「選挙は盗まれた」「Fake News」「MAGA」――トランプ氏の言葉は、なぜ粗雑であるにもかかわらず、これほど強く届くのか。日本の政治家が「語らないこと」で責任を薄めるのに対し、トランプ氏はまったく逆の戦略をとる。
断言し、誇張し、敵を一語で固定し、言葉の洪水で聴衆を呑み込む。不誠実に見える粗さが、逆に「本音」として受け取られる瞬間がある――そこに現代政治の深い病理がある。(以下、政治学者・森川友義氏による寄稿)
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日本型構文との決定的な違い

日本の政治家が使う構文には、ひとつの共通した特徴がある。語らないことで、あたかも語ったように見せる戦術である。内容は曖昧になり、責任は薄められ、言葉の隙間へ真意がすべり込んでいく。まるで、意味そのものを伝えるよりも、意味があるように漂わせることに力点が置かれているかのようである。拙著『政治家の「答えない」技術』では、このような話法を「政治家構文」として論じた。では、日本の外に目を向けると、政治の言葉はどのような構文をとるのか。ここでは、その対照例として、ドナルド・トランプ氏の構文を分析してみたい。

日本型の構文に慣れた目でトランプ氏の発言に接すると、まず受けるのは違和感ではなく衝撃である。日本の政治家が責任をぼかし、余白を残し、言葉の輪郭をわざとやわらかくするのに対し、トランプ氏はまったく逆へ進む。言葉を惜しまない。むしろあふれるほどに投げ込み、断言し、誇張し、相手が考える前に場を制圧する。
**日本型構文が余白を武器にするなら、トランプ構文は飽和を武器にする。**隠すのではなく出し切る。沈黙で逃げるのではなく、言葉の洪水で押し切る。その粗さが、そのまま迫力へ変わってしまうところに、トランプ構文の異様な強みがある。

第1の柱 「MAGA」――曖昧さが支持の広がりを生む器になる

その象徴が、いうまでもなく「MAGA」である。「Make America Great Again」という4語は、短く、覚えやすく、意味が広すぎる。だから強い。何をもって偉大とするのか、いつの時代へ戻るのか、どの政策で実現するのか。その中身は曖昧である。にもかかわらず、いや曖昧であるがゆえに、人びとはそこへ自分の不満や願望を自由に流し込める。 失われた雇用を思う者にも、国威の低下を嘆く者にも、文化の変化に不安を抱く者にも、この4語は自分向けの約束に見える。帽子や旗や集会を通じて視覚的記号にもなり、標語を超えて共同体の印となった。中身の不足が弱点ではなく、支持の広がりを生む器になったのである。


なぜトランプの粗雑な言葉は「本音」に聞こえてしまうのか…政治学者が分析「慎重な言葉が嘘っぽく聞こえる現代病理」
『政治家の「答えない」技術』(扶桑社新書)


第2の柱 敵を一語で固定する技術

トランプ構文の第2の柱は、敵を一語で固定する技術である。「Crooked Hillary」、「Fake News」、「China Virus」といった表現は、複雑な現実を乱暴に切り分けるが、その乱暴さがかえって効く。相手の経歴や主張を細かく検討する必要がなくなるからである。ひとたびラベルが貼られれば、その相手は議論の対象ではなく敵として処理される。

日本の政治家が論点を霧の中へ逃がすのに対し、トランプ氏は論点を敵味方の二色へ塗り替える。複雑さを消し、思考の手間を省き、感情のみを前へ押し出す。この単純化は知的には粗雑であっても、政治的にはきわめて強力である。 支持者は自分の位置をすぐに確認でき、反対者への怒りを共有できるからである。

第3の柱 断言の反復が「事実らしきもの」をつくる

第3の柱は、断言の反復で現実を上書きする点にある。「選挙は盗まれた」、「メディアは嘘をつく」、「自分だけが国を救える」。こうした発言は、事実の精査を経たうえで語られるものではない。順序が逆である。まず断言があり、その反復が支持者の心理の中で事実らしさを帯びていく。ここでは事実が言葉を支えるのではない。
言葉の勢いが、事実らしきものをあとからつくってしまう。 日本型構文が語らないことで責任を薄めるなら、トランプ構文は語りすぎることで検証の余地を奪う。静かな回避ではなく、過剰な攻勢である。

粗雑な言葉が「本音」に聞こえてしまう逆説

この構文の厄介な点は、不誠実に見える粗さが、逆に誠実さのように受けとられる瞬間があることである。普通の政治家は言葉を選び、角を削り、丁寧に整えようとする。ところが、その慎重さが続くと、人びとは整いすぎた言葉に疲れる。そこで乱暴でも本音らしく聞こえる言葉が出てくると、内容の正確さとは別のところで信頼が発生する。「ここまで言うのだから本気なのだろう」、「敵に嫌われるのだから本物なのだろう」、と感じてしまう。

この逆説は現代政治のかなり深い病理を示している。慎重な言葉が嘘っぽく聞こえ、粗雑な言葉が本音っぽく聞こえてしまう。

加えて、トランプ構文はメディアとの敵対すら資源に変える。批判されればされるほど発言は大きく報じられ、支持者の側では既存メディアに嫌われる人物としての信憑性が増す。日本の政治家の多くは炎上を恐れて語らない。
トランプ氏は炎上そのものを拡散装置として利用する。 この差は大きい。スキャンダルや暴言が打撃になるどころか、舞台装置として機能してしまうからである。批判は抑止ではなく燃料となり、構文はますます強化される。

「整いすぎた言葉」への倦怠が生んだ空白

こうした構文が広く刺さった背景には、誠実そうに見える政治言語への倦怠がある。「ご理解をいただきたい」、「丁寧に説明する」、「最大限努力する」。そうした表現が長年積み重なった結果、人びとは正しそうな言葉より、本音っぽい言葉に引き寄せられやすくなった。トランプ構文は、その空白に入り込んだ。正確ではないし、洗練もされていない。品格にも欠ける。にもかかわらず、強く届く。そこには、政治への不信と、言語への疲労が凝縮している。

「語りすぎる構文」の危険な典型

要するに、トランプ構文とは、語りすぎることで支配する話法である。
日本型構文のように曖昧さで逃げるのではなく、断言と誇張と敵対の演出で聴衆を呑み込む。両者は正反対に見えるが、共通点もある。どちらも内容そのものより、聞き手に残る印象を優先している点である。ただ、日本型が空白で支配するなら、トランプ型は飽和で支配する。その違いが決定的である。

現代政治を理解するためには、語らない構文だけでなく、語りすぎる構文にも目を凝らさねばならない。トランプ氏の言葉は、その危険な典型である。<文/森川友義>

【森川友義】
早稲田大学名誉教授。元早稲田大学国際教養学部教授。政治学博士。1955年群馬県生まれ。早稲田大学政経学部卒、ボストン大学政治学修士号、オレゴン大学政治学博士号取得。
国連勤務後、米国ルイス・クラーク大学助教、オレゴン大学客員准教授等を経て、現在に至る。専門は日本政治、恋愛学、進化政治学。政治学の著書としては『60年安保 6人の証言』(編著、同時代社)、『若者は、選挙に行かないせいで四〇〇〇万円も損している!?』、『どうする!依存大国ニッポン』(ディスカヴァートゥエンティワン社)、『生き延びるための政治学』(弘文堂)等がある
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