気持ちが落ち込むなど、メンタル不調になったときにどうすれば回復できるか。産業医の岩見謙太朗さんは「メンタル不調の場合は、ただ休むだけでは回復できない。
神経を安全モードに切り替えることが大切で、簡単なのは歩くことだ」という――。
※本稿は、岩見 謙太朗『ハーバード、ペンシルベニア、スタンフォード… 科学的に認められた 疲労回復大全』(実務教育出版)の一部を再編集したものです。
■メンタル不調回復に重要な神経のモード
ネガティブモードになっても、たくさん睡眠をとったり、気分転換をすれば回復するのでは? と思うかもしれません。しかし、皆さんも「休んでいるのに、心が軽くならない」という経験をしたことがあると思います。
 この時、体の中では何が起きているのでしょうか。
アメリカの神経科学者スティーブン・ポージェス博士は、自律神経の働きに着目し、「なぜ休んでも心や体の疲れが取れないことがあるのか」を理解する手がかりとなる理論として、1990年代に「ポリヴェーガル理論」を提唱しました。
自律神経には、交感神経(戦う・逃げる)と副交感神経(休む)の2つがあるというのは有名ですが、博士はさらに細かく注目しました。副交感神経は、以下の2つにさらに分けられると考えたのです。
① 安全モード(安心、落ち着き)

② 凍りつきモード(じっとしているが、無気力、思考停止、恐怖で硬直状態)
つまり、心の自律神経には次の「3つのモード」があることがわかったのです。
① 安全モード

神経の状態:腹側迷走神経(お腹側を走る自律神経)

落ち着く・安心・人とのつながり

② 凍りつきモード

神経の状態:背側迷走神経(背中側を走る自律神経)

思考停止・無気力・シャットダウン

③ 戦う・逃げるモード

神経の状態:交感神経

緊張・不安・焦り
この中で本当に休息できているのは、「①安全モード」の状態の時だけです。
■「ニセの休息」に要注意
私たちの脳は、周囲の表情や声、環境などをもとに、安全か危険かを意識にのぼる前に評価しています。ポリヴェーガル理論では、この無意識の評価過程を「ニューロセプション」と呼びます。

そのため、頭では「もう安全だ」と理解していても、体が危険を感じ続けていると、緊張や警戒が解けず、十分に休息できないことがあります。
特に現代社会では、スマホの通知音や仕事の締め切り、複雑な人間関係など、小さなストレスが絶えず積み重なり、神経が慢性的な警戒状態に傾きやすくなっています。
その結果、本人は休もうとしているのに、神経は「まだ戦うか逃げるか、あるいはフリーズするか」を選び続けてしまうのです。
私たちの日常には、不安を刺激するものが多すぎます。たとえば、体は以下のような要素を“危険の合図” と判断し、「まだ休んではダメだ」と警戒モードを続けます。
・職場の人間関係やプレッシャー

・過去のつらい記憶

・生活や将来の不安
その結果、休んでいるのに、神経が休んでいない。これが“ニセの休息” です。
■本当の休息は「安全モード」の時だけ
休みの日、ソファやベッドでただ横になっているのに、心は休めていない。休日なのに仕事のことが頭から離れなかったり、上司からのメッセージが届きそうでスマホが手放せなかったりと、横になっても不安が消えない。
だらだらと動画やSNS を見続けたりして、「何もしたくない」と無気力なまま時間が過ぎる。一日中寝て過ごしたのに、月曜になるとさらに体が重い。
こうした休み方はすべて、休息ではなく②の「凍りつきモード」で時間を過ごしているだけ。
脳と体が「もう安全だ」と認識できていない限り、疲労が抜けることはありません。本当の休息は、「安全モード」に入った時に初めて始まるのです。
■休めない体になる誤学習の危険性
ここで見落とされがちなのは、「休んでいるつもり」の時間の質です。現代人は、体は止まっていても、脳は常に動き続けています。特にスマートフォンやSNS は、外見上はリラックスしているように見えても、脳は断続的な刺激を受けています。
通知が来るかもしれないという予期、不確実な情報のスクロール、比較や評価にさらされる環境は、神経にとっては“安全”とは言いがたい状態です。
さらに問題なのは、この状態に長く身を置いていると、「何もしていない=休んでいる」という誤学習が起こる点です。
本来、休息とは回復を伴うものであるにもかかわらず、回復しない状態を繰り返すことで、「休んでも意味がない」「自分は疲れが取れない体質だ」といった認知に変わっていきます。これは単なる気分の問題ではなく、神経の状態と認知が結びついて固定化されていくプロセスです。
重要なのは、どれだけ休んだかではなく、「どの神経状態で過ごしていたか」です。この視点を持つだけで、これまでの休み方の見え方は大きく変わります。時間の長さではなく、神経の状態こそが休息の質を決めているのです。

