2026年9月7日(月)に70歳、そして2028年にはデビュー50周年を迎える長渕剛。その節目に発表したニューアルバム『JUST ONE』には、“乾杯”、“とんぼ”、“RUN”のセルフカバー3曲と、現在の心境を綴った新曲3曲を収録。

さらに、ギター1本の弾き語りに立ち返るアコースティックツアー<TSUYOSHI NAGABUCHI ACOUSTIC HALL TOUR 2026 “JUST ONE”>も7月20日(月・祝)よりスタートした。そのツアー開始を前に、長渕が語ったのは、ニューアルバム『JUST ONE』に込めた「破壊衝動」という創作哲学だった。懐かしさでも、過去を振り返るためでもなく、自ら創ったものを自ら壊し続けるという思想。その背景にはどんな想いがあったのか。『JUST ONE』に込めた想いから、ライブで追い求める身体性、韓国で愛され続ける楽曲との関係、そして70歳、デビュー50周年のその先まで。長渕剛が、自身の創作と人生を赤裸々に語った。

INTERVIEW:長渕剛

「創ったものを壊していく」──『JUST ONE』に込めた破壊衝動

INTERVIEW:長渕剛 「壊すこと」から始まる創作哲学
Photo by Hayato Ichihara

── 『JUST ONE』では、“乾杯”、“とんぼ”、“RUN”という代表曲をセルフカバーしています。今、このタイミングで歌い直した理由を教えてください。破壊衝動というものがあります。創り上げた瞬間に、次のものを作らなきゃいけない気持ちになるんです。聴いていただいた人から「好き」と言われるか、「嫌い」と言われるか。それも大事です。でも、出来たものを自分で壊していく。

そのことが僕にとっては何より大切なんです。ずいぶん長い間、みなさんに育てていただいた僕の歌、“乾杯”、“とんぼ”、“RUN”を、その破壊された今の声でちゃんと聴いてもらいたい想いがあったんです。── セルフカバーを出すことが前提にあったのか、それともアルバムリリースが先にあったのか、どちらなのでしょうか?もう僕のサイクルは、ニューアルバムとかミニアルバムとか、正直言ってそういうところにないような気がしています。散々やってきましたから。思いっきりクリエーションをやれてこられた。ただ、後ろから急き立てられるように曲を書かねばならない、というのが何十年も続いてきましたね。レコード会社との相互関係において、約束を守っていくという恩義のあり方は、僕が考えていたほど組織にはなくなりましたね。その中で「よく書いたな」という気持ちと、「こんな歌、歌えないよ」という気持ちが同居するんです。だから自分が創り上げてきたもの、人々が創り上げてきたアーティストの姿を思いっきり破壊していく。そっちのほうが人生としては大切なことなんです。

ライブは「肉体の破壊」──限界の先を求めるアスリート性

INTERVIEW:長渕剛 「壊すこと」から始まる創作哲学
Photo by Hayato Ichihara

── そうした「破壊衝動」は、作品だけでなくライブにも通じているのでしょうか?ライブはフィジカルの破壊があります。そことの兼ね合いは、アスリート性が重要です。自分の肉体が限界値に達したときにどうなるか、そこに非常に興味がありました。

