政府は7月24日、外国人受け入れのあり方について検討する有識者会議を新設した。外国人問題を取材するライターの九戸山昌信さんは「在留外国人の規模を管理する量的マネジメントを含めて検討するということだが、期待できないだろう。
政治家を支援する企業からの要望があるからだ」という――。(後編/全2回)
■日本人の給与を上げずに外国人を受け入れる謎
政府や自治体は、外国人雇用の拡大政策を継続している。本来であれば、賃金環境を改善して雇用流動を促すべきなのに、文化摩擦や受け入れ負担を容認してでも拡大政策を続ける。いったいなぜなのか。
高市首相は「外国人との秩序ある共生社会」を謳う。この“共生主義”は、移民の流入を厳格化し強引とも言える帰国事業をとらざるを得なくなった欧米の状況をみれば、混乱が起きるのは明らかだ。
国民世論において移民政策(=共生政策)に対するアレルギーが強まるのと反比例するように、高市首相をはじめ、国会議員から自治体首長、地方議員に至るまで、“共生派”ばかりになった。これはあくまで政治の合理的判断の結果なのか、そうならざるを得ない別の理由があるのか――。
■一般庶民の声が届かない絶望的非対称
政策の意思決定の環境を俯瞰すると覚える違和感は、政治家が直接的に意見や声を聞く“国民”の属性が、政策恩恵を享受できる企業(経営者)側、つまり外国人雇用で利益を得る側に大きく偏っている点だ。国民と企業との間には、“陳情格差”とも言うべき、要望や意見を「直接的に」届けられる環境の絶望的なまでの非対称性がある。この政治と企業の距離感の近さは、政治資金規正法に触れるような不適切な癒着関係ではなく、合法的で日常的な関係性の深さだ。
ある自民党OBによれば、与党が長い自民党議員や与野党相乗りで当選した自治体首長ほど、支援者や後援会幹部は地元中小企業や団体の経営者側であることがほとんどだという。
政治家がいう「地域の声」の主は、地域の一般庶民ではなく、外国人雇用で利する経営者の声に偏る。
大臣や知事クラスが面会するのが、業界団体や幹部公務員、企業関係者ばかりなのは、動静情報で確認できる事実であり、決して年収400万円前後の人間ではないのだ。政治家の一般庶民との接点は地元イベントでの立ち話程度にとどまるという。政治家が会議室や電話、会食などで時間を作って「対面の直接的な接触」で意見や要望を聞く相手は、常に企業の経営層に近い人物ばかりだ。
■米コーネル大研究でわかった不都合な真実
米コーネル大の社会心理学者ヴァネッサ・K・ボーンズ教授らの実験によれば、この「対面での依頼」はメールに比べて34倍も成功率が高いという。移民政策をはじめとする企業本位の政策が進む要因として、理屈や正論ではなく「対面陳情の物量」自体が政策に影響を与えている可能性があるのだ。もちろん、この34倍を覆した例もある。昨年夏のアフリカ・ホームタウン構想や、福岡県朝倉市の外国人向けマンション建設計画は、多くの市民の抗議が自治体に直接寄せられたことで撤回された。これらは地域が限定され、多くの“当事者”が存在した政策だったからとも考えられる。
しかし企業側は、仕事として時間と資金を投じて日常的に政治家と接点を持ち続けられる以上、簡単に巻き返せるだろう。政治献金やパーティー券の購入は、こうした面会機会を得る手段になっているのは言うまでもない。もちろん、一般的な政策ならそれでもいいが、労働や賃金、将来的な民族構成や日本社会の在り方に影響する移民政策まで、国民不在で、営利目的である企業側が大きな影響を与えられるなら問題だ。

