■頓挫した「世界最大の垂直都市」
容積比にして、エジプト・ギザの大ピラミッドの実に約25個分。
サウジアラビアが首都リヤドの砂漠に計画した、一辺400メートルの巨大立方体ビルだ。その名を、アラビア語で立方体を意味する「ムカーブ」という。
一つの「都市」とも呼ぶべきこの巨大建造物には、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルが20棟、すっぽりと収まる。延床面積は、東京ドーム約43個分に相当する200万平方メートル。住宅や9000室のホテルのほか、商業施設にオフィス、没入型シアター、美術館など80もの文化施設がひしめく構想だ。
キューブ内部はドーム状にくり抜かれた中空で、中央にはバベルの塔を思わせる奇抜な巨大タワーがそびえる。完成予想図によれば、キューブの壁面には一定の厚みがあり、この部分がビルとして機能する想定とみられる。最高地上400メートルの高さにまで展開する「垂直都市」が計画されていたと、イタリア建築・デザイン誌のドムスは伝える。
中でも目を引くのは、建物の内部にそびえる巨大なホログラフィック・ドームだ。直径も高さも340メートルで、東京タワーがドーム内にほぼまるごと収まる。500室規模のホテルが計画されており、壁面全体にホログラム映像を投影することで、宿泊客をあたかも世界各地にいるかのように「連れていく」仕掛けだった。
ところが今年1月、ムカーブ全体の工事が凍結されたことが明らかになった。
■壮大な構想の進捗は「0.2%」
ムカーブの建設はすでに中断され、資金調達の可否と実現性の見直しが進められているという。ロイター通信が4人の関係者の証言をもとに伝えた。ムカーブは完成すれば地球上で最大の建造物となるはずだった。国家の威信を賭けたプロジェクトは、なぜ一時中止に追い込まれたのか。
リヤドの新都心「ニュー・ムラッバ」地区の総事業費は、不動産コンサルタントのナイト・フランクの試算によると、約500億ドル(約8兆800億円。6月26日現在のレート、1ドル161.70円で換算、以下同)。ヨルダン一国のGDPに匹敵する規模だ。
だが、計画凍結前までに発注済みの工事は、わずか約1億ドル(約161億円)と、全体の0.2%にすぎない。
当初の完成目標は2030年。それが2040年へと、一気に10年先送りされた。住宅10万4000戸の整備と33万4000人の雇用創出を掲げた青写真も、宙に浮いた格好だ。
計画凍結の原因は、資金源に赤信号が灯ったことである。国家戦略「ビジョン2030」の旗印の下、ムカーブを含む大型開発に資金を投じてきた政府系ファンドのPIF(公共投資基金、運用資産約9250億ドル=約149兆円)は、巨大プロジェクトへの投資で3年間に計約80億ドル(約1兆2900億円)の評価損を計上していたことが2024年の年次報告で判明した。
■夢を諦めたサウジアラビア政府
ロイター通信は昨年10月、PIFが物流・鉱業・AIなど短期的に収益が見込める分野へ軸足を移していると報じていた。壮大な構想を捨て去り、手堅い収益を追求する姿勢へと、PIFは明らかに路線を転換しつつある。
ムカーブだけではない。サウジ政府が経済改革の柱として推進する「ギガプロジェクト」と呼ばれる超大型開発全体で、財布の紐が絞られつつあった。
UAE英字日刊紙のガルフ・ニュースが昨年6月に伝えたところでは、2025年のギガプロジェクト向け発注額はわずか40億ドル(約6470億円)。前年の240億ドル(約3兆8800億円)から実に6分の1に激減した。
構想では、ムカーブを中心に据える形で「ニュー・ムラッバ」地区が造成されるはずだった。
だが、地区全体のデベロッパー(開発主体企業)であるニュー・ムラッバ・デベロップメント・カンパニーのマイケル・ダイクCEO自身の発言の変遷をたどれば、このプロジェクトが徐々に勢いを失ってきた経緯が手に取るようにわかる。
イギリス人のダイク氏は昨年3月、カンヌの不動産見本市MIPIMで欧州不動産投資メディアのリアル・アセット・インサイトの取材に応じ、東京ドーム約32個分の容積にあたる約4000万立方メートルの掘削を終えたと胸を張った。夏から建設工事に着手すると述べ、完成目標は2030年だと強調した。