僕はいわゆる音楽のジャンルだけにこだわっていないのです。アスリートの自己記録とか、そういうカテゴリに自分がいます。なので、コンサートもどんどん激しくなっていきました。ギター1本でやっていた頃も落ち着いたコンサートではなく、24歳のとき、新宿厚生年金ホールでハーモニカホルダーにマイクつけて、客席に飛び込みましたね。フォークもロックも関係ない破壊衝動です。そうやって、どんどんライブの高みを目指していくと、当然フィジカルの問題がついてきます。桜島(『桜島オールナイトコンサート』2004年)をやったときも、富士(『オールナイトライヴ2015 in 富士山麓』)をやったときも、限界を超えたところに何が見えるのか、というとてつもない欲求がありました。そのために身体を削り込んでいった。富士のとき、59歳で心拍数が206を打つなんて普通はありえないんですね。そこで見たもの、得たものは自分が大事にしているものです。ライブでの破壊は肉体の破壊でもありますから、肉体が破壊されないように日々訓練をしていく志に変わっていくのは当たり前のことですね。── <桜島オールナイトコンサート>へ向けては、身体づくりにも大きく取り組まれていました。
当時、周囲からはどんな反応がありましたか?
桜島をやる前、「お前はどこ行こうとしてるんだ?」と、よく言われました。当時のレコード会社の社長からは、「お前、身体ばっかり作ってんじゃないよ、歌書けよ。金になんねえんだよ」って(笑)。肉体は土台ですからこれを作ること!それが基本であることをまだ誰も認めようとしていなかったですね。売上よりも大切なことですね。── 確かに、当時はアーティストが身体づくり、トレーニングをすること自体の理解が周りにまだなかったですよね。そういった破壊衝動こそが、長渕さんのアーティストとしての原動力になっている。そうですね。ただ、やみくもに破壊することとは異なります。例えば大勢に向かって石を投げるのは、青年としては実直な心です。投げるか投げないか。僕は気がついたら投げていました。
その返り討ちで痛い思いをします。また泥をこねて、もっと硬質な石を投げようとする。痛めつけられれば痛めつけられるほど鋼鉄の魂が宿る、そういう修練です。それが潜在的に音楽の場所にあることを、おそらく皆さんはご存知ではないのかもしれないです。そうした見方をなさらないんで。一流を得たアーティストたちは、並々ならぬフィジカルとの闘いを強いていらっしゃると確信しています。

韓国で育まれた歌──国境を越えて結ばれたもの

INTERVIEW:長渕剛 「壊すこと」から始まる創作哲学
Photo by Hayato Ichihara

── 今回“乾杯”、“とんぼ”、“RUN”を歌い直したきっかけのひとつに、韓国でそれらの曲が愛されてきたこともあったそうですね。故郷・鹿児島から福岡へ出て行った頃、ライブハウス照和のマネジメントをやっていた、大学の3年先輩で韓国の方がいらっしゃいました。彼が僕のことをものすごく可愛がってくれたんですね。韓国の家庭料理や音楽の話、人生の話など、面倒を見てくれました。その恩義があるんです。それで僕が武道館をやり始めたときに韓国の方々を200名招待したんです、自腹で。でも国内では「カッコつけて何をしてるんだ!」と酷評でしたね。

継続すればよかったんですけど、自費なので2回目ができませんでした。企業協賛なんて頭にないし、好きだから呼ぼう、くらいの感覚でやったんです。それで韓国に私設ファンクラブができました。僕はテレビドラマをやり始めて、“とんぼ”、“RUN”は向こうでもものすごく人気があったというのは聞いていました。チョー・ヨンピルが日本に来たときに“乾杯”を歌っていただいたり。そうやって何かしら僕は韓国の人に対しての想いがあったんです。それで昨年、一昨年と韓国へ行って、いろんなお話をさせてもらいました。何らかの形で韓国のアーティストと何かやりたいなというのは、まだ自分の胸の中にあります。── 韓国では長年、日本語の歌が制限されてきた歴史があります。社会的な情勢や思想的なもの、歴史の背景があって、暗く鬱屈したものは確かにあったと強く感じています。もう今の若い世代はまったく関係ないですね。いいと思います。
あと韓国は国策として、国が文化や芸術を推奨なさっていますね。そこは見習わなきゃいけないところだなと思ったりします。彼らの原型にあるものを僕はお聞きしました。なんと、昭和歌謡がすごく好きなんですね。今音楽を作ってらっしゃる50代のプロデューサーは、因縁の仲ではありながらもやっぱり日本と結びついていて、非常に豊かな関係性を築いていらしたみたいですね。元来、しっかり繋がるべき民族という気持ちは強いです。

