前編では、花王が「人の状態をどう理解するか」を探究する中で、「歩行」というテーマへとたどり着いた過程を紹介しました。
20年近くにわたる研究を通して見えてきたのは、歩行が、その人の身体や生活、さらには心の状態までも映し出す「健康の鏡」だということでした。
では、その知見を、どうすればより多くの人の健康につなげられるのか。
後編では、研究成果を社会へ届けるための挑戦と試行錯誤、そして花王が目指す未来を紹介します。今回も引き続き、「人の状態をどう理解するか」を探究してきたヒューマンヘルスケア研究所 室長の須藤元喜さんにお話を伺いました。
歩行測定のイメージ
前編記事はこちら
花王が「歩く」を研究する理由。おむつ開発から始まった20年の探究PR TIMES STORY×
歩き方から「その人」が見えてくる
歩行研究の本質的な価値
歩行研究が明らかにしてきたのは、「歩き方」そのものだけではありませんでした。
花王が見つめてきたのは、歩くという日常の行為の中に現れる、人の状態やその変化です。
「歩き方を見ることで、その人の中で何が起きているのかが見えてくる。そこに大きな価値があると思っています。」
歩き方には、疲労やストレス、身体のゆがみといった状態が反映され、本人が自覚していない変化まで現れることがあります。歩行を測ることは、心身の状態の変化に気づくための入口になります。
「自分は人間科学部の出身で、生物学や心理学などを学んできました。そのことは、『行動変容』ととても相性がいいと思っています。」
正しい知識を伝えるだけでは、人の行動は変わりません。大切なのは、変化を受け取りたくなる形で伝えることでした。
それは、花王が長年大切にしてきた生活者視点とも重なる考え方でした。
「無理に『歩きましょう』と促すのではなく、『あなたの歩き方にはこんな特徴がある』『あなたの健康とこう関係している』と伝えることで、『ちょっと気にしてみようかな』と思ってもらう。自分の状態を知ることで、無理に変えようとしなくても、自然と生活が変わっていく。その 『気づき』こそが、行動変容の入り口になるのではと考えました。」
歩行研究の価値は、「歩き方」を評価することではなく、人が自分自身の状態に気づくきっかけをつくることにありました。
社内プロジェクトから始まった「実証」
「変える」のではなく「気づく」
こうした考え方を形にする場となったのが、社内の健康増進プロジェクトでした。ウォーキングチャレンジなどを通じて、歩行データを活用したフィードバックを行い、人が歩くことに興味を持つ仕組みづくりに取り組みました。
その中で、印象的な反応があったといいます。
「歩行年齢という指標が、一番反応が大きかったですね。結果を見て、喜ぶ人もいれば、ショックを受ける人もいる。
表向きは結果を気にしていない様子でも、翌日から鞄を持つ手を変えていたり、階段を使うようになったり、気づかないうちに行動が少しずつ変わっていく人もいるんです。」
そんな小さな変化を目の当たりにするたびに、「届いている」という実感があったといいます。
こうした取り組みは、その後、自治体や企業向けの健康支援にも広がっていきました。加速度センサーを用いた歩行計「ホコタッチ」を活用し、日常の歩行を継続的に測定することで、介護予防や健康づくりへの応用が進められていきました。
一方で、この取り組みは自治体や企業などに限られており、「自分も測ってみたい」という個人の声があっても応えることができず、悔しい想いをしたといいます。
「自分だけで簡単に測れる方法を作りたい、というのはずっとありました。もっと多くの人に、日常の中で使ってもらえる形で届けたい、と思っていたんです。」
ビジネスとの葛藤と試行錯誤
研究の推進には、社外との連携も不可欠でした。産業技術総合研究所とは精密な動作解析を進め、弘前大学COI拠点、東京都健康長寿医療センターや国立長寿医療研究センターとは長期的なデータを蓄積していきました。
アカデミアと公衆衛生の異なる専門性を持つ研究機関をつなぎながら研究を続けてきたことも、花王の重要な役割でした。
しかし、この研究は順風満帆だったわけではありません。
研究としての価値は見えてきました。しかし、その知見をより多くの生活者へ届けるには、事業として成立させる必要がありました。
「届いた生活者には喜んでいただける。でも、それをもっと広く届けられなければ、会社にとっても、社会にとっても本当の意味での貢献にはならない。
どうすれば社会にとって本当の価値になるのか。
その問いに向き合い続けることが、次の挑戦になっていきました。
「実際に測定を体験した方の満足度や、行動変容については自信がありました。ただ、事業貢献という意味では、まだ規模が小さく、風当たりが強い時期もありました。
運動をサポートする商品開発にも取り組みましたが、ひとつの商品だけで人の行動を大きく変えることには限界があります。そこで、『どうすれば歩きたくなるのか』という発想へ転換し、『気づき』を届けるサービスという形を模索していきました。」
その一方で、研究成果を社会へ届ける方法は、一つではありませんでした。
おむつなどの商品開発支援も継続し、また歩行の重要性をより多くの人に知ってもらうための情報発信にも力を入れていきました。
歩行に関する情報発信
フレイル予防!日常生活での3つのポイント│花王 MyKao
スマートフォンがもたらした転機
日常に広がる歩行研究
「もっと多くの人に届けたい」という思いは、スマートフォンの普及を転機に大きく前進します。「スマートフォンに加速度センサーが搭載されていたことが重要でした。これまで培ってきた技術と組み合わせることで、自分のスマホが日常歩行を測るデバイスになると考えたんです。また、歩行の変化を早い段階で捉えるためにも、『誰でも簡単に測れる』ことにはかなりこだわりました。」
蓄積してきたデータと解析技術を生かし、スマートフォンで歩行の特徴を捉える仕組みが形になっていきました。
「研究が進んだ背景には、スマホの普及に加え、データ解析技術の飛躍的な進歩もありました。蓄積してきた独自のデータを最大限生かし、組み直したアルゴリズムをスマホへ実装してみたところ、『これはいけそうだ』と手応えを感じたんです。」
この技術は、「Walk Coordinator」という研究アプリとして体系化されました。
スマートフォンを持ったまま8歩歩くだけで、歩行速度や歩幅はもちろん、関節や全身の動きまで捉えられるようになってきました。
こうして、一人ひとりの日常へ、その知見を届けられる可能性が見えてきたのです。
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技術を「価値」に変換する
価値をどう届けるか?
