■天と地の境界に現れた巨神
今回は、猿田彦神(さるたひこのかみ)(『日本書紀』)とも猿田毘古神(さるたひこのかみ)(『古事記』)とも表記される神さまに注目します。日本神話のなかで、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天上界(高天原)から地上に降臨する場面。いわゆる「天孫降臨」のシーンに登場する神さまです。
――まさに天降りしようというとき、「天之八衢(あめのやちまた)」に、上は高天原(たかまがはら)を光(てら)し、下は葦原中国(あしはらのなかつくに)(地上世界)を光す神がいた。不審に思った大神らは、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を遣わし、「こんなところにいるのは誰か」と聞いてこさせた。
その神はこう答えた。
「われは国つ神で、名は猿田彦神。ここにいるのは、天つ神の御子がお降りになると聞き、ご先導するためにここで出迎えていたのだ」(『古事記』意訳)
注目すべきはそのルックスです。『日本書紀』には、鼻の長さは7咫(あた)(約1.2メートル)、背丈は7尋(ひろ)(約12.6メートル)あるといい、しかも、口元が光り輝き、目は八咫鏡(やたのかがみ)のように大きく丸く、赤ホオズキのように照り輝いている――と書かれています。
ウルトラサイズの巨体で、かつ長大な鼻をもち、巨大な真っ赤な目をギラギラ光らせている……まさに怪物というよりほかない風貌です。そんな「神」が、天と地の境界エリアに出現したというのです。
ちなみに「国つ神」とは、地上世界の土着の神のことで、天界(高天原)由来の「天つ神」とは出自を異にします。
■鼻と目に秘められた「破邪の力」
それにしても、猿田彦の怪異な容貌は何なのでしょう。
いろんな解釈はありますが、その巨体は、圧倒的な力と王のごとき風格を思わせるものです。そして特異な鼻と目。これらは強力な呪力と霊力を象徴するものといわれ、とりわけ「八咫鏡のよう」で「赤ホオズキのように」ギラギラと光る目は、闇を照らし悪霊を退ける「破邪の力」や、「すべてを見通すマジカルな力」をあらわすと考えられています。
日本神話の「天孫降臨」の場面で、瓊瓊杵尊を出迎える猿田彦大神(左。出典=小林永濯 著『鮮斎永濯画譜』初篇、錦栄堂、明治17年3月。国立国会図書館デジタルコレクション)
ちなみに「八咫鏡」の「八咫」は、「非常に大きい」「立派な」の意ですが、あえて「八咫鏡のよう」とした表現は意味深です。八咫鏡はただの大きな鏡ではなく、皇位を象徴する三種神器のひとつであり、太陽の象徴にして天照大神の依り代、そして伊勢の神宮・内宮の御神体でもあります。そして、天上界から地上世界までを照(光)らす存在だったとも書かれています。これらは何を示唆しているのでしょうか。
結論をいえば、猿田彦は、太陽神・皇祖神として伊勢に祀られた天照大神(あまてらすおおみかみ)の神話が成立する過程で神話にとりこまれた、在来の太陽神(男性的な太陽神)だったのではないか――そうも考えられているのです。
■迷える者の道を照らす神
猿田彦の出現ポイントにも注目してみましょう。先の「天之八衢」なる場所です。
一般的な解釈では、「八衢」の「八」は“多く”の意で、「衢」は“道が交差し、分かれる場所”のこと。瓊瓊杵尊にとっては、異界の手前に出現した、いくつもの道が交差する分岐点で、まったく先を見通せず、立ちすくんでしまうような場所だったのでしょう。
そこに、「お待ちしていました!」と、ギラギラと光を放ち、道案内を買って出てくれた巨神が登場したわけです。
「参詣者には、猿田彦さまの御神徳は、『道開き』にあるとお伝えしています」と、日枝神社(東京都千代田区)のセレスト・ハルト権禰宜(ごんねぎ)。
「道開き」とは、物事のはじまりに際して道案内となり、物事を良い方向へと導いてくれる御神徳。特に猿田彦神は、「天孫降臨」の場面で瓊瓊杵尊を先導した事跡により、「私たちが人生の岐路においていずれの道を進むべきか思案にくれるとき、その行路の別れ道(岐・ちまた)にあって、御神徳を発揮されます」(日枝神社のHP)とのことだ。