反骨と自己矛盾 一匹狼として歌い続ける理由

INTERVIEW:長渕剛 「壊すこと」から始まる創作哲学
Photo by Hayato Ichihara

── ドラマのお話も出ましたが、“とんぼ”、“RUN”はドラマの影響もあって、長渕さんにダーティなイメージがありました。あの当時30代のご自身のアーティスト性について今あらためて思うことはあります?正直な青年だなと思いますね。そりゃ、ダーティでしょ? 音楽やってるんだから(笑)。反逆児の資質がなければ出てきませんね。反骨があるから音楽をやるわけです。でもそこは自己矛盾を年齢と共に感じていくんです。もっと反骨、反逆したいと思っても社会がそれを許さない。年齢的な見え方もあるし、家族も背負わなければならない。1人だったら何だってできるんです。日本という国の矛盾や無責任さの中で、自己を追求していくことは至難の技だったりしますからね。しかし、静かに生きるのは僕の本質とは違いますからね。ガツンと世間に唾を吐いて歌ってるようなアーティストを見ると、とても安心します。ヒップホップの不良性も。僕は群れをなすことをしませんでしたけど、ああいう、形だけはでないところ結び合う強固な仲間意識は共感します。── 長渕さんは昔から一匹狼でしたし。そう言うと聞こえはいいですが(笑)。一匹にならざるを得なかったんですよ。── “世の中、みんな敵”みたいなところがあったと思います。確かにそう思ってましたね。今も多いにあります。特に30代から50代くらいまでは全員敵でした。「こっち来るもんならぶっ飛ばしてやる!」と。

歌は人々のものになる──“乾杯”が帰ってきた日

INTERVIEW:長渕剛 「壊すこと」から始まる創作哲学
Photo by Hayato Ichihara

── そういった意味でも本作の“とんぼ”は時代を経て、ものすごくおおらかな歌になったと思います。そうですかねえ。今の自分の声で歌いたいと思いました。歌というものは人々の心に入っていくんです。だから僕が30代に放った歌は、みなさんそれぞれの青年期や思い出と一緒に歩いていった。だけど僕は違います。思い出はあるんですけど、僕は破壊願望でずっと続けてきました。いつまでもその曲が浮遊されるものなら、腹が立つのと危機感を抱きます。歌い直したことで少しはすっきりしたなという気持ちです。なんだったら全部歌い直したいくらい。300何曲かありますけど(笑)。── “乾杯”は20代のときに作り、30代のときに歌い直してシングルとしてヒットしました。そのときに制作した『NEVER CHANGE』(1988年)というセルフカバーアルバムがあります。「ラジオから、昔の俺の曲が流れてくることがあるんだけど……すごく嫌なんだよね」「聴いている人間には、俺がどれだけ進んだかなんて関係ない、どっちでもいいことなんだよね。(中略)すでに作品として輝いてる昔の曲を、今の声で、今の気持ちで歌い直そうと思ったんだ」とライナーノーツに書かれています。そうでしたね。常に山を登る途中です、人生という山を。山頂に行くまで僕の前に立ち塞がるなと。過去の足跡は振り返らないわけですから。だけど、その足跡がいつも自分の前に来る。それは登ろうとする自分にとっては邪魔でしょうがないわけです。だから払拭してしまえと。そんな時期だったと思います。── あの頃に比べると、今の長渕さんは昔の自分と向き合えているのでしょうか。いえ、昔のものには向き合えないです。もう後ろにいるものだから。自分はどんどん登るだけです。過去のものはいつもそこに残されていく。だから創り続けなきゃダメですよ。過去の歌、詩が時代を超えて童謡になっていくことが、僕の使命。── “乾杯”は顕著だと思うんですけど、多くの人に愛されてきました。言い方は悪いですが、受け入れざるを得ないところもあったのかなと。その歌がたまたま人々の心をとらえただけの話なんですけど、これが10年ならず20年、30年、40年、50年になってくると、ちょっとわけが違いますね、こちらへの帰って来方が。昔々に旅立って二度と会えないだろうと思った我が子が、負傷しながらも人のためになり、いろんな人たちの希望の灯火となって、それで「お父さん帰ってきたよ」というイメージでしょうか。それは愛おしいです。よく頑張ったなと。僕が頑張ったんじゃなくて、こいつが頑張ったんだと。あとは“乾杯”に関しては、僕の中学時代からの友人のために、どちらかが結婚するときにそういう歌を創ろうと、可愛い約束をしていました。友人も歌を志していましたから。その友人が数年前に他界したこと。これは自分の中で衝撃的な悲しみでした。“乾杯”という歌の持っている質感がもっと大切なものになりましたね。── “乾杯”は海外で平和の歌として歌われていたり、本来の意味合いとは違う形で愛されてきたことでの気づきもあったのではないかと思うんです。ありましたね。こういう育てられ方をして、こういうふうに皆さんが歌ってらっしゃるんだと非常に思いました。ただ、もうそこまで来ると、先ほどもお話しましたが、誰が作ったとかまったく関係なく、僕が一番求めていた、誰が作ったかわからないけど人々が不意に口ずさんでいる、“夕焼け小焼け”や“赤とんぼ”といった童謡のところへ行き着け、というのは20代後半に志したところだったんで、もうこれでいいと思います。── そうやって帰ってきた我が子のような歌を、また破壊したい衝動もある。その繰り返しだと思います。僕は“こなしていく”作業がダメなんです。ステージでも、バンドへ毎回違うことを要求していきます。やっぱりスリルや危険性が大切です。なので、一昔前の「これは私の曲でございます」と、一発ヒットすれば10年20年食えるんだというのはナンセンスだと僕は思ってきました。だから創り続けてきました。