■大口を叩いたCEOが漏らした本音
10月には完成目標についてさらに踏み込んだ。中東湾岸ビジネス誌のアラビアン・ガルフ・ビジネス・インサイトによると、ダイク氏はムカーブを「人類史上最も複雑な構造物」と認めたうえでなお、「2030年12月31日まであと2283日。その時点でダウンタウンの中核は稼働し、ムカーブは完全に機能した状態になる」と確約している。
ところが同じ10月、ダイク氏はトーンを後退させた。英国全国紙のタイムズによると、ダイク氏はリヤドの未来投資イニシアチブ(FII)で、「完成は名目上2040年だが、さらに後ろ倒しにするかもしれない」と語った。「スピードを上げる前に、いったん減速する判断を下した。大々的に宣伝しておきながら実態が伴わないのが最悪だ」とも述べている。2030年完成までのカウントダウンを自ら行った矢先に、完成が10年先送りされたことになる。
12月、リヤドの会議。ロイター通信によると、ダイク氏はなおも、「ムカーブに足を踏み入れれば、別世界に入ることになる」と聴衆に語りかけたが、その直後、「今日この世に存在しないものを実現しようとしている。かなり難しい」と本音を漏らした。
そして今年1月、ロイター通信は掘削と杭打ちを終えた段階で工事が凍結されたと報じた。プロジェクトがこの先どうなるのか、いまだ見通せない。
■壮大なのは構想だけ
サウジが巨大開発で挫折を味わうのは、ムカーブが初めてではない。何度も繰り返されてきたパターンに、新たな事例が加わったに過ぎない。
昨年10月、リヤドで開催された大規模な投資フォーラムで、当局者たちの口調にかつての勢いはなかった。タイムズによれば、あるサウジ当局者は、「資金を使いすぎた。時速100マイルで突っ走った。今は赤字を抱えている。優先順位を見直す必要がある」と認めた。
こうした挫折を象徴するのが、サウジ北西部で進む未来都市「ネオム」計画の目玉、「ザ・ライン」の大規模縮小だ。紅海のリゾート地ネオムから内陸に向かって全長170キロメートル、すなわち東京から静岡に達するほどの距離にわたり、鏡張りの直線型都市を築く。150万人を住まわせる、壮大な構想だった。
ところが、実際には建設規模が段階的に縮小。最新の状況では、わずか数キロメートルにまで計画が後退し、2030年までの想定居住者も約30万人に引き下げられている。さらに、今年5月22日には米国拠点のデジタルニュースメディアのセマフォーが、同年までの目標人数が最大10万人へと再度引き下げられたとスクープした。
630億ドル(10兆2000億円)規模のディリヤー開発計画を率いるジェリー・インゼリッロ氏は、「2040年の生活の質がどのようなものになるかを探る実験室として位置づけたほうが、より正確だったかもしれない」と、現実の不動産プロジェクトと位置づけたこと自体が不適切だった可能性を認めている。そっくりそのまま、ムカーブにも当てはまりそうな弁明だ。
加えて、紅海に浮かぶ島型リゾートの「シンダラ」も劇的な顛末を迎えた。ネオム計画の一角として建設された10億ドル(約1610億円)規模の施設で、世界最大級のスーパーヨットを収容するマリーナを備えていた。2024年のVIP向け開業パーティーには歌手のアリシア・キーズ、俳優のウィル・スミスも駆けつけた。
■皇太子の逆鱗に触れた「ワニ革の内装」
だが華やかな宴の直後、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子は自らシンダラの閉鎖を命じた。
親プロジェクトである壮大なネオム計画の旗を振るのはムハンマド皇太子自身だが、なぜか豪奢な造りに立腹したようだ。閉鎖の判断が最も「無駄遣い」につながるとも考えられるが、真意は知れない。
こうした騒動の末、国際企業もまた、容赦ない契約破棄という巻き添えを食らった。米建設業界専門誌のエンジニアリング・ニュース・レコードが今年3月に報じたところでは、ネオムの開発当局は総額60億ドル(約9700億円)を超える契約を一斉に解除している。
