トレードマークである青色の衣装に身を包む成澤さんには、個性的な刺青が身体に入っている。イベントなどにDJとして出演し、多くのファンを抱え、快活な笑顔が印象的な女性だが、生き様はまさに波乱万丈。
彼女の道程に耳を傾けた。
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裕福な幼少期も突然の暗転が…

「3階建て10LDKの豪邸」から「築45年のボロくて狭い部屋」に…“お嬢様だった”女性が振り返る、急降下した実家での暮らし
「それな」の刺青
――「成澤」というのは芸名というよりただの苗字にみえるのですが。

成澤:本名です。私、芸名を考えたりするセンスが致命的になくて……。もういっそ本名でもいいかなと思って、これで活動させてもらっています。

――個性的な刺青が印象的です。

成澤:左手の指の側面に「それな」って彫ってあるんですよ。酔っていたので記憶が曖昧ですが、起きたら彫ってあったんです。そのときは友人の彫師に施術をお願いしていて、「時間が余ったから、好きなデザイン彫るよ」と言われて。もしも酒ヤケでしゃべれなくなったとき、同意とか相槌ができたらいいなと思って「それなって彫りたい」って言ったらしいです。

――胸元の「026」という刺青はなんですか。

成澤:長野県の市外局番ですね。地元は好きなのですが、上京したときに「東京で何かしら成功してやろう」と思って。
だから「もう地元に戻らない」という決意を込めて、せめて身体には市外局番を刻もうかなと思って(笑)。

――聞いたことのない理由です(笑)。ところで、かなりお嬢様だったとか。

成澤:“お嬢様だった”。そう、過去形なんです。小4くらいまで育った家は3階建てで、間取りは10LDKくらいあったのではないでしょうか。工務店をやっていた父方の祖父の事務所が1階にあって、2階以降は2世帯住宅でした。ダルメシアンを7匹飼っていた時期もあり、いわゆる金持ちの部類でしたよね。

不登校から高校中退に至るまで

――過去形ということは……。

成澤:物心ついたとき、「気づいたら1階、何もものがないじゃん」って気づいたんです。で、それから少しして築45年の賃貸に引っ越すことになって。実家よりもぜんぜん狭くてボロい家なんですよ。つまり、祖父の会社は倒産していたんですね。
自己破産したため、カードが作れないとかいろいろあったみたいで。

――急展開ですね。

成澤:ですねぇ。父は祖父の会社で専務をしていましたが、転職をすることになりました。東北に転勤になり、月に1回帰ってくるような生活で。同居していた祖父はその後、要介護になってしまって、母はかなり苦労したようです。祖父はお金があった頃からギャンブル癖が抜けず、自宅のものを勝手に金に変えて賭け事をしたんです。母が父からもらった婚約指輪を売ってまで、ギャンブルにのめり込んだようですね。

――お金を失い、お父さんも離れていくなかで、家族はどうなっていきましたか。

成澤:ただでさえボロくて狭い家のひと部屋を、要介護の祖父のために使うわけですよね。母はいろんなストレスからキッチンドランカー気味になってしまったこともありました。弟は引っ込み思案な性格なので、ますます社交性がなくなって……。
私は中学生になると、近所に住んでいるギャルの子と仲良くなって、学校にいる普通の子たちから敬遠され、ついに不登校になりました。中1の2学期から、中学にはほとんど行っていません。

若くして夜の世界へ飛び込んだワケ

――高校受験は……。

成澤:一応、中学の卒業式の前には通学できるようになったんですよ。行ってみると、みんな仲良くしてくれていい子たちで。ただ出席が少なすぎて内申点も足りなくて。不登校の子でも通えると地元で言われている高校があって、そこを受験することにしたんですが、なにせ生意気だったもので……。

――どんな粗相をしましたか。

成澤:面接で、「ちょっと髪の色が明るいけど」と指摘されたんです。そこで私はあろうことか、「人を見た目で判断するんですか?」と面接官に喧嘩を売って(笑)。そのセーフティネットみたいな高校すら落ちました。それで中卒で浪人して、塾に通って1年間勉強して、普通科の高校に入ることができました。

――よかったです。


成澤:国語だけは成績がよくて、学年2位とかだったんですよ。でも結局、つまらなくなって3カ月くらいで退学してしまいました。その後は定時制とかも行ったんですが、続かなかったですね。要するに、中卒です。

――そのあとの職歴は。

成澤:おもに夜職が多かったですね。早めにお金を稼いで、顔に課金しようと思いまして。やはり見た目は重要だと感じるので、若いうちに顔に投資したいと思ったんです。ただコロナ禍以降は、特に長野県では出勤さえできない状況が続いて、内装業の仕事に従事していた時期はあります。

言語障害が出た父に思うこと

――現在、ご家族の仲はいいのでしょうか。

成澤:関係性は良好ですね。ただ、つい最近なのですが、父が脳出血によって救急搬送されてしまって。
地形的な事情から、救急ヘリで搬送されたようです。父はだいぶ前からアルコール依存症になってしまった印象があって、非常に心配していた矢先だったんです。ストロング缶と呼ばれる、アルコール度数が高くて量も多いチューハイを1日に5本くらい空けるのが常だったんです。それで言語障害が出てしまいました。本当は、祖父の会社が潰れてしまった経緯なども私は何も聞かされていないので、聞きたかったのですが……。今は叶わないですね。一命を取り留めることができた点はよかったと思っています。

――今後のご活動について教えてください。

成澤:よく「インフルエンサー」と紹介されることがあるんですが、自分ではそう思っていないんです。ただちょっとフォロワー数が多いだけの、一般人なので。数字のために何でもするようなしゃかりきな生き方は嫌だし、大きな数字を持ってイキるのも違うなと思っていて。私は私のまま、興味のあることができたらいいなと思っています。


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成澤さんが話すと、とんだ災難もなんでもないことのように聞こえるから不思議だ。自分の身に降り掛かったことで精一杯な人が多い時代に、まるで彼女が軽やかで涼しげな風を吹き込んでくれるようだ。

<取材・文/黒島暁生>

「3階建て10LDKの豪邸」から「築45年のボロくて狭い部屋」に…“お嬢様だった”女性が振り返る、急降下した実家での暮らし
成澤


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成澤


【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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