■60日に一度「庚申の日」だけの特別祈祷
なお、猿田彦神を祀る神社といえば、総本宮と謳われる椿大神社(三重県鈴鹿市)や猿田彦神社(三重県伊勢市)、佐太神社(島根県松江市)などが知られていますが、各地の神社の境内社(末社)に祀られていることも多いようです(「近所で猿田彦神を祀る神社は?」とAI検索してみましょう)。
上記日枝神社も同様で、もとは江戸城内にあった日枝神社が現在地に遷された当初から、境内に猿田彦大神のお社があったそうです。
ここで特筆しておきたいのは、60日に一度の庚申(こうしん、かのえさる)の日、日枝神社の境内末社、猿田彦神社にて【庚申の日特別祈祷 道開き参拝】が行われ、この日限定の木札を受けられることです。
直近の庚申の日は8月14日(金)。
当日の参列がかなわない場合、事前に初穂料をお納めし、庚申日の道開き参拝で祈祷した木札を、後日来社して受ける方法(預かり祈祷)もあるとのこと。とはいえビギナーの方は、60日に一度の特別祈祷に参列することが、猿田彦神と新たに縁を結ぶ絶好の機会といえるでしょう。
なお、この日は庚申の日限定「開運みくじ」の授与も行われます。猿田彦神社大前にて巫女が祝詞を読み上げたのち、特別なみくじが授与されます(初穂料:1000円/時間:午前11時~11時50分、12時20分~午後4時)
*詳しくは「日枝神社/庚申祭」を参照
■リピーターに目立つ会社経営者
なお、日枝神社は神田明神とならぶお江戸の鎮守社で、明治以降は皇城鎮護の社として重きをなしてきました。国会議事堂にもほど近い首都ど真ん中に鎮座するだけに、その参拝者・崇敬者には、政界やビジネスシーンの中心で活躍される方々も多いようです。
そんななか、「猿田彦神社でご祈祷ができないかという希望が、けっこうな数寄せられた」(セレスト権禰宜)ことをきっかけに、「特別祈祷、道開き参拝」がはじまったそうです。
聞けば、この60日に一度の縁日、参列される方の多くはリピーター。その一人ひとりの事情をうかがい知ることはできませんが、権禰宜さんによれば、「会社経営者の方が多くいらっしゃる」。また、はるばる遠方から「預かり祈祷」の申し込みをされる方も多いといいます。
■あの「経営の神様」も熱心に崇敬
猿田彦大神の熱心な信奉者は思った以上に多そうです。といっても、熱心な崇敬者は以前からいらっしゃいました。その代表的人物を挙げるならば、何といっても現パナソニックの創業者で“経営の神様”松下幸之助(1894~1989)でしょう。
松下幸之助は、先に挙げた椿大神社の崇敬者として知られています。昭和30年代の高度経済成長期、みずから創業した会社(松下電器産業)の経営者として未知なる事態に次々と直面し、孤独な決断を迫られる日々のなか、猿田彦大神の道開きの御神徳を知り、椿大神社に足を運ぶようになったといわれています。
そんななか、彼にとっての「道ひらき」や「道」という言葉は、単に迷ったときに進路を占うといった意味を超え、「自分にしか歩めない唯一無二の人生を、覚悟を持って歩み続ける」彼の人生哲学へと昇華されていきます。
不朽の名著として今も読み継がれている松下幸之助の著書、『道をひらく』(PHP研究所)には、こんなことが書かれています。
「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである」
「逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである」
「五里霧中」という言葉があります。深い霧の中で方角がわからなくなるように、物事の判断がつかず、どうしてよいか迷ってしまう状態を指す言葉です。
■最善を尽くし、自ら一歩を踏み出す
ただし、松下幸之助が猿田彦大神との縁を深めていくなかで気づいたのは、どこかにある正解を探し求めることではなく、自らの足で一歩を踏み出すことそのものでした。今できる最善を尽くして一歩進むことで、次の景色(進路)が見えてくる。結果、「道が開かれていく」。そんな境地だったともいえるでしょう。
