新卒1年目の社員に年収600万円を支払うバス会社がある。高速バス大手のWILLER EXPRESS株式会社(東京都江東区)はドライバーの採用で、大卒の未経験者に業界平均の453万円を大きく上回る給与を提示し、応募が殺到している。
ドライバーの高齢化に苦しむ業界では珍しくない人手不足対策に見えるが、平山幸司社長(56)の答えは違った。フリーライターの島袋龍太さんが取材した――。(後編)
■️高給を払っても「未経験の若者」を集めたい
新卒入社1年目で年収600万円。
大手IT企業や外資系投資銀行など、新卒社員に年収1000万円超を提示する企業も現れつつあるが、それでもなお「600」という数字は魅力的だ。日本人の年収の中央値は350~400万円。年収600万円は全体の上位20~25%にあたる。大学を卒業したばかりの22、23歳の若者には破格の額に違いない。
しかも、過酷な営業ノルマや過重な労働時間が課されるわけでもない。そんな仕事が一体どこに。それが高速バス事業を手がけるWILLER EXPRESSのバス運転士だ。いま、同社の新卒採用求人には募集を一時停止せざるを得ないほどの応募が殺到しているという。
バス業界は深刻な高齢化と人手不足にあえぐ。
厚生労働省が作成した資料によれば、全国のバス運転手の平均年齢は56歳であり、4人に1人が60歳以上だ。バス運転手の若返りはバス事業者の至上命題といっても過言ではない。
しかし、その一方で、新卒学生はほぼ全員が大型バスの運転経験がない。育成には時間も予算も要する。さきほどの資料によると、「観光バス運転士」の平均年収は453万円であり、WILLER EXPRESSの「1年目から年収600万円」は業界全体の平均よりも約150万円も高いことがわかる。高待遇で学生の耳目を集め、青田刈りで人員を補充せざるを得ないほど事態は切迫しているのだろうか。
「いえいえ、むしろ逆です。当社は未経験者が欲しいんです。高い年収を払ってでもゼロから育てたい。なぜなら、当社が欲しいのは『運転手』ではないからです」
WILLER EXPRESSの平山幸司社長(55)は、そう語る。「欲しいのは『運転手』ではない」とは、どういうことか。含みのある言葉の裏にある真意は何か。

