『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』がヒットしている。SNSでは子供ではなく、大人の評価も高い。
エンタメ社会学者の中山淳雄さんは「人気の理由はキャラクターだけではない。かわいい世界観に似合わない不条理さも魅力だ」という――。
■なぜ「ちいかわ」は大人にもウケるのか
「ちいかわ」は、イラストレーター、漫画家のナガノ氏がうみだした2020年代を象徴する大ヒットキャラクターだ。2020年1月からXでマンガ投稿が始まり、数日おきに更新される連載は現在680回を超える。
2022年4月からは、フジテレビ『めざましテレビ』内で約1分のショートアニメが放送されており、現在も更新中だ。4年強も続いているが、放送された累計時間は6時間ほどで、普通のテレビアニメでいえば16話分しかたまっていない。
ライセンス管理はスパイラルキュートが行っている。「コップのフチ子」や「ふなっしー」などヒット作キャラクターを独自のセンスでプロデュースしてきた2009年設立の会社である。
7月24日には、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が公開となった。こちらは99分の“大長編”となり、この6年半原作を追い続けたファンとしては初めて没入してハマれる、またとない機会となった。
特にアクション部分と音楽ミュージカル部分は原作本編をアップデートするものになっている。原作者ナガノ氏が監修のみならず脚本まで手掛けていることもあって、「この映画も本編」と皆が安心して味わっていたように思う。

声優も音楽もショートアニメと一致。映画編にあわせて特別な有名アーティストとコラボするわけでもなく“いつもと同じ”ことが、原作の延長線上に劇場版を位置づけるために重要であったのだと感じる。
初動2週間で44億円、305万人動員の業績でみれば『ONE PIECE RED』(累計185億)と『君たちはどう生きるか』(累計93億円)の間くらいの成果となった。すなわち「100億映画」がかなり現実的な路線になってきている。
本稿では、なぜこれほどちいかわが流行っているのかについて考えていく。
■映画の感想は「ゾッとした」
私の場合、映画は和気あいあいと家族で視聴したのだが、視聴後の感想は全員一致で「ゾッとした」。なんだろうか、この朗らかすぎる世界が、さらにのんきな音楽や悪意のない敵役が、それゆえに余計に底に流れる残酷なメッセージを際立たせる。
X・コミック読破組からすると若干映画なりのサプライズが足りなかった感もなくはないが、それでも満足度は高かった。キャラクターを認知していた層に本作の「毒」の部分を広げるために効果的であったと言えるだろう。
人魚の肉を食って永遠の命を手に入れてしまった島民の罪と罰の話、というのが劇場版の筋なのだが、ファンシーすぎてかわいすぎるキャラクター達の口から容赦ない結末に向けたセリフが発信されるのが空恐ろしい。
罪を犯した人間を孤立した深海に沈めることを考えている主要キャラクターであるセイレーンの「オリに入れて♪なんかずっと♬くらいとこ♪」が印象的だ。
■ちいかわの深すぎる世界観
ちいかわのストーリー展開は一般的なマンガとはずいぶん違う。
ファンシーでファンタジーな世界はまるでサンリオのキャラクターのようなのだが、そこに潜んだ「毒」が広い世代の心をとらえるトリガーになっている。その毒とは、いうまでもなく我々の現実社会との重ね合わせだ。
『ちいかわ』は、ちいかわ達がみんな仲良く暮らしている話、ではない。ちいかわ族は「でかつよ族」(なんかでかくて強いやつ)から捕食される食物連鎖の世界に暮らしている。危険な生き物を「討伐」という過酷なミッション(労働)があり、頼りなげな棘のついた「さすまた」で慣れない戦いに日々駆り出される。
この世界では、草を抜く「草むしり」をすることで報酬を得ることができる。「草むしり検定」で上位の級に合格すると、作業できる範囲が広がり、もらえる報酬もアップする。まるでTOEICか英検だ。
ちいかわが「草むしり検定5級」に受からずに鬱々とする日々を過ごす様子が描かれている。2025年7月に公開されたマンガで、ちいかわが3度目の挑戦で5級に合格した際は、Xで66万いいねがついてトレンド入りした。
■『チャーリーとチョコレート工場』と似ている
ちいかわは総じて胃袋を刺激してくる。
作り手が描かれないグルメ漫画の面もあるのだ。
『美味しんぼ』のようにひたすらに食し、そのおいしさをともだち達と共感する様子が描かれる。
家族総出で映画を視聴しにいった我が家の当日の夕食メニューは、そのまま「旨辛カレーと貝汁」である。見終わった子供たちが「カレー! カレー‼」と大合唱がとまらなかった。我々はちいかわレストランも行ったし、ちいかわベーカリーも行った。ちいかわの世界にでてくる食べ物を、その鮮度が高いうちに味わうことで、まるでこのフィクション世界のテーマパークにちょっとだけお邪魔しているかのような気持ちになる。
ナガノ氏のグルメ観はまるで『チャーリーとチョコレート工場』だ。日常世界にお菓子があったらどうだろうという“子供の夢”は映画にされてきたが、まさかファンタジー世界に大人のグルメがはびこっていたらどうだろうかという“大人の夢”を世界観として組み込んだ作品は唯一無二である。
なぜかちいかわの作品内では食べ物が“自生”している。地面にふと埋まっている炊飯ジャー、木から生える笛ラムネにダブルクリーム、ソフトクリーム、出汁サーバーなんてのも登場する。
泉から湧き出るおソバ、オフィスグリコのカエルの貯金箱なども出てくる。世界観も時代考証もめちゃくちゃだ! という声もありそうだが、こうした装置がさまざまな憶測や考察を引き出しやすくなっており、同時にちいかわコラボを誘発し、外側世界で「IP化させやすさ」にもつながっている。
■まるで枕草子のような世界観
映画版では、ちいかわは島民と共に、セイレーンという巨大な怪物と戦う。
セイレーンは島民を見下げているわけでもなく、時にはともだちのように楽しく日々を過ごしながら、突如として一緒に遊んでいた島民たちを捕食の対象にする。
「ちょっと目をはなしたらこれだもん。旨味が染みたら味噌漬けね」と話すように非情である。島民らに同情も共感もない。
セイレーンが「でかつよ族」かどうかは議論があるようだが、ちいかわらと対をなすモンスターたちのメンタリティは総じて人間そのものである。常に怯えと恐怖で涙を浮かべ、あらゆる事象に心を動かされる繊細すぎるちいかわとは真逆である。この構造はまるで今の世界における人間対その他の生物のようだ。
我々は好奇心旺盛で世界を闊歩し、あらゆる生を食して生きている。「ちいさくてかわいいやつら」の世界を置き去りにしながら、その奪ったものを一顧だにしない。映画版でのふるまいに賛否両論が生まれた、わがままで横暴な「モモンガ」に対する我々のいら立ちは、そうしたところから生まれるのではないだろうか。
似たような世界を描いた作品としては『すみっコぐらし』があげられるだろう。人間社会でもメインストリームからはずれ、ちいさな世界でコンプレックスをかかえ、すみっこを逆に落ち着く場として生きている人がいる。

