※本稿は、スージー鈴木『ライバルたちのJポップ史 ~70年代フォークから令和ヒットの裏側で』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
■星野源から「趣味のよさ」を感じる理由
4人の中で、もっとも年長は、1981年生まれの星野源である。私の15歳下。Vaundyよりも約20歳も年上。
ただ、彼が2015年に放った傑作アルバム『YELLOW DANCER』を聴けば、15年以前の平成Jポップとの間に断層があること、逆に、その後の米津玄師、藤井風、そして、ふた回り下のVaundyと地続きであることがわかる。
15年といえば、しばしば「サブスク元年」といわれる年。新しい音楽メディア環境を引き連れて、星野源がやってきた!
『YELLOW DANCER』を聴いて驚いたのは、妙な言い方になるが「趣味のよさ」だった。
15歳上の私が聴いてきたような、邦楽洋楽の名曲を(私などよりも、もっと意識的に)聴いて、それを彼なりにアレンジしてミックスして紡ぎ出した、とても洗練されて知的な、つまりは趣味のいい音。『YELLOW DANCER』がもたらした革命は、「趣味のよさ革命」だったと思う。
アルバムの音世界から想起したのは、まずは、細野晴臣や山下達郎の初期作品だったが、それよりも直接的に想起した、ある音楽ムーブメントと、その中のあるアルバムがあった――。
■星野源から感じる「音楽ムーブメント」
「ある音楽ムーブメント」――。
「ビーイング系」や「小室ファミリー」に寄りかかっていった音楽シーンのアンチテーゼとして、過去の洋楽へのリスペクトに溢れた、ちょっぴりマニアックで、それこそ「趣味のいい」サウンドを追求した音楽ムーブメントを指す。
「遅れてきた渋谷系」としての星野源――。
ただ、星野源がある意味で渋谷系を超越した点は、その大衆性にあったと思う。彼の「趣味のよさ」は(一部の渋谷系のように)、ツンと澄まして聴き手を遠ざけるものではなく、むしろ大衆に開かれる方向に寄与する。
そして『YELLOW DANCER』から直接的に想起した「あるアルバム」とは、小沢健二『LIFE』(94年)だ。「もっとも開かれた渋谷系」という感じのアルバム。かつ、私のくたびれた20代後半を彩ってくれた重要な一作。
でも「開かれ度合い」でいえば、『YELLOW DANCER』は『LIFE』と張る。『LIFE』の1曲目『愛し愛されて生きるのさ』と『YELLOW DANCER』の1曲目『時よ』は、私にとって等価、そして同義だった。
その後の星野源の作品の中で、個人的なフェイバリットを挙げれば、『Family Song』(17年)である。
黒人音楽をマニアックかつ求道的に追求してきた日本人音楽家の先人たちは、神格化の反動として、結局独自世界を確立できず、単なる痛い物まね(失礼)に終わってしまっていた。
しかし『Family Song』を聴いて、星野源なりのアレンジとミックス、さらには「趣味のよさ」によって、この国にベストマッチなソウルバラードがいきなり確立したと感じたのだ。
■期待を「蹴り飛ばす」星野源が見たい
星野源との出会いから10年を超えたが、人気も実力も、相変わらず高値安定、長期安定政権である。音楽家だけでなく、俳優としても成功し、今や「国民的存在」といっていい。そのあり方たるや、事務所の先輩の桑田佳祐を想起させる。
こうなってくると、聴き手としても欲張りたくなる。私が思うのは「国民的存在=ナショナル星野源」ではない「個人的存在=パーソナル星野源」の発露である(拙著『桑田佳祐論』にある「ナショナル桑田」「パーソナル桑田」論参照)。
25年のアルバム『Gen』がよかったのは、彼自身が「自分の生き写しみたいなアルバム」というように、「パーソナル星野源」につながる内省性が垣間見えたところだ。同年のベストアルバムだと、各所で話し、書いた。
「ナショナル星野源」もあっていい。でも、アルバム『Gen』や、同年のシングル、その名も『いきどまり』に表れているようなパーソナルな思い・悩み・怒りをもっと聴きたい。
極端にいえば、「国民」の期待を嘲笑(あざわら)い、蹴り飛ばすような「ダークサイド・パーソナル星野源」を。
そんな期待も込めていいだろう。なぜなら、星野源はもはや、ここから語る、残り3人の「ライバル」を引っ張るリーダーなのだから。
■米津玄師の強烈な陰鬱性