しかし、技術が確立されても、それだけでは十分ではありませんでした。歩行そのものを伝えても、それだけでは必ずしも生活者の関心にはつながらないためです。
「『歩きましょう』ではなく、今、心身の状態で困っていることを解決しましょう。
『歩く』を測ることで、その解決に近づきますよ、という考え方の転換が必要でした。」
生活者が本当に知りたいことは何か。
その問いから、研究は「歩行そのもの」ではなく、その先にある価値を伝える方向へ進んでいきました。
そこで注目したのが、骨格や関節、筋肉などの位置関係やバランスを示す「身体アライメント」です。
歩行中の身体アライメントを解析することで、姿勢とそのゆがみが慢性的な疲労と関連している可能性が見えてきました。歩行データは、歩き方そのものではなく、姿勢や疲労といった生活者にとって身近な価値へと翻訳されるようになっていったのです。
「歩行を届けるのではなく、その先にある価値を届ける。」
この発想の転換が、歩行研究を生活者の価値へとつなぐ、大きな一歩となりました。
関連ニュースリリース
花王 | 歩行中の身体アライメント解析から姿勢を把握 身体アライメントのゆがみは疲労の一因となる可能性を確認
花王だから続けられた理由
研究を支えてきた人と環境
では、この研究は、なぜ20年近く続けることができたのでしょうか。この長期にわたる取り組みは、一人の研究者だけで続けてこられたものではありません。社内の仲間や上長、外部の研究者など、多くの人との出会いと支えの中で育まれてきました。
その背景には、挑戦を受け入れる花王の研究文化があります。
「やるべきだと思うならやってみろ、という空気はありました。失敗を恐れず、挑戦することを前向きに受け止めてくれる風土があったと強く感じます。」
須藤さん自身も、「周りと楽しくやること」を大切にしてきたといいます。
「これ絶対面白いよ、と言い合える仲間がいる。それだけで背中を押されるんです。」
そうした仲間との対話や挑戦の積み重ねが、研究を少しずつ広げていきました。
さらに、「研究は楽しい」とも語ります。
「人によって歩き方がこんなに違う、ということ自体がとても興味深かったですし、それを伝えたときの反応も人それぞれで、そこがまた面白いんです。」
振り返れば、「むくみ」や「動き」といった研究が、少しずつ「歩行」へとつながっていました。そうした積み重ねの中で、須藤さんは一連の研究をまとめ、学位を取得しています。
研究の意義を信じて環境を整えてくれる上長や、異なる視点をもたらす外部の研究者との出会い、そして社会へどう届けていくかをともに考えてくれる仲間にも恵まれました。
「運がよかったと言えばそれまでかもしれませんが、その時々で、人とのつながりに支えられてきた実感があります。」
そして今、須藤さんが見据えているのは、次の世代へのバトンです。
これまでの挑戦や試行錯誤を、若い研究者たちが新たな形で発展させていく。そのための環境を整えることも、自身の役割の一つだと考えています。
「将来につながる、世の中も自分もわくわくする研究をやってほしいですね。」
これまで受け取ってきたものを、今の時代に合った形で次へ手渡していく。
その積み重ねが、研究を未来へつないでいきます。
「これからが本番」
「これからが本番だと思っています」と、須藤さんは語ります。現在、歩行研究は「動く・食べる・休む」を統合的に捉えるヘルスケア研究の中で、「動く」を担う研究として発展を続けています。
歩行という日常の行為から、健康状態を読み解き、未来のリスクに気づく。
その知見を、生活者にとって意味のある価値へどう変えていくのか。
「花王は多様な商品を通して生活者とさまざまな接点を持っている会社です。
だからこそ、その価値を日々の暮らしの中で形にして届けられると思っています。
『歩く』という視点から、一生涯を通したより多くの人の健康で豊かな暮らしに貢献したい。それを、花王ならではの形でお届けしていくことに、これからも挑戦しつづけたいです。」
人を深く理解し、日常の中から未来につながる価値を見つけていく。
花王の歩行研究は、これからも生活者一人ひとりの毎日に寄り添いながら、一歩ずつ続いていきます。
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姿勢のゆがみを解析するアプリ:my Symmetry
※ my Symmetryは、Walk Coordinatorと測定原理を同じとしながら、表示項目を限定した医療機器非該当アプリです。