打ち切られたのは、イタリアのウェービルドが手がけていた山岳リゾート地区「トロヘナ」の根幹を握るダム3基と、同リゾートの建築構造物である「ザ・ボウ」。さらには、マレーシアのエバーセンダイによる鉄鋼供給、韓国・現代建設の全長12.5キロメートルの複線トンネルなど多岐にわたる。トロヘナで開催予定だった2029年アジア冬季競技大会も白紙に戻り、開催地をカザフスタンに譲った。
タイムズによると、遠大な計画を広げては風呂敷を畳む体質を、ドバイの方式に影響された「ドバイ病」と揶揄する向きもあるという。サウジのある実業家は、同誌の取材に対し、「弱点があった。誇大宣伝と派手さだ」と指摘している。
■灼熱の砂漠に密閉ビルという矛盾
計画の中断以前から、そもそも構想に無理があったとの指摘もある。
ムカーブを擁するニュー・ムラッバ計画が掲げる看板は「持続可能なスマートシティ」だ。だが、その中心に据えられたムカーブの設計を見れば、この看板と真っ向から矛盾していることは明らかだ。
サウジ政府は気候変動対策として「サウジ・グリーン・イニシアチブ」を掲げ、都市に緑のオープンスペースを整備する目標を打ち出している。ところがムカーブは、四方と天井を壁に囲まれた閉鎖空間だ。年間を通じて冷房と人工照明なしには成り立たない。両者はおよそ相容れないと、米シンクタンクのアラブ湾岸諸国研究所は指摘する。
しかもサウジアラビアは、世界有数の水不足地域である。そのサウジにあって、この規模の施設を維持するには、膨大な水の工面が欠かせない。
環境面で懸念されるのは、それだけではない。建設時に生じる大量の廃棄物、資材の輸送や稼働時の炭素排出も避けられない。首都の中心部にこれほど巨大な建築フットプリント(建物が地表に占める面積)を投じれば、砂漠とはいえ既存の生息環境が破壊され、地域の生態系を損なうリスクもあると同研究所は警告する。
■「サステナビリティ」は見せかけだけ
これほど矛盾が明白でありながら、なぜ「持続可能」の看板を掲げ続けるのか。同研究所は、より根本的な批判があると紹介している。一部の研究者たちは、湾岸地域の指導者が、「近代性と技術的先進性、そして福祉の余裕というイメージを打ち出し、正当性と権力を固める」ための道具として、「サステナビリティ」の言説を繰り返し利用しているにすぎないと批判する。
すなわち、環境への配慮を演出しつつ、社会的な課題には目を向けない、いわゆる「グリーンウォッシング」(見せかけだけの環境配慮)だという指摘だ。
批判が相次ぐなかでも、建築の専門家のあいだには、ムカーブが都市の新たな象徴になりうると見る声がある。
コロンビア大学建築学科の非常勤教授で、アラブ湾岸諸国研究所の非居住フェローも務めるヤセル・エルシェシュタウィ氏。ムカーブの設計コンペに招かれたチームの一員として、自ら設計に携わった経験を持つ人物だ。
2023年2月、彼はサウジアラビア英字紙のアラブニュースの取材に対し、「欧米やアラブの観察者にはこうしたプロジェクトを一蹴する傾向がある」と認めつつも、「客観的に見ればそれ以上のものだ。真剣な思考が伴っている」との持論を示した。
■岐路に立つ「リヤドのエッフェル塔」
エルシェシュタウィ氏によれば、ムカーブではVR(仮想現実)の最新技術を活用した「前例のない体験」を味わうことができ、リヤドにとって、「エッフェル塔やシドニー・オペラハウスのように、その都市とひと目でわかる唯一無二のアイコン」になるという。
いまや都市の象徴とされる建築物でも、当初は酷評にさらされた例は少なくない。1889年に完成したパリのエッフェル塔も、市民や芸術家から、「建築上の汚点」と非難を浴びた。
エルシェシュタウィ氏はアラブ湾岸諸国研究所に寄せた2025年4月の論考で、1世紀以上を経たいま、エッフェル塔抜きにパリを思い描くことはほぼ不可能だと指摘し、ムカーブも、「リヤドにとってのエッフェル塔になり得る」と論じている。ただし、「それを実現するにはより持続可能なデザインが必要だ」という条件つきだ。
もっとも、エルシェシュタウィ氏自身も、ムカーブの巨大さから来る周囲への圧迫感には懸念を隠さない。新都市の中心部に、金色と黒の文様で覆い尽くされたキューブが直立する様子は、異様というほかない。
同氏は、一辺約230メートルの大ピラミッドが威容を保てるのは、都市の周縁部に位置するからこそだと認める。住宅地のただ中にそびえる一辺400メートルの立方体にあって、同氏が懸念するように「不可解で圧迫的なモノリス(巨大な塊)」にならない保証は、どこにもない。
