発表や試合後の記者会見で、森保監督は必ず、冒頭で、こうあいさつする。「ファン、サポーターのみなさん、メディアのみなさん、いつもお世話になっています。ありがとうございます」と。
藤江さんが笑いながら言う。
「記者会見って時間が限られているので、感謝のあいさつをまどろっこしいと思う人がいるかもしれませんが、必ずやりますね。本音なんでしょう。メディアへの丁寧な姿勢はほんと、いつも感じます。日本の“同志”として、一緒に戦いたいという思いが伝わってきます」
■クロアチア戦後に叫んだ「最高の景色」
もうひとつのテレビの映像は、2022年12月5日、W杯カタール大会の決勝トーナメント1回戦(ラウンド16)でクロアチアにPK戦で敗れた後のワンシーンである。
日本代表は初のベスト8進出の道を阻まれた。アルジャヌーブスタジアムのピッチの一角に日本代表の円陣がつくられた。落ち込んだ選手の顔を見渡しながら、当時54歳の森保監督は目に涙をためながら大声で言った。絶叫に近かった。
「みんなが新しい景色、最高の景色を、
目指していけば、必ず歴史が変わる。
みんなでやっていく、ね」
この試合も、藤江さんは現地で取材していた。「まだ、その時は、森保さんの続投は決まっていなかったですけど」と振り返り、こう続けた。
「もちろん、ピッチ上のそういうシーンは、僕らは共有できませんでしたけど、森保さんの試合後の熱は伝わってきました。何を持って最高の景色というのか。たぶん、俺たちはベスト8に行けたということを言いたかったのだと思うわけです」
後日、森保監督が2026年W杯北中米大会まで指揮を執ることが決まった。森保ジャパンの第二期がはじまる。吉田麻也からキャプテンを引き継いだ遠藤航が最初のチームミーティングで宣言した。「俺たちは(W杯で)優勝できる」と。
最高の景色とは、ベスト8ではなく、「優勝」との共通認識がチームに生まれたのだった。
■「石橋をたたいても渡らない監督」ではなくなった
森保一監督はどういう人なのか。
高校時代はサッカー選手としては無名だった。「森・保一」と名前を間違えられたことにちなみ、「ポイチ」との愛称で親しまれることになった。ほとんどの人が名字を「モリヤス」とは読めなかったという。
日本サッカーリーグのマツダ(現・Jリーグのサンフレッチェ広島)に入団し、1992年4月、ハンス・オフト氏が日本代表監督に就任すると日本代表に初招集された。現役引退後は指導者の道を歩み、とくにサンフレッチェ広島の初代総監督である今西和男氏を師とあおぐ。
藤江さんが「謙虚というか、控え目というか」と言葉を選び、こう続けた。
「現役の時から、もう本当に三歩下がって、“師のカゲを踏まず”みたいな人ですから、黒子という言葉がぴったりの人です」
日本代表の森保監督をみると、藤江さんは、2024年1月から2月にかけて開かれたアジアカップが「一番のターニングポイントでした」と見る。日本代表は準々決勝でロングボール一辺倒のイランに1-2で敗れた。これで森保監督はシステムや選手の配置を変え、「しっかりと勝ち抜くためのサッカーに変わった」という。
「森保さんは第一次政権の時は、“石橋をたたいても渡らないタイプ”だったのに、第二次政権の時には、“石橋をたたきながら渡っていくタイプ”になったのです」
■いざ最高の景色を。みんなで。
森保監督は、W杯の試合前の国歌斉唱の際、必ず泣いている。
藤江さんが説明してくれる。「そう、熱い人なんです」と。
「日本人である誇りと喜びがあふれてきて涙が自然と出てくると本人は言っていました。また、日本代表選手を育ててくれた人たちや、応援してくれるファン、サポーターの人たちのことを思うと、勝手に涙が出てくるのでしょう。いわば感謝の涙みたいなものです」
ああ人間とは実に奥深い。勝負は時の運ながら、間違いないのは、森保監督率いる日本代表のサッカーが全48チームの中で一番楽しめるサッカーだということだ。
いざ最高の景色を。みんなで。
----------
松瀬 学(まつせ・まなぶ)
ノンフィクションライター・日本大学客員教授
1960年長崎県生まれ、福岡・修猷館高校、早稲田大学ではラグビー部に所属。同大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。83年、共同通信社に入社。4年間、米NY支局勤務。02年に同社退社後、スポーツ・ジャーナリストに。多様なスポーツ競技やオリンピック、サッカー、ラグビーW杯などの国際大会を取材。2019年RWC組織委員会広報戦略長も務めた。元日本体育大学教授(ラグビー部部長)。現日本大学客員教授。専門が「スポーツ社会学」「スポーツジャーナリズム/メディア論」「スポーツマネジメント論」。日本文藝家協会会員。著書は『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋社)『東京五輪とジャーナリズム』(共著・創文企画)など30数冊。モットーが「感謝」。
----------
(ノンフィクションライター・日本大学客員教授 松瀬 学)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
