本稿は、阿川佐和子『年とる力』(文春新書)の一部を再編集したものです。
■養老孟司さんが説く「3種類の死」
先輩や友だちの話を聞いて、自分の将来の参考にすることはかろうじてできますが、不可能なのが「死」についての事前の覚悟でしょうか。
養老孟司さんが、「死」には三つの種類があるとおっしゃいました。
一人称の死、二人称の死、三人称の死。
一人称の死とは自分の死。これは簡単。夜、寝て、朝、目覚めなければ、死んだということ。自分で「あ、死んだ」と自覚できないのだから、これはもうあってないようなもの。三人称の死は、世界中のあらゆるところで死んだ人のことだから、これもほとんど自分とは無関係です。
いちばんやっかいなのが二人称の死。家族や親しい人の死と向き合うのがいちばんつらいのだと。
なるほど。
■なぜ伝説のギタリストは「癌」を望んだのか
これもだいぶ昔、元ザ・スパイダースのギタリスト、井上堯之さんにお会いしたとき、まだお元気な頃だったのですが、
「僕は死ぬなら癌になりたい」
とおっしゃったのでびっくりしたことを覚えています。
当時は今よりさらに、癌になったら苦しいと言われていたので、そんな痛い思いをして死ぬのは嫌だと私は思っていたのです。それより心臓発作かなにかで突然、クッと息が止まって「さっきまで元気だったのに死んじゃった」という死に方のほうがはるかに望ましく思われたのですが、井上さんは、
「だって癌になったら死ぬまでに猶予期間があるでしょう。あと余命半年と言われたら、その間にいろいろ片づけたり家族と語り合ったりと、ゆっくり時間をかけて死ぬ準備をすることができる。突然死んだら何も準備ができないもの」
そういう考えがあるのかと驚きました。
■母の死に直面して、思い直したこと
未だに私はこの井上さんの考え方に賛同できない部分はありますが、ただ、死に向かう人の身になってみれば、そして何よりその姿を見送る家族や友人の気持、すなわち最もつらい二人称の死に直面する人たちの気持を想像してみれば、もしかすると「余命」を宣告されることは、理想的な死であるのかもしれないと思い直しました。
母の死に直面したとき、ささやかながらそんなことを思いました。
母が亡くなる5年前に父は他界しました。そのときすでに94歳で、高齢者病院に入っていたので、突然の死というわけではなかったのですが、父の危篤の知らせを受けたとき、私は仕事があってすぐに駆けつけることができませんでした。
すでに心臓は止まっていましたが、触るとまだ温かい。もしかしてまだ聴覚は生きているのではないかと思い、
「お父ちゃん! 印税、30万円入ったよ!」
と、顔を近づけて大声で叫んでみたのです。というのも、その数日前に、珍しく父の文庫本が増刷になったという知らせを受けて、父に伝えたところだったからです。
■父の亡骸を前に「印税額」を叫んだ
「いくら入った?」
父はけっこうギャラに関心の高い人でした。私が「講演をした」と報告すると、
「ほう、どんな話をしたんだ?」
と問うのが普通の親だと思うのですが、父は違いました。たいがい、
「いくらだった?」
と聞くのです。なんのこっちゃ。まあ、娘がちゃんと生計を立てられているのかと案ずる親心も含まれていたのでしょう。と、解釈しておきます。
とにかく亡くなる数日前、増刷で入る印税の額は知らなかったので、「あとで調べておきます」と返答し、次の見舞いのときにでも伝えようと思っていたのです。そうしたら死んじゃった。
しまった、言いそびれた。でも、人間は最期まで耳は聞こえるという話を聞いたことがあったので、父の亡骸を前にして大声で叫んでみたのです。金額を聞いて喜んで生き返るかもしれない。しかし、振り込まれた額を報告しても、生き返ることはありませんでした。
だからというわけではないけれど、父が死んだ現実を前にして、そのときは涙が溢れた覚えがあります。
ところがその5年後に母が亡くなったとき、私は泣かなかったのです。母も父が最期を迎えたと同じ、よみうりランド慶友病院に入院しておりました。コロナ禍の最中であったにもかかわらず、「もう最後の面会になるかも」ということで、特別に母の病室に入れてもらうことができました。
■大好きな母の最期に泣かなかったワケ
下の弟と二人、夕方4時頃から母のベッドのそばで容態を見守りました。ときどき声をかけてみますが、酸素吸入器をつけた母から反応はありませんでした。まだ生きているな。あ、だいぶ血圧が下がってきたぞ。
弟と二人で母の手を取り、
「よく頑張ったね」
とか、
「バイバイ」
とか、
「あんまり早くお父ちゃんのとこに行っちゃだめよ。またこき使われるからね」
とか、冗談も交ぜながら声をかけ、最後のお別れをしました。
が、そのときは私だけでなく弟も涙を流すことがなかった。私は母が大好きだったので、むしろ父のときよりも悲しむだろうと予測していたのですが、さほど感情が乱れることはなかったのです。
もちろん寂しく空しい気持はあったのですが、動揺するほどではなかった。それはおそらく、たった7時間ほどとはいえ、母の最期にずっと付き合うことができたからではなかったか。弟も同意見でした。突然、訪れる家族の死より、じゅうぶんに見送ることのできたときの二人称の死のほうが、心の準備が整うのかもしれない。
そのとき井上堯之さんの言葉をふっと思い出したのです。
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阿川 佐和子(あがわ・さわこ)
エッセイスト
1953年、東京都生まれ。
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(エッセイスト 阿川 佐和子)

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