猿田彦大神を「推しの神仏」として心にとどめる意味はここにあります。不確実な未来へ踏み出すにあたって、大神は道の分岐点に立っていてくれる。そこで選択した道を照らしてくれる。猿田彦大神を意識することで、そんなマインドセット(心構え)を得ることできます。
そしてもし選択に迷ったときは、「この八衢で、大神ならどちらの可能性を照らしてくれるか」を冷静に問い直すことができ、どんな小さな一歩も、踏み出すことで「ここから自分の道ひらきがはじまった」と心強く思えることでしょう。力強い眼光をもつ「推し神」は、周囲からの邪気を跳ね返し、常にあなたの「道」の伴走者として見守ってくれるはずです。
■御札とお守りの扱い方
では最後に、お札と御守の扱いについて整理しましょう。
(1) いただいたお札は、神棚があればそちらに安置する。ないときは、目線よりも高い位置に、お札の正面が東側か南側に向くように(北か西の壁を背にして)置くこと。
(2) 庚申の日に授かったお札は、60日ごとに更新するのが理想ですが、それが叶わないときは、通例のお札とともに一年を目安にお返しし、新たに受けるようにしましょう。
(3) 御守は、いつも持ち歩くカバンの中など、できるだけ身近に奉持する。こちらも一年を目安に受け直したいところです。
DATA:猿田彦神社(日枝神社末社/相殿:八坂神社)
【祭神】
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
【ご由緒】
文明10年(1478)、太田道灌公が江戸城内に鎮護の神として川越山王社を勧請して以来江戸城内にあった日枝神社(主祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ))が、その後江戸城外(今の隼町国立劇場付近)に移されたが、明暦3年(1657)の大火で社殿が炎上。時の将軍徳川家綱が、赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地であった現在地を官収して社地に充て、権現造の社殿を造営・遷祀。その当初から、境内に猿田彦大神のお社があったと伝わる。
【授与品】
「御札」「お守り」、庚申の日の「特別祈祷」参列者限定の御札、「開運みくじ」ほか
【鎮座地/交通】
東京都千代田区永田町2丁目10番5号
東京メトロ千代田線「赤坂」駅(出口2)から徒歩3分、
東京メトロ南北線・銀座線「溜池山王」駅(出口7)から徒歩3分
東京メトロ千代田線「国会議事堂前」駅(出口5)から徒歩5分
東京メトロ銀座線・丸ノ内線「赤坂見附」駅(出口11)から徒歩5分
椿大神社(猿田彦大本宮)
【祭神】
猿田彦大神
【御由緒】
第11代垂仁天皇の27年秋(西暦紀元前3年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された。仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及ぶ。猿田彦大神を祀る全国2000余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されている。
【授与品】
「椿大神社神符」「方災除神符」「肌守」「しあわせ守」ほか
【鎮座地/交通】
三重県鈴鹿市山本町1871
東名阪自動車道 鈴鹿インターより10分
新名神高速道路 鈴鹿PAスマートICより約2分
近鉄「四日市」駅、JR「四日市」駅から三重交通バスで「椿大神社」行き
----------
本田 不二雄(ほんだ・ふじお)
ノンフィクションライター、編集者
1963年熊本県生まれ。学研発行の一般向け宗教概説書の編集・制作に長く関わり、仏像や神社、神仏信仰をテーマに執筆制作した書籍(雑誌、ムック含む)は多数にのぼる。単著では『弘法大師空海読本』(原書房)、『ミステリーな仏像』『神木探偵』『異界神社』『東京異界めぐり』(いずれも駒草出版)、『日本の凄い神木』(学研・地球の歩き方)、『神社ご利益大全』(KADOKAWA)ほか。
----------
(ノンフィクションライター、編集者 本田 不二雄)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
