6月から始まった中央競馬の北海道シリーズは、今週末で最終週を迎える。来春に定年により引退となる“道産子”の加藤和宏調教師(70)=美浦=にとっては、ホースマンとして最後のふるさとでの開催となる。

前、後編に分けて自身のルーツから騎手時代の北海道の思い出、そして故郷の魅力などについて語り尽くしてもらった。(取材、構成=坂本 達洋)

 朝焼けの馬場を眺めながら原風景に思いをはせた。騎手、調教師として約半世紀のキャリアを持つ加藤和調教師は、炭鉱が盛んだった北海道の夕張市で生まれた。「もともと父が炭鉱労働者だったのですが、寂れてきた時期に違う他のところに就職しなくてはいけないとなったところで、どうやってだったのかは分からないですが、製材所に就職するというので浦河へ行ったんですよ」。小学2年生の時に、当時の日本が誇った炭都から豊かな自然があふれる馬産地へ移り住み、運命の歯車が動き始めた。

 中学校では1年の時はバレーボール部で活動していたが、廃部となったために2、3年生の時は器械体操部に所属し、とにかく体を動かすことが大好きな青年だった。地元の大会では団体で優勝するなど、持ち前の運動神経を生かして好成績を挙げていた。そして師匠となる二本柳俊夫調教師が騎手にしたい人材を探していたところで、近所の牧場関係者が推薦してくれたという。

 「もともと運動ができる会社があったらいいな、とか思っていたくらいで、たまたまそういう話をもらって、動物も好きだし、体を動かすことも好きなので、『やらせてください』と試験を受けて馬事公苑に行ったんですよ。だから後から考えたら、俺が競馬の世界に行く運命だったから、親がこうなったのかなと思うところもあります」。騎手養成長期課程で馬を一から学び、1975年にジョッキーとしてデビューを果たした。

 騎手となってからも北海道との縁は深く、二本柳俊夫厩舎は北海道での開催が始まると函館を主な拠点としたため滞在するのが常だった。

札幌競馬が開催している期間は、函館にとどまってレースに乗りに行かず、自厩舎の調教に汗を流す毎日。「だから毎年、2、3か月間は“騎乗停止”みたいなもんでしたよ(苦笑)。函館ではレースに乗っても、厩舎の所属騎手の中から振り分けて乗るわけだから、乗り数は少なかった。だから僕の600勝は価値があるな、と思います」。JRA通算604勝のうち、中山(215勝)、東京(207勝)に次いで、函館で91勝、札幌で62勝をマーク。80年の有馬記念をホウヨウボーイ、85年の日本ダービーをシリウスシンボリで制するなど大舞台での活躍も記憶に残るが、その記録自体も中身が濃く、ジョッキーとしての足跡を雄弁に物語っている。

 厳しくも一人前に育て上げてくれた師匠との思い出は、今も心に深く刻まれている。中央競馬で通算1043勝を挙げて殿堂入りを果たした恩人は、2006年に天国へ旅立ち、今は函館の立待岬にあるお墓で静かに眠っている。「やっぱり師匠と二人三脚みたいな形で毎年函館に行って、師匠の親のお墓参りをしたり、食事に連れて行ってもらったり、特別なものがありますね。『俺が死んだらな、お前たちは来るんだぞ』とおっしゃっていて、まだお元気なのに何を言うんだと思って聞いていましたが…」。今も夏は6、7、8月と毎月の墓参を欠かさず、手を合わせて感謝の気持ちを伝えているという。実直で義理堅いホースマンにとって、夏の北海道シリーズは大切な“心のふるさと”でもあるのだ。

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