米津玄師は91年生まれ。星野源のちょうど10歳年下となる。米津玄師といえば、まずは何といっても18年の『Lemon』だろう。初めて聴いたときに驚いたのは、その陰鬱さだ。
《♪夢ならば》――この強烈に陰鬱な歌い出しが、『Lemon』という楽曲、そして米津玄師という音楽家の魅力を象徴している。
《♪夢ならば》=「ドレミドラ」(キーはGm)というメランコリックなメロディ。《♪(夢ならば)どれほどよかったでしょう》という喪失感に溢れた歌詞(祖父の死をモチーフにしたという)。そのメロディと歌詞の世界にぴったり照準を合わせたような、ねっとりと粘着的な声質。
こちらも妙な言い方になるが、「ヒットチャートが陰鬱を奪還した」と思ったのだ。
もちろん、その陰鬱性は、重苦しい時代の空気とベストマッチしていた。翌19年のKing Gnu(キングヌー)『白日』も相まって、マイナーキーの陰鬱ソングが時代の真ん中にせり出してきた。
そして、星野源に加えて、米津玄師によって、から元気・から騒ぎの「平成Jポップ」がいよいよぷっつんと切り離され、いよいよ過去のものになった気がした。
『Flamingo』(18年)、『感電』(20年)、『死神』(21年)、『さよーならまたいつか!』(24年)、そして宇多田ヒカルとのコラボ曲『JANE DOE』(25年)……。注目したいのは、これら米津玄師の代表作品に立ち込めている独創性、というか、何とも「説明の付かない感じ」である。
■「突然変異種にして特定外来種」と感じる理由
先に触れた星野源の「趣味のよさ」は、作品の中でオマージュされた原典音楽を(ある程度)共有できることから感じられるものだ。
しかし米津玄師は、いうなれば突然変異種にして特定外来種。「あの音楽家のあの作品のあの部分から、こう影響を受けて……」という氏素性が(少なくとも私には)説明できない。
もちろん創作活動自体は、過去作品からも十分に刺激されているに違いないのだが、単なる引用を超えて、米津玄師自身がじっくり昇華し、熟成した結果、米津玄師流独創サウンドが出来上がる。さらに作品の音の隅々まで、彼一流の独創性、美意識を張り巡らせている(このあたり、「ボカロP」出身という経緯も影響していると思う)。
結果生まれるのが、あの説明の付かない、でも「恐れ入りました」とひれ伏さざるを得ない楽曲群なのだ。
星野源同様、1曲挙げるとすれば、私なら『死神』を推す。
DREAMS COME TRUE「芝浜」、Mr.Children「火焔(かえん)太鼓」、GLAY「まんじゅうこわい」……なんて曲など、あり得ないだろうという話をしている。3時間分ぐらいの独創性を詰め込んだ、たった3分の曲。
米津玄師のプレイリストをスマホでずっと聴いていると、妙な感覚に襲われている。独創性、説明の付かない感じが極まって、何というか、ひどく疲れてくるのだ。ビートルズやはっぴいえんどを聴いて、耳を中和させたくなる。
約60年生きてきて、こんな音楽家は、1人もいなかった。無論、これは褒め言葉である。それも最上級の。
■お茶の間の度肝を抜いた藤井風
6歳上の米津玄師の向こうを張る突然変異種としての藤井風(97年生まれ)については、個人的に決定的な「原体験」ならぬ「風体験」の話から入りたい。
それは作品そのものではない。ライブでもない。
今となっては懐かしいこの年の紅白は、例年と違ったたたずまいだった。
まずNHKホールが工事中のため、会場は東京国際フォーラム。そしてコロナ禍ということで、観客は間引かれ、非常に寂しい空気感の中で開催された。
後半戦の途中、紅組・坂本冬美『夜桜お七』のあとを受けて、藤井風が、奇妙な形で画面に現れる。
まずは岡山県の自宅から『きらり』を歌う。キーボードを足に乗せての、実にラフな形での演奏と歌。しかしこれが聴かせる。ラフながら確かなボーカルも魅力だったのだが、私が注目したのはキーボードの演奏だ。
指のタッチが強く、また細かいリズムを完全キープする。妙な表現だが、鍵盤が指にまとわりついている感じすらする。幼少期から呆れるほど鍵盤を叩き続けた者だけが醸し出せるグルーヴだと直感した。
そしてカメラは急に東京国際フォーラムへ。画面右上に「LIVE」の文字。藤井風がゆっくりとステージへ。視聴者にとっては、岡山の自宅から、突然会場にワープしたように見えたのだ(種を明かせば、自宅映像は収録済だったという映像トリック)。
■上手いというより「強い」と感じた理由
