武道の黒帯である母親から制圧
2002年、日向さんは女性としてこの世に生まれた。言葉の認識が早く、読み書きも同い年の子どもに比べて早かったという。両親ともに筑波大学の同級生というインテリ家系。だが日向さんの才覚は群を抜いていた。「いわゆる“やりづらい子ども”だったと思います。大人が言うことに『なんで?』とよく言っていました。IQも140くらいあって、なかでも言語分野はかなり高い数値が出ていたと思います。しかし母はそんな私を快く思わなかったようです。幼少期、友だちのお母さんと話していたら、母に『大人はあなたと話したくて話しているわけじゃないのよ、気を使ってくれているだけなの』と叱られたのを覚えています。いつだったか、『本当は子どもなんてほしくなかった』『親だからといって、子どもを愛さないといけないわけじゃないのよ』と言されたこともありました」
日向さんの母親は、子どもである日向さんを“対等”に扱う。ただし“対等”のベースには、尊重ではなく冷徹さがある。
「母が私に手を出すときは、躾ではなく喧嘩だと本気で思っていたようです。彼女は元警察官であり、少林寺拳法などの武道の黒帯です。何か気に入らないことがあれば、決まって私を投げ、制圧したあとに殴ってきました。その際、『顔と内臓は傷つけたらダメ』と言っていました。一方的にやられる私としては恐怖しかありませんでしたが、元警察官として、児童虐待がどうやって捜査されるのか知っていたからこそ慎重にはなったのかもしれません」
髪を掴み、引きずり倒されるのは日常だった
他方で、こんな教育方針を臆面もなく口にしたという。「母はよく『子どもは動物と同じだから、殴って言うことを聞かせる』と言っていました」
母親は“動物”に容赦がなかった。
「激昂していないときは普通の母親なので髪を結いてくれたりもするのですが、その最中になにか怒らせたら、髪の毛ごと掴んで後ろに引きずり倒されることもありました。謝っても、『あなたの謝罪になんて何の意味もない』と言ってまったく手を緩めません」
「全国模試1位」になったらなったで今度は…
その後も、日向さんの体格が母親に追いつく中学生くらいまでは、日常的に拳を被弾した。だが次第に、日向さんを服従させる方法は、言葉でのコントロールにシフトしていく。「高校受験のとき、『あなたは東大志望だから、筑波大卒の私なんて見下してるんでしょ?』『落ちればいいのに』『子どもの合格を親が喜ばないといけないわけじゃない』と言われたのを覚えています。母はわざと私に学年が上の問題集を買ってきて解かせるのですが、解けてしまうのでそのたびに不機嫌になっていました」
母親が苦労して体得した学力も、もともと学ぶことが好きな日向さんは軽々と飛び越えていく。塾に通うときも母親は「全額免除の特待生を取れたらね」と鼻で笑ったが、日向さんが入塾試験を受けてみると特待生の要件に適合。中学2年生のときには塾の全国模試で1位になった。
実力で屈服させられないもどかしさから、母親は体型について言及する機会が増えた。
「当時、確かに私は現在よりもむちっとしていました。一方、母は自身の体型を誇りにするくらいにはスレンダーでした。小学生時代からダイエットに関するビデオを見せられたり、『あなたのベスト体重は◯キロ』みたいなことを延々言い続けたり、『豚になるわよ』『このジーンズ、履けないでしょ? あなたには』という暴言もあるなど、とにかく私の身体に対する“いじり”は多かったですね」
その後、筑波大附属高校や慶應女子高校、渋谷教育学園幕張高校などの首都圏近郊にある名門校を総なめにし、日向さんは地元の公立高校に進学した。さらに大学受験では東大に合格し、心理学を専攻した。進学に際しては、親族からの金銭的な助力があったという。
「手料理」という執着が残した後遺症
日常的に苛烈な暴力や暴言を繰り返す母親にみえる精神的な歪み。だが彼女自身の生育歴に目を向ければ、多少はその原因がみえてきそうだと日向さんは言う。「母は、自分の育った家庭環境と比べて、『あの家よりはまともな環境で育てている』と本気で思っていた可能性が高いと思います。母から聞いた話では、姉からの壮絶な暴力を受けて育ったようです。昔、『膝にアイロンを当てられて、肉が溶けたの』と笑って話していました」
虐待を繰り返しながらも、自らを“よい母親”に位置づけるパラドックス。事実、日向さんの母親にはこんなこだわりがあった。
「母にとっては、『よい母親=手料理をきちんと食べさせる』なんです。我が家は3食必ず手料理で外食をしないのは基本ですが、おやつでさえも彼女の手作りでした。
流行のスナック菓子やスイーツも食べたい年頃だが、そうした要望は「私はこんなにやっているのに、感謝が足りない」と一蹴された。母親の手料理という圧力をかけられ続けた結果、日向さんは重大な後遺症に悩まされることになる。
「母の記憶と結びついて、手料理が食べられないんです。外食でないと喉を通らない時期もありました。パートナーになる人には、早い段階から生い立ちを説明して、『手料理が食べられない』と伝えるようにしています」
家庭裁判所で「戸籍上の名前」を変更した
日向さんには妹がいる。「姉」という立ち位置もまた、母親との関係性において相性が悪かったのではないかと日向さんは振り返る。「母親は彼女の姉から虐待を受けていたそうです。もしかすると、姉である私はそもそも可愛く感じられず、妹のことは大切に思えたのかもしれません。妹はいわゆる普通のエリートで、母が望むようにピアノもやり、手料理も『ありがとう、お母さんすごい!』と言える子でした」
現在も、妹は母親と暮らす。一方で、日向さんは大学の学費のやり取りを除いて両親に連絡することは皆無であり、卒業した現在ではまったく顔を合わせていない。
東大は性別不合の場合にかぎり、手続きをおこなえば学生が通称名で生活することを認めている。日向さんは以前から性別違和があったため、早々にこの手続きをおこなっていた。結果として、「母につけられ、母から呼ばれた名前」を社会生活でも使用する必要がなくなった。
そしてついに2026年1月、家庭裁判所の手続によって戸籍上も名前を変更することに成功した。手続きには5ヶ月を要したが、これは「かなり短かったと思います」という。大学に通称名で通っていた実績も、早期決着を手助けした可能性がある。
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日向さんの旧名は皮肉にも、慈愛に満ちた文字が使われている。「あれだけのことをして、どんな気持ちでつけたんでしょうね」。日向さんは現在も過去を思い出してつらくなる日があり、トラウマティックな体験の治療も視野に入れているという。時間が経てば出来事は遠のくが、記憶はいつまでもそばにあり続ける。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。
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