長年連れ添った妻から熟年離婚を切り出された夫は、なぜ「突然」と感じるのか。離婚カウンセラーの森本由紀さんは「夫は家族を養ってきたと感じていても、妻が引き受けている制限や負担に目を向けていないことがある。
妻がその事実に気付き、離婚の引き金になることがある」という――。
■「俺のぶんを分けてやっている」
恵子さん(仮名・64歳)は、会社員の夫と結婚して38年。毎月夫から生活費を受け取り、家計を管理してきました。その夫も65歳で会社を完全退職し、年金生活に入ることになりました。
いつものように「生活費をお願いします」と声をかけると、夫は10万円を差し出し、こう言いました。
「これからは10万円で2カ月やりくりしてくれ。今月と来月の分だ」
恵子さんは、一瞬意味が分かりませんでした。
これまでは毎月10万円を生活費として受け取っていたからです。住宅ローンや光熱費は夫の口座から支払われていましたが、食費や日用品など日々の生活費は、夫から渡される10万円で賄ってきました。
「つまり月5万円ということ? 食料品も日用品も値上がりしていて、月10万円でも厳しいのに、どうやって生活すればいいの?」
そう訴えても、夫は
「年金は給料より少ないんだから仕方ない」

「年金は2カ月に1回しか入らないんだから、2カ月分まとめて渡す」
と言うばかりでした。
夫は年金額も教えてくれません。恵子さんが自分で調べてみると、これまでの収入から考えて、夫は老齢基礎年金と老齢厚生年金を合わせて月18万円程度受給していると推測されました。
さらに、65歳未満の配偶者がいる場合に加算される「加給年金」も月3万5000円程度支給されているはずです。
つまり、月20万円を超える年金を受け取っているにもかかわらず、生活費として渡されるのは月5万円だけということになります。
納得できずにもう一度話し合おうとすると、夫はこう言いました。
「来年からはお前自身の年金も出るだろう? 俺のぶんを分けてやっているんだから、ありがたいと思え」
■扶養内は「楽だから」ではない
恵子さんは短大を卒業後、金融機関で働いていましたが、結婚を機に会社を退職。その後はずっと扶養の範囲内でパート勤務を続けてきました。家事や育児に夫の協力はほとんどなし。子どもが小さい頃は保育園の送迎や学校行事、急な発熱への対応を恵子さんが一手に引き受け、家事もほぼ一人で担ってきました。
恵子さんが扶養内で働き続けたのは、決して「楽だから」「そうしたかったから」ではありません。扶養の範囲内で働く方が税金や社会保険料の面で家計全体にとって有利だと考えていたからです。夫自身も、恵子さんの収入が増えて自分の税負担が増えることを気にしていました。結果として、夫婦でこの働き方を選んできたと言えます。
家計を預かっていた恵子さんは、夫から渡される生活費10万円と、自分のパート収入6~8万円でやりくりしてきました。
生活費が足りない月もありましたが、夫に頼んでも簡単には出してくれません。自分の洋服を買うのは年に数回。友人との外食もできるだけ控え、家族を優先して節約を続けてきたのです。
恵子さんは結婚後厚生年金に加入する機会がなく、自身の年金はほぼ国民年金(老齢基礎年金)のみ。老齢基礎年金は満額でも1カ月あたり約7万円です。なお、夫に支給されていた加給年金は、恵子さんが65歳になると終了し、その代わりに恵子さんの老齢基礎年金へ「振替加算」が加算されます。しかし、その金額は月1300円程度に過ぎません。
65歳から恵子さん自身が受け取れる年金は、トータルで月8万円弱。パートを辞めれば、夫から生活費を受け取ったとしても、決して余裕のある生活は望めませんでした。
■「誰のおかげで生活できたと思ってるんだ」
夫は生活費を減らす一方で、晩酌用の酒やたばこ、趣味にはこれまでどおりお金を使っていました。自分の小遣いは守りながら、恵子さんにだけ節約を求める夫。恵子さんが抗議すると、夫はこう言いました。