■住宅10万戸の空約束
ギガプロジェクトの華やかさとは裏腹に、リヤドの住宅市場では一般国民の暮らしが追い詰められている。
ニュー・ムラッバ地区が掲げた10万戸超の住宅供給計画。だが実際に建つのは、高級物件ばかりだ。中東ビジネス情報誌のMEEDが2025年10月に報じたところでは、新築住宅の価格帯は200万~400万サウジリヤル(約8640万円~1億7200万円。6月26日現在のレート、1サウジリヤル43.2円で換算、以下同)に集中している。ところがサウジの家庭の3分の2にとって、購入予算の上限は約120万リヤル(約5180万円)と、大幅な乖離がある。新築の大半は、そもそも手が届かないのだ。
住宅価格はなおも上がり続けている。不動産コンサルタントのナイト・フランクによれば、リヤドのアパート価格は2024年だけで約11%跳ね上がった。それでも人々が手にする給与はほとんど変わっていない。住宅価格が所得からかけ離れていく一方で、住宅の購入を計画している家庭の割合は2023年の40%から2024年にはわずか29%へと急落した。家を買うという選択肢を、多くの人々があきらめつつある。
だが、デベロッパーが追い求めるのは、あくまで利幅の厚い高級仕様の大型物件だ。このギャップの結果として、政府が本来最も支援すべき若い中間所得層の家族が、置き去りにされている。投機的な土地取引で地価はさらに吊り上がっており、最終的にそのツケを払わされるのは購入者だ。海外デベロッパーが持ち込むプロジェクトも、地元の家庭よりグローバル投資家や駐在員の需要を当て込んだ設計が目立つと、MEEDは指摘する。
■専門家の警鐘どおり進む「富裕層だけの街」
エルシェシュタウィ氏はムカーブ発表直後の2023年2月、アラブニュースの取材に対し、「この開発が、富裕層のためのエンクレーブ(特定の層だけが住む、周囲から隔絶された排他的地域)と受け取られてはならない」と警鐘を鳴らしていた。現実のリヤドでは、まさにその懸念どおりのことが起きている。
実際、サウジの国民生活への影響は大きい。
リヤドに住む若い事務管理職のシャハド・アル・ガムディ氏が、アラブニュースに苦境を打ち明けた。「家族でこのまま賃貸を続けるのはほぼ不可能です。こぢんまりしたアパートの家賃だけで月給の大部分が消え、ほかの出費に回す余裕がほとんどありません」。長い目で見れば、いっそローンを組んで家を買ったほうが安上がりではないかと、真剣に検討しているという。
リヤド中心部の家賃相場を見れば、その切実さがよくわかる。同紙が2024年7月に不動産大手CBREのレポートをもとに伝えたところでは、1ベッドルーム(日本の1LDKなどに相当)のマンションで平均月額5000サウジリヤル(約21万6000円)超。3ベッドルーム(3LDKなどに相当)ともなれば、月1万リヤル(約43万2000円)に達する。中間層や低所得層は、急騰する家賃に苦しむ。
■サウジアラビアで深刻化する「家賃値上げ」
サウジで働く外国人駐在員のラモナ・ハーモン氏も、同紙に過酷な体験を語った。大家から一方的に、賃料を58%引き上げられたのだという。
現地では契約更新時の値上げ幅は5~10%が上限の目安とされるが、その常識からかけ離れた水準である。政府運営の賃貸プラットフォーム「Ejar(イジャール)」に報告したが、返ってきたのは「新規リース契約での値上げを禁じる法律はない」という素っ気ない回答だった。借り手には、法の後ろ盾などどこにもなかったのだ。
こうした深刻な事態を受けて、ついにムハンマド皇太子も動いた。サウジ系ニュースサイトのアル・アラビーヤ英語版が昨年9月に報じたところによると、皇太子の指示のもと、サウジ政府はリヤドの住宅・商業賃料を5年間凍結する王令を発布。同月25日に発効し、既存・新規を問わずすべての賃貸契約で家主都合による値上げが禁じられた。
■消費税3倍に戸惑う国民
家賃問題が一段落したとはいえ、サウジの国民生活は安泰には遠い。