声は生き物──変化を受け入れ、表現を更新する

INTERVIEW:長渕剛 「壊すこと」から始まる創作哲学
Photo by Atsuki Iwasa

── 本作のセルフカバー3曲は原曲イメージそのままに、長渕さんの現在の歌声と2026年のサウンドにアップデートした印象が強いですが、長渕さんは昔の歌をまったく違うアレンジやメロディで歌うことも多いですよね。そこに対し、「昔のままで歌って欲しい」という声もありますが、そこはどう考えていらっしゃいますか?理解はしています。先日の名古屋(『7 NIGHTS SPECIAL in ARENA』振替公演)では久々に“素顔”(1979年)をやりました。ピアノとガットギター入れて、当時のように歌ってあげようと思って。みんな喜んで一緒に歌いました。── 今回の“とんぼ”はキーを下げていますが、キーに関してはどう考えていますか?その時々の声帯ですからね。高いときもあれば、低いときもあるので、今のちょうどいい頃合いのところでキーを設定しました。声帯は生き物なんで、作ったままのキーで歌う必要性はまったくなくて、もっとガーンと落としてわざと囁くように歌ってみたりしますね。── この3曲がセルフカバーで入っているアルバム『ACOUSTIC 俺の太陽』(1999年)では、まさに囁くようなアレンジの“とんぼ”がありました。ええ、声帯がそういうところにあったんでしょうね。── キーを下げたと思ったら原キーに戻ったりもしますよね。“夏祭り”(1981年)はライブで歌う度にギターのカポの位置が毎回変わったりするので。2、3、4(フレット)といろいろ変えますね。でも基本的には年齢とともに高いキーは出なくなります。そこからが大事です。それを無理やり出していくのか、あるいは表現を変えていくのか。味わいも違うし使い方も違いますね。でも歌は僕のものじゃなくて、聴いている人のものだとすると、それは悲しいことですね。昔のような高い声がね、ファルセットも綺麗に出たらいいのになぁ、両方できたらいいのになぁという欲張りはあります。でも自分で潰したんだからしょうがない(笑)。── しゃがれた声に憧れて、焼酎でうがいをしたというエピソードもありました。そうそう、あと「潮に揉まれるといいんだ、漁師の声がそうだろ」って、九十九里までジープで走ってね。海水でうがいしながら2時間ぐらい叫んでガラガラになって帰ってくる。「いい声になったぞ」って。そんなことやってましたね(笑)。── 喉のケアは気にされているのでしょうか。僕はあんまりしないですね。歌い込みぐらい。声は出し続けないとダメですからね。── 唯一無二ですから、長渕さんの歌声は。そうなんですかね。まぁ、そんなに簡単に出てもらっても困ります(笑)。

