イルグルム<3690>は、日本のデジタルマーケティング業界の変化をそのまま映し出してきた企業の一つである。創業時は広告効果測定ツール「AD EBiS(アドエビス)」を主力とする広告テクノロジー企業だった。
広告効果測定がビジネスの「原点」
まずは、イルグルムの社史を振り返ってみよう。同社の原点は、広告効果測定ツール「AD EBiS」にある。2000年代後半から2010年代にかけて、日本のインターネット広告市場は急拡大した。GoogleやYahoo! JAPAN、Facebook(現Meta)など複数媒体に広告を出稿する企業が増える一方で、「どの広告が売上につながったのか」を可視化するニーズが急速に高まっていた。
当時、多くの広告主や広告代理店は、プラットフォームや媒体ごとに分断されたデータ管理に苦しんでいた。広告レポートはマイクロソフトの表計算ソフト「エクセル」に手作業で入力・集計され、分析や改善に膨大な時間がかかっていたのである。同社はここに商機を見出した。
AD EBiSは、広告流入からコンバージョンまでを一元管理できるツールとして成長し、広告代理店やEC事業者を中心に導入が進んだ。同社は早い段階から「広告効果の見える化」を武器に、マーケティングSaaS(サービスとしてのソフトウエア)企業としての地位を築いていく。
しかし、デジタル広告市場の拡大とともに、顧客の抱える課題も変化していった。広告データが増えれば増えるほど、レポート作成や運用業務は複雑化する。
M&Aで「広告測定会社」から脱皮
その第一歩となったのが、2018年のEVERRISEの「アドレポ」事業取得だった。アドレポは運用型広告レポートを自動生成するツールであり、広告代理店の業務効率化に強みを持っていた。同社はこれを取り込むことで、AD EBiSの機能を「分析」から「運用支援」へ拡張した。
翌2019年には、オプトから同業の広告効果測定ツール「ADPLAN」事業を取得する。広告効果測定市場における競合サービスを取り込み、顧客基盤の統合を図った。これはシェア拡大と顧客基盤統合を狙ったM&Aだ。
SaaS市場では、一度導入されたサービスは簡単には切り替わらない。「シェアを取った企業」が強くなる市場特性があり、M&Aを通じて広告計測市場でのポジション強化を進めたのだ。
一方で、同年には社名を「ロックオン」から「イルグルム」へ変更する。旧社名の「ロックオン」は、ターゲティング広告を想起させる名前であり、主力の広告効果測定ツール「AD EBiS」を中心としたアドテク企業時代には適していた。しかし、広告効果測定事業を充実する一方で、新たな事業へ進出して周辺領域へ事業を拡大する戦略を進める。
そこで、同社は既存事業を連想させる名前ではなく、将来の事業拡張にふさわしい新社名を模索した。興味深いのは、「イルグルム(YRGLM)」という名称自体に特定の意味がない点だ。同社は社名変更時に、「まだこの世に存在しない未来像を示すために、既存の言葉に由来を持たない『意味を持たない文字列』を語源とした」と説明している。
岩田進社長も「どこにもない企業を目指すために選んだ、どこにもない名前」と語っている。そして、社名変更の理念はその後のM&Aで実現していく。
EC-CUBEを軸にコマース企業化
2020年のコロナ禍によって企業のマーケティング活動は急速にオンライン化した。この変化の中で重要性を増したのが、SNSと動画だった。イルグルムは2021年、トピカを子会社化する。同社は料理動画メディア「GOHAN」を運営し、SNSコンテンツ制作やアカウント運用代行を展開していた。
この買収によって、イルグルムは単なる広告運用企業ではなく、「コンテンツそのもの」を手がける企業へと踏み込んだ。同社は、どんな動画を作り、どうSNSを運営し、どのようにファンを形成するかまで支援領域を広げたのである。
2022年にはマーケティングDX(デジタルトランスフォーメーション)支援強化の一環として、ファーエンドテクノロジーを買収。リモートワークの普及により、マーケティング領域でも営業部門や管理部門でのプロジェクト進捗管理ニーズが高まってきたのを受け、顧客接点を深めようとしたのである。
