秋田県湯沢市の岩崎地区。ここに古民家を改修したインテリアショップ&カフェ「momotose」がある。
(撮影/佐藤充)
湯沢市の岩崎地区
秋田県湯沢市へ訪れたのは2026年2月半ば。豪雪地帯と聞いてびびっていたのだが、訪れた日は晴天で雪はさほど積もっていなかった。車から降りてまず驚いたのは、この岩崎地区一帯にだけ蔵付きの屋敷や、黒塀の建物が数多く残っていたことだ。
ここでインテリアショップ&カフェ「momotose」と、一棟貸しの宿「草木ももとせ」を営む、沓澤(くつざわ)優子さんが教えてくれる。
「もともとここは岩崎藩の城下町で、近くに銀山もあり、宿場まちとして栄えたんです。一級河川で運搬もできたので醸造業が発展しました。盆地で稲作に向いていたのに加えて、葉タバコや絹でも収入を得られたため、大きな蔵付きの家が何十軒もあってそれがいま、文化財として残っています」
岩崎は小さなエリアにもかかわらず、廃藩置県(1871年)の後、全部で5つあった県のひとつで県庁所在地だったことが地元民の誇りでもあった。
沓澤さんの出身は、湯沢市のお隣、旧十文字町。高校への通学時に岩崎を通り、このエリアを初めて知る。
「衝撃でした。当時は今より黒塀も多く残っていて、屋敷から落ちたモクレンの花をおばあさんがほうきで掃いている姿が昭和の古き良き映画のワンシーンみたいだったんです。まるで違う世界に迷い込んだようで、魅了されました」
それから約20年後、沓澤さんはこの地区でインテリアショップ兼カフェを始めることになる。
(撮影/佐藤充)
古い家に惹かれる理由
色白ですらりとした細身の体。いったいどこにそんなパワーを秘めているのかと思うが、沓澤さんは秋田にUターンして以降、いくつもの古い建物を甦らせてきた。
「母の実家が昔からの大きな南部曲がり家の農家で、茅葺きの家だったんです。玄関から縁側が続いて、真ん中に囲炉裏(いろり)がある造りで。薄暗い土間の入口から、奥の畑や山並みが、切り取ったように見える。そういう光景に子どもながらに強く惹かれて、記憶に残っています」
ところがその家が、優子さんが進学中に解体されてしまった。
「いま思えば、私が今これだけムキになって古い建物を何とかしようとするのは、この祖父母の家をどうにもできなかった悔いがあるからかもしれません」
沓澤さんはこの岩崎の古い屋敷を「momotose」にしただけでなく、6年後には歩いて数分の場所にある別の屋敷を一棟貸しの宿に改築し「草木ももとせ」として開業する。
両方の名に入る「ももとせ」とは「百年続く」を意味する。この素晴らしい建築を次の100年を生きる人に引き継ぎたいという願いを込めている。
手前のショップから奥が蔵になっている(撮影/佐藤充)
蔵に宿る味を守る「石孫本店」
カフェで沓澤さんが何よりこだわったのは、食事だった。地元の食材を用いて、「旬」と「発酵」をテーマにする。それはその日「ここでしか食べられない味」を意味する。
豆乳や調味料など、オリジナルの食材もつくっている。その発酵調味料を支えるのが、すぐお隣に建つ、創業170年の味噌醤油蔵「石孫本店」だ。
ここの味噌や醤油、麹を使った料理を提供していることが、momotoseの食事の大きな売りになっている。
石孫本店は江戸時代から続き、いまも昔と変わらぬ製法を守り続ける稀有(けう)な蔵である。
この蔵は、先代から女性が当主を務めている。
7代目の石川果奈(いしかわ・かな)さんに蔵を案内してもらうと、思わず何度も息をのんだ。
2mを超す大きな木桶がずらりと並ぶ仕込み蔵。大正時代そのままの麦の焙煎装置では石炭を用いて麦を焙煎し、いまも袋絞りで醤油を搾る。