世代を越えて、50周年へ

INTERVIEW:長渕剛 「壊すこと」から始まる創作哲学
Photo by Hayato Ichihara

── 長年活動をしてきて、観客やファンの変化や移り変わりを感じることはあります?ファンも歳を重ねていきますから。だから求めるものと僕が追いかけてるものとの差異はありますよね。「まだ黄昏れないよ」というのは僕の中にあるんですけど、やっぱり黄昏も見せてあげないとダメだなという責任もあります。そこの葛藤みたいなのはあるかもしれない。もっとガツンといきたいんだけど、黄昏時だよねっていうのもありますからね。そこも満足させてあげたい、そう考えたりします。── 長渕ファンは歳を重ねていく人もいれば、若い人もすごく多いです。僕も客席を見て、そう思いますね。── バンドのミュージシャンもそうですけど、長渕さんは若い世代と絡むことがお好きですよね。事始めがやっぱり10代、20代ですからね。今と昔で僕はそんなに変わってないんじゃないかなと思うんです。若いミュージシャンと話をしていくと、基本的に破壊願望であるとか、行こうにも行けないもどかしさ、あるいは自己矛盾、社会との軋轢でもがいているとか、そういったものは同一性を感じます。 だから「よし、こいつらの心にビシッとくる歌を書けたら!」と思ったりします。── 自分も若いミュージシャンやアイドルと仕事すると、みんな長渕剛と“乾杯”、“とんぼ”を知っているんです。それってすごいことだなと。長くやってきてよかったなと思うところもあったり。でも逆に「そうか、やっぱり“乾杯”、“とんぼ”だけなんだな。“耳かきの歌”は知らねぇな」とか思ったりね(笑)。どうやったら浸透できるかなと考えたりします。── 今回は、“乾杯”や“とんぼ”をリアルタイムで知らない世代のミュージシャンもレコーディングに参加しています。世代を超えて作品が受け継がれていることを実感しましたか?「僕のお父さんがいつも聴いてました」「僕は抱っこされたときにこの歌を聴いてました」とかね、「感激です!」なんておっしゃるわけ。嬉しいですね。弾いてみたらくったくなく自由にプレイしていただいて、嬉しかったですね。それも音楽の成せる業かなと思いながらね。やっぱりいくつになっても、楽器持って音を出したら世代を超えてすぐに仲良くなる。理屈のない世界がありますね。── 長渕さんが若い頃は、大御所と呼ばれるスタジオミュージシャンの人たちと一緒にやってきました。怖かったですよ。僕が20代30代の初頭は「こいつら、ゴロツキ集団か!? 」ぐらいの感覚でしたから(笑)。いきなり現場でタバコ吸うわ、酒呑んでるわ、でも楽器弾いたら一流プレイ。「てめえ、リズム悪いんだから、引っ込んどけ!」って、口も悪いわ(笑)。でも惹かれていくんですよ、どこかキラッとしたものを持ってらっしゃるんで。それがよかったですね、今考えれば。やっぱりキツいほうがいいんですよ、人生って。学びは楽なことをやっても身に染みないです。痛みや屈辱、そういったもののほうが染み込みます。それをどう受け止めるか。「わかりました」とその通りやってみると思わぬ発見があって、「よし儲けた!」と。なので、厳しくて、痛くて、屈辱的に叱咤され、これはもう僕は本当に感謝しています。── SNSやAIの普及によって、音楽やエンターテインメントを取り巻く環境も大きく変化しています。そうした時代を、どのように見ていますか?途上にあって、人を罵倒するとか、悪口を言っていい気持ちになるとか、そういうツールにもなってるところがありますね。だから使い方をどうしていくかはすごく大きな問題です。たぶん自然と淘汰されていくんでしょう。こういうツールが出てきた以上は、これを受け入れていくしかありません。しかしそれによって人間の本質みたいなものが変わるとは僕は思ってないです。情報に左右されすぎないようにする危機管理は大事にしなければいけません。── 今の若い世代へ、伝えたいことはありますか?苦しい道と楽な道があったら、苦しい道を選んでほしいです。── そして、待望のアコースティックツアーが始まります。昨年のバンドとのツアーと比べて、気持ちの部分はいかがでしょうか?ひとりぼっちです、弾き語りは。闘うのが僕とスタッフだけ。僕は誰と囁き合いをするんだろうなっていうのはありますね。まずはスタッフ1人ひとりとです。少人数だけあって捉えられる標的が数が少ないですから、当然僕も厳しくなります。間違いがすぐわかりますからね。そういった意味では、ものすごい緊張を強いられるんじゃないでしょうか。僕もスタッフも。── ギターの音にもこだわっていくとお聞きしています。ギターの本質を追求します。「これ、アコギ?」という震えを創ります。ローディーたちも一生懸命やってますから、楽しみですね。── これまでの弾き語りライブとはまた違うものになりそうですね。芸術性の高いものを目指します。── そしてこの先の長渕剛について。今年70歳を迎え、2028年の50周年へどう向かっていくのでしょうか。月並みな50周年じゃつまらないし。新しいスタッフとの出会いも必要ですね。スキルと人間性を求めて。良いスタッフに育てていくこともやらなければなりません。今回のツアー19本をやってみて、何が見えてくるか? そんなところです。

Text by 冬将軍Edit by Yu Oda

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