イルグルムのM&A戦略が大きく変わったのは、EC(電子商取引)領域への本格進出だった。同社は2003年に「ECサイト構築kit」を開発するなど、早くからこの分野との接点を持っていた。2018年にEC構築プラットフォーム「EC-CUBE」を展開するイーシーキューブを設立する。
2022年にECサイト制作を手がけるボクブロックを買収。イルグルムはここで、広告集客とEC構築、さらにファンマーケティングまで含めた一体的な支援体制を構築する。
2024年には、高級ブランド向けEC運営や物流支援を展開するルビー・グループを買収する。ルビーは商品の受注から配送までの一連の業務を担当するフルフィルメント(EC事業の受注から発送、アフターサービスまでの業務全般)の支援を手がけていた。
イルグルムは一連のM&Aにより、「ECオペレーション支援企業」に転換する。広告による集客からECへの流入、購買、リピート、物流までを一気通貫で支援する体制づくりに動き出したのだ。
AI企業への転身を目指す
そして現在、イルグルムはさらに大きな転換点に立っている。その象徴となった出来事が、2025年のシルバーエッグ・テクノロジーに対するTOB(株式公開買い付け)だ。
シルバーエッグは、長年にわたりAIアルゴリズム開発で業界をリードしてきたエンジニアであるトーマス・アクイナス・フォーリー氏が率いるAIレコメンド分野の老舗企業で、ECサイト向けのパーソナライズ技術に強みを持つ。イルグルムはこの買収を通じて、広告データ、ECデータ、顧客行動データ、レコメンドAIを統合したビジネスに参入しようとしている。
2026年にはアタラも子会社化した。アタラは広告運用のインハウス化支援に強みを持つ。イルグルムは、ツール提供だけではなく、企業のマーケティング運営そのものへ踏み込もうとしているのである。
近年の同社資料では、「AI企業への進化」「AIエージェント」「エージェンティックコマース」といった言葉が急増している。AIが広告運用やSNS投稿、レコメンド、CRM(顧客関係管理)、さらには在庫最適化まで担う「AI運営基盤」を目指しているのは明らかだろう。同社がAIによるEC運営の自動化を視野に入れているとみられる。
Shopifyではなく「日本版AIコマースOS」
イルグルムの戦略は、しばしば「日本版Shopify」とも言われる。Shopifyは、「誰でも簡単にネットショップを作り、運営できる仕組み」を企業に提供する「ツール企業」だ。
一方、イルグルムはECサービスに関わる事業を幅広く統合しようとしている。つまり「SaaSの提供」ではなく、「EC運営そのものを支援するAI会社」に近い。
とはいえ、Shopifyも近年はAI領域にも力を入れている。「Shopify Magic」や「Sidekick」などのAI機能を導入し、商品説明の生成やFAQ対応、マーケティング提案、EC運営支援などの幅広いサービスを提供している。
ただし、イルグルムが正面から戦うわけではない。
M&A巧者になれるか?
イルグルムは2024年度から2027年度までの中期経営方針「VISION2027」で、M&Aの対象企業として「顧客接点」「AI組み込み能力」「データ資産」を持つ企業、そしてEC構築システムから運用、集客(マーケティング)、物流までの垂直統合モデルの加速につながる企業を挙げている。
同社が取り組んできたM&Aは、巨大買収よりも数億円規模の「小型案件の積み上げ」が中心だった。そのため、現時点では過度なのれん負担や大型減損リスクは比較的小さい。
総額で約20億円を投じたシルバーエッグ買収のような比較的大型の案件も出てきたが、当面はAI実装に向けたピースを埋めるM&Aを進める方針なので、同規模の買収が続きそうだ。
一方で、今後の最大の課題も見えている。それは「統合の複雑化」だ。現在の事業は、広告SaaS(サービスとしてのソフトウエア)、EC構築、AI、SNS、物流、コンサルまで事業が広がっている。これは強みにもなるが、事業内容が多様化するためグループとしての一体運営の難易度は上がる。
さらに、AI関連ビジネスは競争環境の変化が極めて速い。
一方、M&AとPMIに成功し、同社がEC運営全体を統合支援する「日本版AIコマースOS」を構築できれば、日本の中堅EC市場で確固たる存在感を示すことになるだろう。
文:糸永正行編集委員
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