創業170年の味噌醤油蔵「石孫本店」の改修の際も、沓澤さんが梁を剥き出しにするスタイルを提案した(撮影/佐藤充)
明治43年築造の国登録有形文化財「醤油熟成蔵」。高さ2mを超す木桶がずらりと並ぶ(撮影/佐藤充)
米どころの秋田だからできることだが、石孫本店では大豆の2倍の米麹を用いて贅沢な米味噌をつくる。甘めで味わい深い味噌。また、醤油も一年以上熟成させた純正醤油を基準とし、本醸造醤油を再仕込み水にした「芳寿」や、「みそたまり」などもつくっている。
「この麦炒り機と同じものを使っている蔵元はありますが、火力にバーナーでなく石炭を使っているところは、ほかにないといわれています」と石川さん。
石炭式の麦炒り機(筆者撮影)
なぜそこまで製法を変えないことに、こだわることができるのだろう。他社が効率や省力化のために機械化を進めるなか、昔ながらの製法では余計に人力がかかる。それを維持するのは並大抵のことではない。
「少しでも使う道具や材料を変えれば味が変わって、いまのお得意さまに納得していただけないからです」
種麹(たねこうじ)屋の今野商店に頼み込み、一時は廃番になりかけた「5号菌」という種麹菌を、石孫のためにつくり続けてもらっているという。麹蓋を使った製麹も、木桶も、すべては「昔ながらの味」を守るため。
そしてもうひとつ。石孫の味を支えるのが「蔵付き酵母」だ。
こういった袋絞りで醤油を絞るのは、昔ながらの製法。袋の中の醤油の絞り粕は栄養価が高く、肥料として活用する(筆者撮影)
一番人気の「吟醸孫左ヱ門味噌」は大豆の2倍の米麹で仕込まれ、「寒仕込雪見蔵」は3倍で仕込まれる。
一年以上熟成の純正醤油「百寿」は香りが華やか。再仕込みの「芳寿」は味が深く舌の上で多様な味がする。さらに再々仕込みの醤油もつくっている。
試しに「吟醸孫左ヱ門味噌」を買って帰り、後日、味噌汁をつくってみると、出汁いらずだった。具材と味噌だけで十分においしく、深い味わいだ。
石孫本店7代目の石川果奈さん(撮影/佐藤充)
石孫本店の看板商品「百寿」。昔ながらの木桶仕込みで一年以上熟成させた天然醸造の濃口醤油(撮影/佐藤充)
9つの10万人都市で“約100万人都市”
古い家を活かす。そう一口にいっても、これだけ大きくて立派な家を改築してカフェや宿として維持していくのは、並大抵のことではないはずだ。何を残して生かし、何を変えるのか。
古民家“風”はたくさんあっても、本質的な意匠を大事にしたカフェや宿は多くない。
momotoseは2014年に開業し、今年で12年目を迎える。
入口すぐに雑貨や日用品が並び、左手にはカフェのカウンター。一見して今風のおしゃれな店だが、真の魅力は、店内の深部にあたる奥の蔵まで入って初めてわかる。
「momotose」のショップとカウンター(撮影/佐藤充)
「momotose」蔵の内側にあたる奥のカフェスペース(撮影/佐藤充)
ほの暗い蔵に、ぼんやりと赤く灯る薪ストーブの炎。蔵の中はコーヒーの香りに満ちている。音楽やぬくもりも一体となって、居心地のよい上質な空間がしつらえられている。置かれている家具を気に入れば、momotoseで購入もできる。
お店を始めるときに、沓澤さんがメインの客層として設定したのは40~60代の女性層だった。食の大切さや地域のことを大切に考えるような世代を、主に考えたからだ。若い人向けの店ではもたないと考えたからだ。
そう聞いて、すとんと腑に落ちた。momotoseは一般的な「カフェ」という言葉からイメージされる店よりずっと、しっとり落ち着いている。
「カフェといってもパスタはやらないし、ご飯と味噌汁と地元の食材で勝負すると決めたんです。秋田はお米の国なので」
先述したように、こだわったのは食事だった。地元の旬な食材や、すぐお隣に建つ石孫本店の味噌醤油に支えられて、食事がぐっと魅力的なものになる。