「これまで40年近く、誰のおかげで生活できたと思ってるんだ」
その言葉に、恵子さんは胸が締め付けられました。
夫が長年仕事に専念できたのは、恵子さんが働く時間を調整し、家事や育児を担ってきたからでもあります。恵子さんの年金が少ないのも、家族を優先し、扶養内という働き方を選び続けてきた結果でした。しかし夫には、「自分が家族を養ってきた」という意識しかないのです。
実は、熟年離婚の相談では、このような認識のズレは決して珍しくありません。夫は「自分が働いて家族を養ってきた」と考え、妻は「自分が家庭を支えてきたからこそ夫は安心して働けた」と考えています。お互いの貢献を当然のものとして受け止め、感謝や理解を失ってしまうと、長年積み重ねてきたものが一気に崩れてしまうことがあります。
■年金は「自分のお金」か
年金は、自分が長年働いた結果として受け取るもの。そのため、夫は「自分のお金なのだから、自分が自由に使っていい」と考えていたのかもしれません。恵子さんに生活費を渡しているのも、自分が面倒を見てやっているからだと思っているようでした。
長年積み重ねてきた配慮や犠牲を、夫は一度も理解していなかったという事実に気付いた恵子さんは、この夫と残りの人生を共に歩む気持ちを失ってしまいました。
「これから先も、この人の判断一つで生活が左右され続けるのは耐えられない」
そう考えたとき、初めて「離婚」という二文字がはっきりと頭に浮かびました。

それでも、「離婚したら生活できないのではないか」という不安は残っていました。そこで恵子さんは、ファイナンシャルプランナーに相談し、老後資金をシミュレーションしてみることにしました。
■「お金より大事なこと」に気付いた妻
年金分割をした場合、恵子さんの年金は月12万円程度に増える見込みです。これまでどおりパートを続けて月8万円程度の収入を得れば、当面の収入は月20万円程度になります。
住宅ローンを完済した自宅は、財産分与で恵子さんが取得することになりました。固定資産税や修繕費なども含めた毎月の支出を16万円程度と見積もると、パートを続けている間は月4万円程度を貯蓄に回すこともできます。
もちろん、いつまでパートを続けられるかはわかりません。仕事を辞めた後は年金だけでは不足するため、財産分与で確保した預貯金を取り崩すことも含めて試算しました。それでも、一人で老後を暮らしていくことは十分現実的だとわかったのです。
「夫から生活費をもらわなければ生活できない」と考えていたのは、長年夫が家計の主導権を握り、自分はそれに従うものだと思ってきたからだったのかもしれません。そのことに気付いたとき、恵子さんの気持ちは大きく変わりました。
「お金が心配だから離婚できない」と考えている人も、実は思い込んでいたほど厳しい状況ではないケースもあります。

■一人になって「支えられていた」と気付いた夫
離婚後も、恵子さんはこれまでの自宅に住み、パートを続けています。生活そのものは大きく変わっていませんが、夫から生活費をもらう必要はなくなりました。年金もパート収入も自分で管理し、何にいくら使うかも自分で決めています。
以前は友人から食事や旅行に誘われても、お金のことや夫の顔色が気になり、気軽に出かけることができませんでした。今では、ときどき友人と食事をしたり、旅行に出かけたりすることも楽しんでいます。
お金の不安がなくなったわけではありません。それでも、夫の判断に左右されず、自分でこれからの暮らしを決められるようになったことに、恵子さんは大きな安心を感じています。
一方、夫は自宅を出て一人暮らしを始めました。これまで家事のほとんどを恵子さんに任せていたため、食事の準備から洗濯、掃除まで、すべて自分でしなければなりません。
かつて「誰のおかげで生活できたと思ってるんだ」と妻に言った夫。しかし、一人になって初めて、自分の生活もまた妻に支えられていたことに気づいたのです。
■年金分割の期限に注意
この事例にでてきた年金分割は、婚姻期間中の厚生年金の加入実績(標準報酬)を離婚時に分割する制度です。
対象となるのはあくまで厚生年金のみで、国民年金は対象になりません。年金受給開始後でも手続きできます。
2026年4月1日より、年金分割の手続き期限は、離婚後2年以内から離婚後5年以内に延長されました。
ただし、既に年金受給を開始している場合、年金分割後の年金額が反映されるのは、原則として手続き後に支給される年金からです。手続きが遅れると、受け取れる年金が少なくなります。
また、離婚後に相手が亡くなった場合の手続き期限は死亡から1カ月以内となります。離婚後は連絡を取り合わなくなる夫婦も多く、相手の死亡を知らないまま期限を過ぎるおそれもあります。
5年あるからと安心せず、離婚後はできるだけ早めに手続きを済ませておくと安心です。

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森本 由紀(もりもと・ゆき)

行政書士/ファイナンシャルプランナー(AFP・2級FP技能士)/離婚カウンセラー

神戸大学法学部卒業。法律事務所勤務を経て、2012年に行政書士ゆらこ事務所を開業。離婚協議書作成などの離婚手続き支援を中心に、夫婦問題や熟年離婚に関する相談業務を行う。離婚後の生活設計や老後資金、財産分与、年金分割など、お金に関するアドバイスにも力を入れている。法律・マネー分野の記事執筆・監修実績多数。

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(行政書士/ファイナンシャルプランナー(AFP・2級FP技能士)/離婚カウンセラー 森本 由紀)
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