■小野田紀美大臣がSNS投稿した「本音」
外国人政策を担当する小野田紀美大臣は、今年1月、自身のSNSで「経団連云々ではなく、地方自治体の首長も、様々な職種の業界も、農林水産業も、とにかく外国人労働者を入れてくれという要望は各所からひっきりなしにあります。ネットの中では見えないかもしれませんが、外国人労働者を求める声も、同じ日本国民から多数受けているのは事実なんです」などと投稿している。
この投稿のポイントは、実施された政策を見れば、要望の優先順位が国民ではなく業界団体にある点、そして業界団体は政治家に「要望を直接届ける手段」があるという点だ。一方で、賃上げが阻害される労働者や受け入れ負担の当事者にはその手段がほぼない。便宜供与などなくても、企業側が独占的に政治家と接点を持てる環境自体に、企業本位の政策へと偏る原因が見出せる。
株主資本主義が色濃くなった現在、企業の利益は平成前半までのように労使一体的なものではない。利益の行先は賃金ではなく、株主配当や内部留保に大きく偏っているのは統計上の事実だ。会社が豊かになったからといって、庶民も豊かになる、という時代ではもうない。労働者の賃金や仕入れ経費は、経営合理性の名のもとに削減対象なのだ。
■対立軸は「日本人vs.外国人」ではない
企業の経済活動によって付加価値や生産性が向上しても、経営合理性による賃上げの抑制によって、購買力がそれを下回るような経済構造であれば、庶民が貧しくなるのは必然だ。「国民のため」という名目のもと税から捻出される補助金や減税特例、財政支出を含む経済政策の実態は、国民から企業への単なる“所得移転”になってしまっているのが実態だ。
その手段の一つが移民政策であり、国民にとっては失敗でも、政治家の支援者でもある企業にとっては大成功だから続いている、とも言える。
本当の対立軸は、「日本人vs.外国人」ではなく「一般庶民(国民)vs.経営者(企業)」なのだ。この負担を被る一般庶民は、経営者のように政治に直接アクセスする手段を持たず、SNSで不満を書き込み、ごく一部がデモに参加する程度だ。これでは「自分勝手に騒いでいるだけの、経済を理解しないノイズ」として片付けられてしまうのも無理はない。
この陳情環境と、もう一つ重要なのが、政治家が「誰のために働くか」のベクトルを決定づける選挙制度だ。小選挙区選挙や首長を決める1人区選挙は、50~60%の投票率の中で比較第一勢力をまとめれば当選できる制度となる。訴える政策が抽象的で差がなければ、必然的に組織票の上積みが勝負となる。キャスチングボードを握る企業側に、議員の優先順位が徐々に傾いていくのは当然だろう。
■移民問題「解決のヒント」とは
当落に決定的な影響を与える政党の公認も、国民ではなく政党執行部の意向で決まる。本当の意味で政治家を選んでいると言えるのは政治家自身だ。移民政策のように、世論に反対が多い政策でも政党が推進していれば、その“踏み絵”を踏んだ人間しか出馬できない仕組みなのだ。
そして、この企業優位の小選挙区制導入後の初の選挙のタイミングだった96年が奇しくも日本の実質賃金のピークとなり、以後30年間、一貫して下降を続けている。その一方で企業業績は約15年一貫して右肩上がりだ。
この鮮やかな二極化は景気の波ではなく、企業絶対優位の政治環境の中で政治家のベクトルが変わり、賃金抑制(=企業利益増加)に繋がる政策の積み重ねの結果と考えるのが妥当ではないか。
つまり誰が総理大臣になっても、「我々は違う」という新党が勢力を伸ばしても、一貫して二極化が拡大してきた背景は「政治環境が全く変わってないから」とも言える。企業にとっては、誰が権力者になっても、政治家への陳情を独占できる環境自体は不変だからだ。
では、企業本位の政治環境はどう改善できるのか。移民政策をうまくコントロールしているとされるシンガポールやポーランドの例にそのヒントを見出すことができる。見るべきは「なぜ、企業利益に不利な移民抑制政策を導入できたか」という政治環境だ。両国に共通するのは、政治に対する企業の影響力が抑制される仕組みや、国民の声を無視できない仕組みが整っている点だ。
■日本とは真逆の「自国民を守る」仕組み
例えばシンガポールには公務員だけでなく民間も対象とする「汚職防止法(PCA)」があり、金銭の授受はもちろん契約の獲得や雇用を含む、あらゆる便宜供与が規制されている。違反すれば首相直属の独立した捜査機関「汚職調査局(CPIB)」に摘発される。このリスクがあるため、企業も公職も接触自体に慎重にならざるを得ない。結果として、外国人を雇用する際には自国の労働者に不利にならないよう雇用主が1人あたり月8万円程度の税金を支払う「外国人雇用税」という制度もある。雇用主に助成金を与えて受け入れを促進する日本とは真逆の対応だ。

ポーランドは、EU圏でありながら文化的背景が異なる非欧州圏の移民の流入を極力制限し、移民問題が少ないとされる。現在は左派政権であるにもかかわらず抑制的な移民政策を実行できるのは、同国の選挙制度が大きく関わっていると考えられる。同国の下院は議席のすべてが比例代表制で、国民の声が反映されやすい。死票が少ないため投票行動を促しやすく、前回23年の選挙では投票率74%を記録した。
第一勢力以外を排除する小選挙区制で見られるような、「主要政党が事実上移民推進で反移民の選択肢がなく、自動的に追認したことにされる」といった事態が起きにくい。大統領選挙も1回目の投票で過半数の得票が得られない場合は上位2名による「決選投票方式」であり、日本の首長選のように、“組織”の上積み分で現職優位ポジションを獲得できず、民意の多くを無視できない仕組みになっている。
■「性悪説」を前提にシステム構築せよ
また、ポーランドでは、陳情活動をする場合は登録と活動の申告が必要で、その内容は公開される制度もある。「便宜供与がないなら陳情行動自体に問題はない」とする日本とは、企業と政治の距離感がまるで違う。
シンガポールとポーランドに共通しているのは、スーパー政治家の登場に期待するのではなく、制度そのものが企業との一定の距離感を保ち、民意を無視できない仕組みを備えている点だ。「人間は誰しも身内に甘く、環境で変わり、自らが有利な制度を温存する」という性悪説を前提に、誰が権力を握っても一定程度は民意に従い、合理的な判断を下さざるを得ない「システムを構築」しているのだ。心地よい性善説を前提に、議場以外のブラックボックスの環境を残せば、議員にとっては、その環境を利用した国民への利益相反行為が生存戦略になってしまう。
その結果、「国民のために企業が負担するのではなく、企業のために国民が負担する政治」が続いてしまうのだ。

移民政策が進むのは合理的な判断の結果ではなく、国民に見えない陳情の物量が影響力を持てる環境によるものではないか。であれば、正論を積み上げることよりも、偏りが大きい陳情環境と、国会議員や首長を決める1人区選挙とその方法そのものを見直すことが先決のはずだ。しかし日本では、逆に比例に限定した定数削減が検討されている。果たして、この国はどこへ向かうのか――。

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九戸山 昌信(くどやま・まさのぶ)

フリーライター

大学卒業後、新聞社で勤務。社会やスポーツ面を担当。そののち出版社勤務を経て独立。現在は雑誌、ウェブ記事等に寄稿。取材範囲は経済、マネー、社会問題、実用、医療等。

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(フリーライター 九戸山 昌信)
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