りんと直美という2人の看護婦を主人公にした朝ドラ「風、薫る」(NHK)。その原案本を書いた田中ひかるさんは「ドラマの直美のモチーフは鈴木雅さん。
りんのモチーフの大関和さんと同じく士族の娘だったが、直美はみなしごという設定になり、当時の様々な境遇の女性たちが描かれることになった」という――。
■原案本の作者が見る「風、薫る」
NHK連続テレビ小説「風、薫る」は、見上愛さんが演じる「一ノ瀬りん」と上坂樹里さんが演じる「大家直美」が、疫病、災害、戦争の時代をトレインドナース(看護婦、現在の看護師)として生き抜いていく姿を描くドラマである。
拙著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)が原案となっているが、「原作」ではなくあくまで「原案」である。そのため、脚本にはアレンジが加えられており、私はこのドラマがこの先、どう展開していくのかを知らない。だからこそ毎日、一人の視聴者としてドラマを楽しんでいる。
さて、りんは「大関和」、直美は「鈴木雅」という実在したトレインドナースをモチーフとしている。りんは、モチーフの大関和と同じく「元家老の娘」という設定だが、直美の設定はモチーフの鈴木雅とは大きく異なる。雅は幕臣の娘で、明治維新後にミッションスクール(現在のフェリス女学院)で学んだあと陸軍の軍人と結婚。娘と息子をもうけるも、夫が病死したため、28歳で看護学校へ入学している。
■直美のモチーフは士族の娘だった
一方、ドラマの直美は、女郎が教会に置き去りにした「みなしご」という設定である。いくつかの教会を転々としながら育ち、原田泰造さんが演じる吉江善作牧師のもとに落ち着いた。
士族と「みなしご」では、ほとんど真逆の設定なのだが、これには理由があろう。
主人公を2人とも士族とするよりも、立場を変えた方が当時の女性の多様な人生を描きやすい。現に直美が「みなしご」であることで、教会の存在や長屋、遊郭、低所得者層が働く工場などを説明ぬきで描くことができた。
そしてもう一つ、私は直美の「みなしご」設定から、あるメッセージを受け取ったように感じた。それは、直美が看護実習先で出会う、ある女性とのエピソードに描かれていた。
■セツの言葉が解いた「みなしご」の呪縛
吉江牧師のもとで成長した直美は、長屋で暮らしながら、マッチ工場で働いていた。「私には何もない」とやさぐれた生活を送っていたが、多部未華子さんが演じる大山捨松と出会ったことが転機となり、一念発起して看護婦養成所へ入学する。
同じ養成所に入ったりんに直美は少しずつ心を許し、自分の母親が女郎だったことを明かす。捨てられたときに身に付けていた「浦崎八幡」と書かれたお札を大切にしているが、自虐的に「みなしご」という言葉を使い、周囲には自分を捨てた母親を恨んでいる素振りを見せていた。
■直美のみなしご設定が描いたこと
あるとき、直美たちが看護実習を行っている大学病院に、村上穂乃果さんが演じる「夕凪(ゆうなぎ)」という女郎が担ぎこまれてきた。客が服毒による無理心中を図ろうとしたのである。医師は夕凪には目もくれず、客の男性の治療を優先するが、男性は死亡。夕凪、本名「セツ」は、直美の手厚い看護を受けて、一命を取り留めた。

当初は投げやりな態度だったセツも、直美の優しさに心を開くようになる。直美は、自分の母親は女郎で、男と逃げた末に生まれたのが自分だとセツに打ち明けた。
ある日、病院の中庭のベンチで、セツは直美にこう語りかける。
「みなしごだったんだよね」
直美が、いつも首にかけているお札を見せると、セツはこう続けた。
「私は……産めなかった。子ができたとわかったとき、どうやったら産めるのか考えてみたけど。怖くて……産めなかった。……よっぽどあんたに会いたかったんだね、おっかさん」
直美はその言葉に衝撃を受けたのだろう。たっぷり20秒以上の沈黙があった。そして最後、じんわりと涙ぐむ。6月11日放送の第53回の最後のシーンである。
■実母の思いを知った感動の場面
直美は生まれてこの方、母を慕いつつも、捨てられたことを恨んでもきた。
しかし、セツから女郎が子を産むことの難しさを聞かされたことで、産んでくれたこと自体が大いなる愛であったことに気が付いたのだ。「よっぽど、あんたに会いたかったんだね、おっかさん」というセツの言葉によって、母親に捨てられた哀れな子という否定的な自己認識が、劇的に変化した瞬間であった。
直美の母親が、なぜ直美を育てることができなかったのかはわからない。しかし、直美を託したのが教会であったことから、できるだけ安全な場所で育ってほしいと願っていたことはたしかである。
直美とセツのこのエピソードは、やむにやまれぬ事情で子どもを捨てざるをえない母親がおり、それは責められることではないということを伝えている。これは明治時代の女郎の話で、しかもフィクションだが、現在にも通じる話なのだ。
■「こうのとりのゆりかご」を訪ねて
この直美とセツのエピソードが放送される少し前、私は熊本県看護協会主催の講演のため、熊本市を訪れた。講演後、会長、副会長にお願いし、市内にある医療法人聖粒会慈恵病院へ連れて行っていただいた。
慈恵病院は、「こうのとりのゆりかご」(通称「赤ちゃんポスト」)(以下、「ゆりかご」)を運営する病院である。「ゆりかご」は、2007年の開設以来19年の間に、保護者が育てることのできない乳幼児200人の命を救ってきた。居住地が判明している中では、東日本からの受け入れが多かったが、昨年度は開設以来初めて、東日本からの受け入れがなかった。昨年3月に東京都墨田区の賛育会病院が「いのちのバスケット(ベビーバスケット)」を開設したことが関係しているようだ。