突然のサプライズに、会場だけでなく、司会や審査員も驚く中、グランドピアノの前にすっと座って『燃えよ』を弾き語る。
パフォーマンスは圧巻だった。とくにピアノ演奏にシビれた。楽器は自らの弾くピアノだけという逃げ場のない生演奏なのに、鍵盤をまったく見ずに(ここがすごい)、自らの両手を叩き付け、時にはカメラ目線も交ぜる余裕を見せ付けながら歌い続ける――。
いわば「上手い」というより「強い」演奏。その瞬間、藤井風が、紅白を完璧に牛耳った。藤井風で1曲挙げるとすれば、私なら、このときの『燃えよ』だ。
藤井風についてほとほと感心するのは、圧倒的なピアノ演奏に象徴される身体性、フィジカルである。理屈で音楽を再生しているのではなく、身体から音楽が噴出している感じがするのだ。「体幹の強い音楽」だと、いつも思う。これまた妙な言い方だが。
私が思い出したのは岡村靖幸だ。とくに90年前後、身体、本能、神経……圧倒的なフィジカルから、リズム、ハーモニー、メロディ、そしてダンスを噴出させていた姿。
ピアノに両手を叩き付ける藤井風の向こう側に、あの頃の岡村靖幸を、私は確かめた。そして、少しばかり様子がおかしいところもそっくり。
■AIにとっての「最後の敵」
何かというとAIの話、取り立てて詳しくないくせに恐怖ばかり語るのは、年かさの悪い癖だと思いつつ。これからの音楽シーンのことを考えると、やはり「AI恐怖論」を持ち出さざるを得ない。
ただ詳しくないくせに、何となく確信できるのは、AIにとっての最後の敵、つまりボスキャラは人間のフィジカルだということ。
ということは、日本の音楽シーンにおいて、AIにとっての最後の敵は藤井風のライブということになる。
21年9月4日に開催された「Fujii Kaze "Free" Live 2021 at NISSAN stadium」。コロナ禍ということもあり、無観客のだだっ広い日産スタジアムから生配信されたライブ。
芝生の上にグランドピアノがぽつんと1つ。そして圧倒的なフィジカルを駆使して、何かが噴き出る、噴き上がるように弾くわ弾くわ、歌うわ歌うわ。
舞台が舞台だけに、サッカーでいえば日本代表になれるほどの身体能力。
そして、今となってはこう思う。あのライブは、未来永劫AIによって乗っ取られない最後の聖域、サンクチュアリだったのではないかと。
■「ロックってダサい」を覆したアーティスト
「あぁロックだ」「ひっさびさのとびっきりのロックだ」――。
コロナ禍の静けさの中、Vaundyという奇妙な名前の若者の音楽を爆音で聴きながら、そう感じたことを憶えている。
自分の生きてきた記憶と感覚でいえば、80年代までは「ロック」という言葉が、若者音楽文化のど真ん中にあった。しかし、90年代以降「ロック」がワンオブゼムに成り下がった気がする。
その要因しては、もちろん「Jポップ」という、新しい言葉、使い勝手のいい上位概念が登場し、「ロック」がその軍門に降くだったことが大きい。
加えて、たとえば破れたデニムの上下に身を包み、こぶしを振り上げて「オーイエー!」と叫ぶようなステレオタイプの「ロック」に対する抵抗感が発動されたことも影響したはずだ――「ロックって、ダサいよな……(半笑)」。
そんな「ワンオブゼムとしてのロック」のあり方を象徴するのが、あいみょんの『君はロックを聴かない』(17年)という曲だったと思うのだが、それはともかく。
時代が一巡したのだろう。00年生まれ、つまり20世紀と21世紀の継ぎ目のような年に生まれた若者の音楽は、「君はロックを聴かない」時代に「ロック」という空白地帯に堂々と入場し、1つの国を築いた感がある。
■『怪獣の花唄』に見るロック感
まずは、とにかくサウンドが気持ちいいのだ。わかりやすく、シンプルに気持ちいい。
ドラムス、ベースギター、歪ひずんだエレキギター。音の数が少なく、楽器と楽器の間に空間を感じさせるスカスカなアレンジがまたいい。楽器と楽器、音と音をとにかくツメツメに詰め込んだ平成Jポップの対極となる。
ボーカルについては、日本語の発音がかなり歪んでいることが、矢沢永吉、桑田佳祐、佐野元春の正統的な後継者だと感じさせる。
ちなみにVaundyについても1曲選んでおけば、21年の『踊り子』である。とにかくこの曲はイントロだ。ドラムスとベースだけ、スカスカなアレンジの中で、リズムがぐんぐんドライブする。こんなドライブ感、聴いたのはいつぶりだ。キャロル以来じゃないか?