ちいかわも同様のメッセージを発信しており、枕草子の「ちいさきものはみなうつくし」の精神で、我々が忘れ去っている日々のちょっとした心の揺れ動きやはかない友情の美しさ、ほっとやわらぐ食べ物による満足感などをまるで俳句や詩のようにつらつらと語っている。
■突然発生する“不穏な回”の魅力
『ちいかわ』において、いまだ隠された謎として「呪いの杖編」がある。「うさぎ」が買ってきた杖のような何らかの文明具をきっかけに、突如ともだちだったちいかわ族にツノが生え、爪が伸び出て、まるででかつよ族のような「キメラ」になる。
モモンガのように、(おそらくは)2つの部族間で身体を交換しあって、ちいかわ世界に潜んでいるでかつよ、という伏線も仕込まれている。過去イチ恐ろしかった話は、ハチワレとうさぎがキメラ化したシーンだろう。「心がふたつある~」のアレである。
ほのぼのとした暮らしを描く「日常編」でも突然“不穏な回”が投稿され、そのたびにXのトレンド入りを繰り返してきた。映画版の話に戻るが、映画はそのちいかわならではの話題のつくり方がそのままぎゅっと99分に凝縮されていた。
それは人間社会の崩壊後を描いたと多くの考察で話題になった『けものフレンズ』と酷似する。ともだちが明日ふと変貌するかもしれない恐るべき世界。ビジュアルや会話、世界観すべてが「ふわふわかわいいもの」に包まれているようにみえて、それは我々の日常の残酷さをむしろ際立たせる。
総括するとサンリオ的世界観の中で「すみっコぐらし」×「美味しんぼ」×「けものフレンズ」が合体したような作品、というのが私のちいかわ解釈である。

無菌状態にしていない、ということが『ちいかわ』の魅力である。ただかわいいだけじゃ生きていけない、そこにはあざとさもあれば弱肉強食で隣人を喰うような競争もある。そこにナガノ氏は逐一起こったことを説明せず、「なんとかなっちゃった」と突き放すことで、判断も考察も我々に預ける。
このちいかわ世界はなぜ生まれたのか、ちいかわ達は何をアナロジーとして我々に伝えているのか。映画版の「今日の日はさようなら」が、視聴し終わってしばらくたっても、脳裏に深くこびりついている。澄んだハチワレの歌声が、どこか不安定でいつかは失われる凶兆を感じさせる。
劇場版はこの歌のために作られたのではないか。この歌声をファンに「植え付けた」ことで今後ちいかわ世界にハマりこむ深さは一段また深くなることだろう。

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中山 淳雄(なかやま・あつお)

エンタメ社会学者、Re entertainment社長

1980年栃木県生まれ。東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。著書に『エンタの巨匠』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』(すべて日経BP)など。

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(エンタメ社会学者、Re entertainment社長 中山 淳雄)
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