■️「売り上げゼロ」で見出した復活策
「2024年に当社はバスを運転する職種を『ハイウェイパイロット』に名称変更しました。決して『運転手』や『乗務員』ではありません。職種名だけではなく、仕事の目的やミッション、業務内容も一新しました」
目的地に向けて高速道路を滑走し、乗客を快適な旅に誘う飛行機のパイロットのような存在。それがハイウェイパイロットだと平山社長は言う。そのため、運転を業務として担うだけではなく、洗練された立ち振る舞いや高いサービスレベル、高度な職業倫理を兼ね備えていなければいけない。
事実、ハイウェイパイロットは、半期ごとの人事考課において運転技術と同等の配点で接客技術や勤務態度が評価されている。人事考課の結果は給与と連動するため、ハイウェイパイロットは日々、接客接遇や勤務態度の改善に研鑽を積んでいるという。
ところで、なぜハイウェイパイロットという新たな職種を設けるに至ったのか。その裏にはコロナ禍の苦い経験があった。コロナ禍における外出自粛要請に伴い、WILLER EXPRESSは月間売上がゼロに落ち込むなどの経営の危機を味わった。
ポストコロナに向けて、平山社長が起死回生の秘策として打ち出したのが「徹底したサービスレベルの向上」だった。競合他社がひしめき、ハード面では差別化の難しい夜行バス・高速バスの事業において、乗客に選ばれるためにはソフト面を強化するしかない。
そのためには、乗客と日々接する従業員の教育や研修を根本から見直し、選りすぐりの精鋭を養成する必要があった。
「当社のハイウェイパイロットは他社の経験者ではなかなか務まらないんです。これまでには求められなかったスキルやマインドが求められるわけですから。だから、当社の仕事や理念を一から学んでくれる新卒学生を積極的に採用しているんです」
■️「年収600万」は“社員との約束”
「新卒入社1年目で年収600万円」という高待遇も、単に募集をかけるための広告塔ではなく、ハイウェイパイロットに要求される高度な技能への対価だと平山社長は胸を張る。
実は600万円という金額にも思い入れがある。コロナ禍の経営危機の最中、WILLER EXPRESSからは当時の従業員の4分の1にあたる約150名が会社を去っていった。バスの運行本数が制限され、従来通りの額の給与を支払えないことが響いた。次々と従業員が会社を後にするなかで、平山社長にはある熱い思いが去来していた。
「コロナ禍を耐え抜いてくれた従業員たちにはお礼をしなければいけないと思いました。従来の100%の給与を支払えないなかでも、サービス向上のために心血を注いでくれた従業員が少なくなかった。実際に、コロナ禍以前に比べて、接客や接遇が目に見えて改善していたんです。だから、コロナ5類移行から数カ月経った2023年10月に従業員の前で宣言しました。
『年収を100万円上げる』と」
■「2年連続で過去最高益」を達成
当時のハイウェイパイロットの年収は約500万円。そこから約3年間をかけて段階的に年収を100万円引き上げると従業員たちと約束を交わしたのだ。
その約束は確かに果たされた。賃上げの原資は「成長」だった。
接客や接遇を向上させる戦略は功を奏し、リピート顧客が右肩上がりに増加。夜行バスの乗車率はコロナ禍以前に比べて8%以上伸び、WILLER EXPRESSは2024年度、2025年度と2年連続で過去最高益を達成する。ハイウェイパイロットたちの地道な努力は、組織の成長を後押しし、100万円にも及ぶ大幅な賃上げを可能にした。
■️“自衛隊出身者”が新入社員の指導にあたる
こうした成功体験を経て、平山社長はある確信を得たという。それは「待遇改善と人材育成はセットであるべき」という考えだ。手厚いサポートがあるからこそ、人間は高度なスキルを身に付け、高い職業倫理を養うことができる。高待遇と妥協なき指導は両立されなければいけない。
その思想のもと2024年5月に設置したのが、ハイウェイパイロット育成施設「WILLER LABO」だ。
WILLER LABOは、未経験者が3カ月間の住み込みでハイウェイパイロットのスキルを習得する専門施設。入校生は、給与を受け取りながらバスの運転技術を習得できるほか、住居費や大型二種免許取得の全額補助も受けられる。
しかし、平山社長は、それらの利点よりも「現在まで退校者が出ていない」ことのほうが重要だと強調する。
「さまざまな支援や補助は提供していますが、ハイウェイパイロットのスキルはそう容易には習得できません。訓練は厳格ですし、入校中は同期との集団生活です。それにもかかわらず、直近に卒業した8期生まで1名も脱落者が出ていない。ポイントは教官です。実は当社には元陸上自衛隊出身の従業員が在籍していて、彼を中心に教官部隊を編成しました。自衛隊時代には何百人の部下を指揮していた方なので、厳しさと優しさを兼ね備えた指導ができる。そうした環境だからこそ、未経験者でも途中で投げ出すことなくプログラムを貫徹できるんです」
「待遇と育成の両立」は、その他の領域でも一貫している。代表例が、賞金100万円を賭けて全国のハイウェイパイロットが競い合う「トップガンコンテスト」だ。トップガンコンテストは、ハイウェイパイロットのサービス応対や運転技術を競う社内コンテスト。
各営業所で予選を実施し、ファイナルステージに進出した代表者のなかから、今年度最高のハイウェイパイロットの称号である「トップガン」を選出する。
「漫才のM-1グランプリを観ていて思い付いたんです。賞金を目がけてたくさんのプレイヤーが切磋琢磨し、技や知識を競い合うようなコンテストがやりたいと。当初、賞金は5万円ほどが妥当かと考えていたのですが、それでは皆が本気になれない。それで思い切って賞金を100万円に決めましたが、正しい選択でした。参加者のモチベーションが高く、熱気がすごい。やはり本気で取り組むからこそ、技術も知識も身に付くのだなあと改めて実感しました」
■️「第一志望は文科省」。有望な人材が続々入社
WILLER EXPRESSが高待遇で新卒学生を採用する理由は、人手不足時代を乗り切るための苦肉の策ではなく、信念と実績に裏打ちされた生存戦略だった。
事実、同社には意欲の高い新卒学生が集っている。今年4月に入社した新入社員の濱田昴生さん(22)は「他のバス会社に比べて、安全意識が高く、求められるサービス品質が高い。その分、年収も高く、だからこそやりがいを感じました」と入社動機を語る。
また、同じく今年4月入社の飯塚祐太さん(23)は就職活動時には文部科学省や地方自治体などを受験した公務員志望だった。一転して、WILLER EXPRESSに入社した理由を「公務員試験に煮詰まるなかで全く違う業界にチャレンジしたくなった」と話す。
前途有望な人材を続々と受け入れるなかで、平山社長にはある心境の変化が生じたという。「ハイウェイパイロットの社会的地位を向上させたい」という使命感だ。
「今では省庁に入りたかったが当社を選んだという新入社員がいます。もし私が彼の父親だったら止めてしまうかもしれない。バスの運転の仕事より公務員や大手企業のほうが、社会的地位が高いのは事実でしょう。しかし、だからこそ、私はハイウェイパイロットを広く社会に認められる仕事にしたいです。新入社員の親御さんにも『WILLERならいいよ』と背中を押してもらえるようになるのが今の目標です」
コロナ禍以降、WILLER EXPRESSは増収増益を続け、今も右肩上がりの成長を続けている。その成長の原動力は「いかに人材を育てるか」を真摯に考え続ける姿勢と熱量にあった。

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島袋 龍太(しまぶくろ・りゅうた)

フリーライター

1986年生まれ。沖縄県出身。琉球大学卒業後、警視庁入庁。警視庁警察官として、地域部、警務部、刑事部を経験。警視庁時代には事件解決の功労が認められ、警視総監賞を受賞。警視庁退職後は求人広告代理店のコピーライターなどを経て、2019年にフリーライターとして独立。ビジネス、経済、社会、サブカルチャーなど取材。趣味は読書とブラジリアン柔術。妻は漫画家の意志強ナツ子。

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(フリーライター 島袋 龍太)
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