■メンタル不調予防には「歩く」が効果的
そこで、簡単に安全モードに切り替えられる方法を紹介します。さまざまな方法がありますが、ここでは時間や工夫がいらない方法を紹介します。
それが「歩く」ことです。
スペインのナバラ大学による約10万人を対象にした大規模研究によると、1日5,000歩以上歩いた人たちは、5,000歩未満の人たちよりうつになりにくいことがわかっています。また、1日7,000歩以上歩く人は、歩行数が少ない人に比べてうつ病の発症リスクが約3割も低いことが示されています。さらに、1日あたり1,000歩増えるごとにうつ病の発症リスクが約9%ずつ下がるという効果も確認されました。
この研究は18歳から91歳までの幅広い成人を対象としており、年齢を問わず歩行の効果が期待できる点が特徴です。こうした研究から、私たちがふだん行う「歩行(ウォーキング)」にはメンタルを安定させる効果が含まれているといえます。
歩行は脳の疲れの元になる炎症を抑え、ストレスに強い状態を作ります。これは大規模調査でも確認されており、歩く習慣がある人ほど気分の落ち込みが少ないことが示されています。
また、歩行のリズムは心の安定回路を整えます。一定のテンポで体を動かすことで不安やイライラが落ち着き、前向きな感情が戻りやすくなるのです。
つまり、歩くことは「心がしんどくなる前に食い止める最も身近なメンタル改善策」といえます。
■毎日5000歩を目指そう
まずは、スマートフォンで自身の1週間の平均歩数を確認しましょう。もし5,000歩に達していなければ、まずは「5,000歩ライン」を超えることを最初の目標にしましょう。
ただ理由もなく「歩け」と言われるとつらく感じてしまうものです。そこでおすすめなのが、歩数に応じてポイントが貯まる健康アプリです。特典をもらいながら継続できるので、モチベーションが上がります(ANAの「ANA Pocket」やコカ・コーラの「Coke ONウォーク」はマイルや自販機で使えるスタンプなどがもらえ、還元率も高いため人気です)。
5,000歩が無理なくできるようになったら、1~2週間ごとに「+1,000歩」を目安に少しずつ増やしていきましょう。それが定着したら、次は7,000歩へのステップアップです。
歩数は「分割」して考えるのがコツです。たとえば、朝の通勤で4割、昼休みに1割、帰り道で残りを稼ぐ。これだけで日常の中に組み込みやすくます。雨の日や忙しい日は歩数が減りがちですが、そんな日はエレベーターではなく階段を使う、ひと駅だけ歩くなど、小さな工夫が結果につながります。

そして何より大切なのは、「毎日完璧でなくていい」という意識です。お気に入りの店まで歩く日を作るなど、ちょっとした楽しみを歩行と組み合わせることで習慣は長続きします。今日の5,000歩が、未来のあなたのメンタルを守ります。無理のないところから、一歩を踏み出してみてください。

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岩見 謙太朗(いわみ・けんたろう)

医師・産業医

労働衛生コンサルタント、株式会社いわみ産業医事務所 代表取締役。東京生まれ。北海道大学医学部卒。史上最年少で労働衛生コンサルタント資格を取得。日立グループ専属産業医を務める。その後、株式会社いわみ産業医事務所(https://iwamisangyoui-office.com)を設立。神奈川県を中心に、中小製造業など計20社以上の産業医を担当している。少子高齢化や人手不足が進む日本において、働く世代のメンタルヘルス不調の予防、労働災害防止、組織の生産性向上に取り組む。
また、若手産業医の育成および労働衛生コンサルタント資格取得支援を目的に一般社団法人プライムエッジ(産業医600人の勉強会)を設立。代表理事として教育事業を展開している。著書に『ゼロから始める産業医の教科書』(中外医学社)、『ハーバード、ペンシルベニア、スタンフォード… 科学的に認められた 疲労回復大全』(実務教育出版)がある。


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(医師・産業医 岩見 謙太朗)
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