サウジアラビアは1970年代の石油ブーム以降、「レンティア国家」であり続けてきた。石油など天然資源からの収入(レント)に依存し、国民には課税せず、富を分配する国家体制だ。潤沢な原油マネーで手厚い福祉と非課税の給与を提供し、王室は国民の支持を得てきた。
絶対君主制の下、選挙はなく、国民には指導者を選ぶ権利がない。代わりに、王室が石油の富を分け与える。米シンクタンクのベーカー公共政策研究所はこの構図を、国庫から国民の財布への「一方通行のカネの流れ」と表現する。
しかしいまや、国民がカネを差し出す側に回った。
同研究所が2020年に伝えたところでは、サウジ政府は原油収入の急落を受け、270億ドル(約4兆3600億円)規模の緊縮策に踏み切った。石油依存からの脱却を掲げたはずの国家戦略「ビジョン2030」の予算さえ80億ドル(約1兆2900億円)削り、棚上げせざるを得なかった。ビジョン2030にはムカーブほか、前述の未来都市ネオム計画が含まれる。
政府は緊縮策の柱として、付加価値税(VAT、日本の消費税に相当)の3倍増に踏み切った。2018年に5%で導入した時点ですでに物議を醸していた税率を、ガソリン、食料品、住宅売買、民間医療を含むほぼすべての品目で一気に15%へ引き上げたのだ。産油国でありながら、日本の消費税率を上回る。
■食いつくされる政府予算
一連の負担増を、かつてのサウジ国民なら「まずもってあり得ない」と考えていただろう。
それだけでなく政府は、公務員向けの生活手当も廃止した。2018年にエネルギー補助金を縮小した際、その埋め合わせとして導入した月額270ドル(約4万3600円)の手当だ。
こうした施策をもってしてもなお、政府は財政赤字を止められずにいる。タイムズは昨年10月、政府が同年の財政赤字見通しを当初の2倍以上にあたる約650億ドル(約10兆円)へ引き上げたと報じた。
資金繰りに追われる閣僚らは、数百億ドル規模の融資交渉に奔走している。ハリド・アル・ファリハ投資相は、「ギガプロジェクトが、政府から多くのリソースを奪っている」と認めた。開発を推し進めてきた閣僚の口から出た言葉だけに、事態の重さを物語る。
この危機の根底にあるのが、原油価格をめぐる埋めがたい落差だ。エンジニアリング・ニュース・レコードによると、サウジが財政赤字を免れるには、原油が1バレル90~110ドルで取引される必要があるところ、実際には60~70ドル台にとどまっている。必要な水準のおよそ3分の2に過ぎない。
政府系ファンドのPIFも深手を負っている。タイムズによると、PIFのギガプロジェクト投資残高は前年比で12.4%減少した。エンジニアリング・ニュース・レコードによれば、ギガプロジェクトへの投資で3年間に計80億ドルの評価損を計上している。
■国家プロジェクトが国民を苦しめている現実
「ムカーブの中に入れば、別世界へ運ばれる」と、デベロッパーのダイクCEOは豪語していた。
2024年の観光フォーラムでの発言を、アラビアン・ガルフ・ビジネス・インサイトが伝えている。ダイク氏は、直径も高さも340メートルに達するホログラフィック・ドームが生み出す没入空間は、「別世界への入口として有名になる」と胸を張った。
だが、ギガプロジェクトへの過剰投資でPIFは資産の大幅な毀損に見舞われ、政府は膨らむ財政赤字を増税と給付削減で埋め合わせるほかない。国民は自ら、家計の負担増でそのツケを払わされている。
こうした事実を踏まえれば、「世界最大」の看板を追い求めてきたムカーブなどサウジの開発モデルが根本から破綻していることは、もはや否定しようがない。石油依存からの脱却を図ったビジョン2030だが、歯止めをかけることなく構想を広げ続けた結果、図らずもかえって国家の財政を危機に晒すこととなった。
皮肉にも、ダイク氏の予言通りになったと言えるかもしれない。ムカーブはたしかに「もう一つの世界への入口」となった。ただし、国民が連れて行かれた先は、黄金建築のドーム内に映し出される幻想的な世界とはほど遠い。住宅高騰と増税、給付削減にあえぐ、もう一つの現実世界であった。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)

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