比較的、記憶に新しいのは、22年の紅白で披露した『怪獣の花唄』(発表は20年)だろう。ギンギンで痛快なサウンドをバックにチリチリ頭にパーカーという(ある意味「ロック」への批評性を感じさせる)出で立ちで「そんなもんかい、紅白。行けるよな。行くぜ、ニッポン!」と、いかにも「ロック」な感じで煽(あお)って、視聴者の驚き(そして少しばかりの失笑)を喚起した。
そして私は、個人的にも、しばらく神棚にしまっていた「ロック」という言葉を取り出して、時代が一巡したと確かめたのだ。
Char、原田真二、世良公則&ツイストで「ロック」を知った世代の私が、現段階、令和の時代に携える最新式の音楽が「ロック」だったなんて、何と素敵なことだろう。「あぁロックだ」「ひっさびさのとびっきりのロックだ」。
■「恐るべき子供たち」Vaundy
先に「批評性」と書いたが、つまるところ、Vaundyの魅力は、まさにその批評性にある。「ロックが批評される時代」を批評した音楽――。その結果として、小難しくなるのではなく、ギンギンかつスカスカな「ロック」を打ち出すセンス。
彼のインタビュー発言を読むと、異常にインテリジェントなことに驚く。洋楽・邦楽の歴史にとても詳しいし、正しくリスペクトしているし、さらには、現在の複雑な音楽シーンを俯瞰(ふかん)する能力にも長(た)けている。「恐るべき子供たち」という言葉を想起させる。
しかし、そういう計算ずくの立場から、出目として90年代にさんざんいじられた、こぶしを振り上げて「オーイエー!」と叫ぶステレオタイプの「ロック」に近いものを生み出すのだから、こんなに痛快なことはない。
息子、いや下手したら孫の年齢の若者の音楽に励まされるなんて。長生きはするもんだと思う。そしてここまで「ロック」とカギカッコ付きで書いてきたのを、ロック――と、そっとむき出しにする。
■「売れるかどうか」より優先したいこと
以上、令和の音楽シーンのど真ん中にいる4人の音楽家を見てきた。
彼ら全員に共通して感じるのは、まずは、その「音楽主義」性である。「音楽主義」とは、私による半造語かもしれない。私はよく使うが、他ではあまり見ないのだから。
対義語としては「商業主義」だろうか。もちろん巨大ビジネスを生んでいる4人なのだから、その意味で結果的に彼らは十分に商業主義的なのだが、結果に対する原因、つまりは活動の根源に、非常に高くて強い音楽への意識・志向があるということだ。
具体的にいえば、「まずは売れるかどうかは別として、とにかく自分ならではの独創的な音楽を作りたい!」という意志を感じる。
今から思えば、平成Jポップの商業主義性を支えていたのはタイアップだと思う。テレビドラマやCMとのタイアップによる大量な露出機会がヒット度と比例して、CDが売れに売れた時代。
しかし幸か不幸か、マスメディアのパワーが落ちてきて、テレビも今や「オールドメディア」といわれる始末。そもそもの露出機会が低減してしまった。
そんな中、ネットを通じて、(少なくとも、平成までのマスメディア主導時代に比べれば)民主主義的・草の根的な世評を集めながら、自らの独創的な音楽の力でのし上がり、CDに比べて、利益率が悪いといわれるサブスク時代に君臨した。
■「机上で作られた音楽」を超えていく
もちろん平成Jポップ界にも「自分ならではの独創的な音楽を作りたい!」と思っていた音楽家はたくさんいただろう。しかし異なるのは時代である。マスメディアの後ろ盾が崩れつつある中、「自分ならではの独創的な音楽」そのものでしかのし上がれない時代をサバイブしてきた生命力を感じるのだ。4人には。
加えて、とくに藤井風のところで書いた「フィジカル」性も、4人全員に共通して感じられるポイントである。
たとえば、4人のボーカリストとしての実力。総合的な作品性が前面に出るため、ボーカリスト単体として十分に語られていないふしがあるが、全員、歌の実力、つまり音程、声量、表現力……は非常に豊かで、また他の誰とも似ていないボーカルスタイルを確立している。たとえ楽器なし、マイク1本でも、その「音楽主義」を何とか表現しそうな気がする。
今やポップスは、いうまでもなくデスクトップ・ミュージックである。デジタルの中での入力と編集の中で制作されていく。
しかし、そんなデジタルプロセスの根幹に卓越したフィジカルがあるかないか、が問われる時代が来ていると思う。いや、来ているからこそ、彼ら4人の作品が輝いているのではないか、という気がする。
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スージー鈴木(すーじーすずき)
音楽評論家
1966年大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。ラジオDJ、野球文化評論家、小説家。音楽評論の領域は邦楽を中心に昭和歌謡から最新ヒット曲まで幅広い。著書に『沢田研二の音楽を聴く 1980-1985』(日刊現代)、『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『幸福な退職』(新潮新書)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)など多数。
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(音楽評論家 スージー鈴木)

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