それにしても、これまで慈恵病院の「ゆりかご」を頼りに東日本から訪れる人たちがおおぜいいたという事実には考えさせられる。
■現代でも子を育てられない母がいる
私は病院で、赤ちゃんを模した人形を抱いて、「ゆりかご」への預け入れを体験した。緩やかなスロープを進み、「ゆりかご」の扉を開けて中のベッドに赤ちゃんをそっと寝かせる。ベッドはほどよい温度に保たれていた。赤ちゃんを置くと、すぐにナースステーションに知らせが届く仕組みになっており、看護師さんや助産師さんが駆けつける。
母親がその場で泣き崩れていることも多いそうだ。母親が落ち着いて話ができるようにと、「ゆりかご」の奥には応接室が設けられていた。
新生児室へも案内していただき、最近「ゆりかご」に預けられたという2人の赤ちゃんを抱っこした。2人とも生まれた直後に預けられたとうかがった。出産直後の産婦は安静が当たり前だ。出血もあり、骨盤が緩んでいるため、ふだんと同じようには歩けない。そんな状態で、一人で赤ちゃんを抱いて「ゆりかご」へやってきた母親たちは、決して「子どもを捨てる無責任な親」ではない。
以前は、東日本から遠路やってくる母親もいたのだ。命懸けといっても過言ではない。残念ながら、この距離が障害となって失われた命もあっただろう。「ゆりかご」のような救済施設がもっと必要ではないだろうか。
■「風、薫る」で描かれる母娘の物語
ドラマの直美とセツのエピソードも、慈恵病院の「ゆりかご」へ赤ちゃんを預ける母親たちの実態も、同じ一つのことを語りかけている。やむにやまれぬ事情で、自分の子どもを育てられない母親たちがいるということだ。
世間から見れば、そして子どもからすれば、それは無責任な母親ということになるのかもしれない。直美自身も長いあいだ、自分を捨てた母親を恨んできた。しかし、慈恵病院の「ゆりかご」にやってくる母親たちの実態は、そうしたイメージとは大きく異なる。出産直後の体で、命懸けで赤ちゃんを抱いてやってくる彼女たちは、決して子を見捨てたのではない。せめて安全な場所で生きてほしいと願った末に、わが子を託しているのだ。
直美の母親が娘を教会に預けたことと、いまを生きる母親たちが遠い熊本の「ゆりかご」を頼ってやってくることは、百数十年の時を隔てても、その根にあるものは変わらない。
明治を舞台にしたフィクションとして描かれた物語は、現在にも通じている。
ドラマで直美が、セツの言葉によって母親の愛情を悟ったように、私たちもまた、「捨てる」という行為の奥にある、祈りにも似た思いに目を向ける必要があるのではないだろうか。
果たして、直美はいつか母親と巡り合えるのだろうか。そして自身も、母親となるのだろうか。もう一人の主人公りんと、娘の環との関係も、この先どう描かれていくのか。「風、薫る」は、トレインドナースたちの物語であると同時に、幾組もの母と娘の物語でもある。明治を生きる彼女たちの姿に、いまを生きる母と子の姿を重ねずにはいられない。

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田中 ひかる(たなか・ひかる)

歴史社会学者・作家

1970年東京生まれ。歴史社会学者・作家。博士(学術)。女性に関するテーマを中心に、執筆・講演活動を行う。著書にNHK連続テレビ小説「風、薫る」原案の『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)のほか、『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』(中央公論新社)、『生理用品の社会史』(KADOKAWA)など。2026年4月、大関和や看護の歴史について子どもたちにも知ってもらいたいと『ナイチンゲールの風が吹く 大関和と近代看護の物語』(小学館)を刊行。

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(歴史社会学者・作家 田中 ひかる)
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