そもそも岩手や秋田など、発酵食の文化圏に暮らす妙齢の女性たちの舌が肥えていないわけがない。食のレベルが高くて大正解だった。
それでも、初めは、税理士さんに大反対されたという。
「もともとここは羽州街道。当時はメインストリートでしたが、国道ができて、すっかり忘れられた通りになっています。こんなアクセスが悪い場所で飲食店をやっても流行らないから考え直してはと何度も言われました。
でも私は言ったんです。ここは人口こそ少ないけれど、県外も含めると車で 1~2時間の場所に10万人弱の都市が9つもある。そこから人が来ると考えたら約100万人都市と同じだよって。私も、車で1時間以内くらいなら、SNSや Google マップで見つけて足を運びますから」
そして、沓澤さんの言ったとおりになった。カフェの雰囲気を求めて、お客さんの半分は遠方から訪れる。岩手から県境を超えて足を運ぶ人も少なくない。
「momotose」の月替わり膳(ホットドリンク付き、2100円)。ユキノシタニンジンのグリル、蕎麦粉の衣の塩麹漬のヒレカツ、カシューナッツと味噌のふろふき大根、クミンご飯、ネギのポタージュなど(撮影/佐藤充)
秋田に戻るという選択から
沓澤さんの話を聞いているうちに、なぜ彼女が古民家を生かすという難しい仕事を成し遂げてこられたのか、少しずつわかってきた。
とにかく、自立した人なのだ。
一度は関東に出て進学と就職、結婚もした。その間に、輸入住宅の会社に就職。
「プランナーとして入社しましたが、現場に出させてほしいとお願いして、現場管理として内装屋さんの下について実労働していました。自宅もセルフビルドしたおかげで、いま簡単なことなら自分でもできます」
なぜ現場仕事にこだわったのかといえば、いつか秋田に戻ろうと決めていたからだという。
店に置く家具を仲介販売する事業も行う。気に入った家具があればmomotoseで注文できる(撮影/佐藤充)
「東京では一人で生きていける自信はなかったけど、秋田ならできるんじゃないかと。建物に関心があったので内装のプロを目指そうと思って。それなら田舎ででもできるんじゃないかと思ったんです」
秋田に戻ってから一度は地元の企業に就職し、その会社の同僚と2人で起業。フリーペーパーなど制作の仕事を軌道に乗せ、それなりに売上の立つ会社に育て上げる。
そんなときに、この蔵との出合いが訪れる。
当時の仕事のクライアントでもあった石孫本店の社長に「お隣の蔵付きの家が売りに出ているから、見るだけでも見てみたら」と勧められたのだ。
「買えないと思うけどって、見せてもらったんです。そうしたらこの立派な蔵でしょう。すごく惹かれて。でも最初はとても買える値段じゃなかったので2年待ちました」
2年後、価格が下がりようやく手に入れたその屋敷を、momotoseとして蘇らせた。輸入住宅の会社で得た知識は、古い家の改修時におおいに役立った。
さらに2020年には、歩いて数分の場所の別の屋敷を新たに、一棟貸しの宿「草木ももとせ」として開業する。
宿「草木ももとせ」の広々としたリビング(写真提供/草木ももとせ)
宿「草木ももとせ」のキッチンとダイニング。雪の季節でもとても暖かい(撮影/佐藤充)
豪雪地の冬でも寒くなく、居心地のよい宿をいかにつくることができるか。沓澤さんはその術を心得ていた。宿のほうの名に「草木」と入れたのにはこんな意図が込められている。
「雪国の冬は、雪囲いされてしまうので1階は窓の外に景色がないんです。自宅は、景色が楽しめるよう2階がリビングです。だから宿も室内にいながら雪景色が見えるような窓の配置にこだわりました。夏には、みずみずしい緑が室内から見えます。この地は、湿度が高いので、緑が透明感があって美しい。季節ごとの草木の気配を、宿の中で感じてほしいんです」
