■「鬼十則」は電通の背骨だという信念
電通は、社員手帳に載せてきた社員の心得「鬼十則」を、2017年版から掲載しないと発表した。
伊藤忠彦(※1)は、これは間違った判断だと異を唱える。
〈「鬼十則」。これこそ、仕事に取り組む基本姿勢であって、どうして今度の一件で手帳から外さなければならないのか。もし、これを外すというのなら、もはや電通の背骨は無くなってしまうじゃないか〉
「鬼十則」は、電通の背骨といえる。その背骨をなぜ、ここで抜く必要があるのか。本当にまたいつかこれを取り戻すことができるのだろうか。幾百年と続く企業や代々の家訓は、何らの変更なく受け継がれ、その時代時代に理解され続ける。形ではなく中身だ。これほどまで簡単に背骨を外したことに、戸惑いを覚える。
〈これでは、電通とはいったいどこの会社なのだ。この先の我々の仕事に対して取り組む姿勢は、どうなってしまうのだろうか。
電通の先行きが心配だ。本来なら、他の人たちが何を言おうとも、電通は変わらない。「鬼十則」は残すべきことだと胸を張るべきである。
※1 元電通社員で現在、衆議院議員。1994年に電通を退社。
■「取り組んだら放すな、殺されても放すな」
伊藤にとって「鬼十則」はバイブルとなっている。読めば読むほど、政治に繫がることが書かれている。
『一、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない』
―― 一軒一軒、戸別訪問しろということだ。誰に言われることなく、自らがやれと言っている。
『二、仕事は先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものではない』
――伊藤が師事する二階俊博元自民党幹事長の政治は、まさにこれである。
『三、大きな仕事と取り組め、小さい仕事は己を小さくする』
――本当に、そのとおりだと思う。だが、小さい仕事からやっていかなければ大きな仕事にはたどり着けないことも忘れてはいけない。
『四、難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げる所に進歩がある』
――これも、的を射ている。自分ができないと思っていたことを仲間と一緒にやり遂げる。そうして経験を得て仕事とは積み上げていくものだ。伊藤は、誰かが「難しいな」と言うような仕事に取り組むことが、ものすごく楽しみである。
『五、取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは』
――これが大きくクローズアップされているが、これのどこが悪いのか。「放される」などということほど恥さらしなことはない。本当に殺されるまでやれといっているわけではなく、絶対にやり遂げるのだという意志を強く持ちなさい、と言っているだけで問題視することでもないはずだ。
■「摩擦は進歩の母、積極の肥料だ」
『六、周囲を引き摺(ず)り廻まわせ。引き摺るのと引き摺られるのとでは、永い間に天地のひらきができる』
――当たり前だ。引き摺られる側に立つものじゃない。
『七、計画を持て、長期の計画を持っておれば、忍耐と工夫(くふう)と、そして正しい努力と希望が生まれる』
――今、伊藤がやっていることが、まさにこれだ。だから、役所を引っ張っていく。
『八、自信を持て、自信がないから君の仕事には迫力も粘りも、そして厚みすらがない』
――これのどこが過剰労働に引っかかるのか、伊藤には理解できない。
『九、頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ』
――これこそ、二階株式会社の社是である。
『十、摩擦を怖(おそ)れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる』
――役所の職員を見てみればいい。相手の他省庁と何かをやるとき卑屈未練になる者が多い。役所にもヒエラルキーがある。だからこそ、伊藤は「俺もやるよ。だけど、俺がやるのだから、お前たちも渡り合え」と発破をかける。
■「鬼十則」のどこに間違いがあるのか
伊藤は、心底思う。
〈この「鬼十則」のどこに、仕事をしていくうえで間違いがあるのだ。一つもない。これが手帳に書かれてあって、何がいけないのだ〉
そうでないはずである。
時代が変わり、若い社員はインターネット世代になった。そのせいで、コミュニケーションが下手(へた)なのかもしれない。あるいは、部下のコントロールの仕方が下手なのかもしれない。お互いの意思疎通の仕方に問題は潜んでおり、本来は、労務・人事管理面などに直すべきところがあったかもしれない。
何よりも、「鬼十則」が誕生した時代を考えるべきだ。電通四代目社長の吉田秀雄が「鬼十則」を制定したのは、1951年。理屈をこねている場合じゃない。
伊藤からすれば、「鬼十則」で電通を離れる人もいるだろうが、それよりも「そうだよな」と思う人たちの方が圧倒的に多いと信じている。
「殺されても」というキーワードだけを取り上げて、電通批判をする様子をみていると、下衆(げす)の勘繰りのように見えてくる。
労務管理の問題と「鬼十則」の部分は、切り離すべきなのだ。
■「鬼十則」よりも見直すべきこと
電通社長の石井直は、引責辞任した。
石井社長が、今後の電通のことを考え、一身をなげうって、社長自らが犠牲になり、ことを収めるつもりで辞任を選択したというのであれば、会社の方針として、経営者の考えとして理解をすべきであろう。
ただし、社長の辞任は認めるが、「鬼十則」を手帳から外してはいけない。それよりも、もっと見直すべきことがあるはずだ。
まずは、労務管理の問題。そして、もう一つ。「働く」という価値観をどう捉えているのか。
そもそも、日本人は「勤勉な、よく働く日本民族」だったはずだ。
それが、「そんなに働き過ぎるなよ」という風潮に変化してしまった。
■「真面目に働く価値」の不透明な行方
30年ほど前から、ILO(国際労働機関)をはじめ、アメリカやヨーロッパが「日本人は働き過ぎだ」と注文をつけるようになってきた。そのせいで、労働形態も変わってしまった。働く側の都合に合わせなければいけないという視点を置いた働きやすい制度が取り入れられるようになってきた。
同時に、「キャリアアップ」という言葉も出てきた。終身雇用から転職が好まれる流動性が発生した。働く側の個性も出てきた。
しかし、伊藤は思う。
〈どこかに何かを、置き忘れたのではないか〉
それは、日本人に本来備わっていた、真面目に働く、人のために尽くす、できる限りやってみる、個人の気持ちをもっと醸成していくという側の価値が置き忘れられたのではないだろうか。
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大下 英治(おおした・えいじ)
作家
1944年、広島県に生まれる。広島大学文学部を卒業。『週刊文春』記者をへて、作家として政財官界から芸能、犯罪まで幅広いジャンルで旺盛な創作活動をつづけている。著書に『安倍官邸「権力」の正体』(角川新書)、『孫正義に学ぶ知恵 チーム全体で勝利する「リーダー」という生き方』(東洋出版)、『落ちこぼれでも成功できる ニトリの経営戦記』(徳間書店)、『田中角栄 最後の激闘 下剋上の掟』『日本を揺るがした三巨頭 黒幕・政商・宰相』『政権奪取秘史 二階幹事長・菅総理と田中角栄』『スルガ銀行 かぼちゃの馬車事件 四四〇億円の借金帳消しを勝ち取った男たち』『安藤昇 俠気と弾丸の全生涯』『西武王国の興亡 堤義明 最後の告白』『最後の無頼派作家 梶山季之』『ハマの帝王 横浜をつくった男 藤木幸夫』『任俠映画伝説 高倉健と鶴田浩二』上・下巻(以上、さくら舎)、『逆襲弁護士 河合弘之』『最後の怪物 渡邉恒雄』『高倉健の背中 監督・降旗康男に遺した男の立ち姿』『映画女優 吉永小百合』『ショーケン 天才と狂気』『百円の男 ダイソー矢野博丈』(以上、祥伝社文庫)などがある。
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(作家 大下 英治)

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