外が見えるように窓が多い(撮影/佐藤充)
循環を実現する里山の再生
沓澤さんの関心は、やがて建物を超え「循環型のライフスタイル」にまで広がっている。着目したのは「里山」だ。
きっかけは、農協が所有する昭和初期の米蔵だった。買い手がなければ解体すると聞いた沓澤さんは、手を挙げてこの建物を譲り受ける。
「以前、石孫本店に味噌漬けの豆腐をつくりませんかと提案したことがあって。硬い漬け込み用の豆腐をつくってくれる業者を見つけますからと。でも見つからなかったんです。自分で言い出しておいて果たせなかった負い目がずっとあって。米蔵の話を聞いたとき、自分たちでここで豆腐をつくればいいんだなって」
元は農協の倉庫だった建物。一部を改修して活用している(筆者撮影)
今はここで週に一度、豆腐を製造している。豆腐であれば、原料となる大豆は、秋田の土地に向いており、比較的手がかからずに、育てられる。
「これから先の飲食店は、“行く理由”がますます必要になっていきます。手づくりというだけでは足りなくて。一番強いのは、原料から全部自分でつくれること。大豆って自給率が低いので、途端に入手困難になるリスクがあります。だから、自分でつくれると強いし、何より商品の説得力にもなると思って」
そこで着目したのが里山だった。荒れた山地を大豆畑に転用するために、なんと牛を飼って放牧しているという。2頭の牛が草を食べることで、草刈りの手間が省ける。
近年、山と人の間のバッファーゾーンが失われ、鹿や熊が出没するようになった。牛の存在は、その中間地帯を少しずつ取り戻す試みでもある。
来年からは、放牧の指導をしている県立大学の教員補助の女性が、耕作放棄地を使役動物で再生するこのプロジェクトに加わる予定だ。
「いまの農業教育では、大規模農業や大規模酪農を教えるじゃないですか。その手法では山間地の耕作放棄地は救えない。それに若い人たちにはもっと等身大の農業をやりたい人が多いと思うんです。
生き物と共生しながら六次産業化できるような。例えばいま放牧している畑にリンゴの木を植えたら、牛が下草を食べて肥料になり、よりいいリンゴができるかもしれない。豆腐工場は、チーズでもジャムでも多種多様な製造許可を取ることが可能です。学生のうちにそんな実験がたくさんできる場をつくりたいんです」
自社ブランド「TOU」の製造を行う工場。「循環型ものづくり里山の風景を次世代に」とある(筆者撮影)
そんなトライができるのなら、参加してみたい若い人はたくさんいるのではないだろうか。地域を舞台にした、小さな生業のかたち。
「世の中がどんどんAI化していくと、人は暇になりますよね。そのときに人間らしくあるためには、植物や動物など、自分とは違うものの中に身を置くことが必要だと思うんです。外に出て、異なるものと関わる。牛のような人とともに働く動物と関係を築ける場所が、いまはないですから」
古い建物を生かすことから広がり、人のライフスタイルと生活圏内を豊かにしていく実験場を、沓澤さんはつくろうとしている。
古いものをただ守るのではなく次の時代につなぐには、ここにしかない資源を生かしてトライし続けること以外にない。それが地域の文化的資源を生かす一番の近道になると教えてもらうようだった。
(写真提供/草木ももとせ)
(写真提供/草木ももとせ)
(写真提供/草木ももとせ)
●取材協力
Interior Shop & Cafe momotose
草木ももとせ

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