ロシアが日本を舞台にスパイ活動を活発化させている。今年1月には、工作機械メーカーの30代男性がロシアスパイに機密情報を漏らしたとして書類送検された。
ロシアの狙いは一体何なのか。フリーライターの一木悠造さんが取材した――。
■国内にロシアスパイが潜り込んでいる
日本はロシアスパイの巣窟、機密情報の草刈り場なのか――。7月12日、衝撃のニュースをアメリカのニューヨークタイムズ電子版が報じた。ロシアの航空会社アエロフロートの日本支店が、軍事用部品調達の拠点になっており、GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)という軍の諜報機関が関与していたという驚きの内容だ。
その後、都内にあるアエロフロートの日本支社が舞台になっていると複数のメディアが報道。7月23日には読売新聞が「アエロフロート東京支店長、ロシアのスパイ報道直後に出国」と報じた。
今回の事件について、元警視庁外事警察官で危機管理アドバイザーの松丸俊彦さんはこう明かす。
「アエロフロートは日本のみならず世界各国に支店を設けています。そこには1960年代以降のいわゆる冷戦時代からアエロフロート社員に身分偽変したロシアのスパイが配置されています。ロシア軍の諜報機関であるGRUの関与が報道されていますが、日本の外事警察が認識していた限りでは、もともとはロシアの別の諜報機関、SVR(対外情報庁)諜報員がアエロフロート社員として配置されていました」
■日本の外事警察もチェックはしている
松丸さんによれば、日本の外事警察、とりわけロシアスパイを監視・摘発する警視庁公安部外事1課では、こうした日本に支店を持つロシア企業に偽装した諜報拠点に出入りする、ほぼ全てのロシア諜報当局関係者を把握しているという。
「今回の報道で取りざたされたGRUというロシアのスパイ組織は、軍の諜報部隊で10の局に分かれて、人から情報を得るヒューミント(人的情報収集)や衛星画像を分析するイミント、そして主に刊行物などから情報を得るオシントと、ありとあらゆる情報収集活動を行っています。
ちなみに、日本のロシア大使館にいる駐在武官は諜報関係者とされています」
それにしてもなぜ、自国の航空会社にスパイを配置しているのだろうか。
※編集部註:初出時、情報収集活動の説明について誤りがありましたので修正しました。(8月4日16時15分追記)
■狙いは精密機械メーカー、防衛産業
「古くからアエロフロートに配置されているSVR、今回報道で注目されたGRU、それにロシアのさらに別の諜報機関であるFSB(ロシア連邦保安庁)のスパイは、それぞれの目的で情報収集しています。こうしたロシアの出先企業にスパイがいるのは外事警察の間では常識です。
アエロフロート日本支社に外交官の身分を持たないスパイを置く理由は、ここには情報が集まるからで、特にパスポートに記載されている個人情報に関心があるのです。日本からロシア各地へ渡航する人の情報もそうですし、日本のメーカーなども含めて、さまざまな企業の個人情報を労を少なくして得ることができる、ロシアにとっては重要な拠点です」
松丸さんは「ただ、今回のロシアの狙いはいつもとは異なるのではないか」と指摘する。
「もともとの狙いは航空会社を利用する個人や企業の情報を得ることですが、プラス今回は軍事転用できる部品をアエロフロートの支社を経由して調達していたことから考えると、精密機械、軍事転用できるような製品情報を扱う企業をメインターゲットとして絞ってきたと考えられます。
しかも今回、ロシア軍のGRUの関与が疑われていることからみても、工作が目的ではなくて、軍事転用できる製品を扱うメーカーや防衛産業の情報を狙い撃ちしているのは間違いありません」
■「ウクライナと戦うドローンが欲しい」
アエロフロート日本支店が、ロシアのさまざまな諜報機関が入りこむロシアスパイの巣窟になってしまっているのはなぜなのか。松丸さんは背景をこう分析する。
「ロシアが2022年の2月にウクライナに侵攻して4年半が経過し、ロシアは武器の調達や軍事情報の収集がかなり困難になってきているようです。それに日本とロシアのアエロフロートの直行便は2022年に廃止されていますから、比較的動向が表に出にくい都内の日本支店が舞台になりました。この紛争で特にウクライナが戦術的に多用するドローンに対抗するための武器の調達を急ぎたいロシアが、スパイをロシア大使館に厚めに配置したというのが私の見立てです」
ロシアとウクライナは双方、ドローンを駆使した戦闘を続けている。
松丸さんによれば、日本はアメリカに次いでドローン部品の供給国になっているという。経済安全保障の絡みもあって現在では輸出入における監視体制が厳しくなっている中で、ロシアは日本の出先企業での支社を隠れ蓑に、ドローン部品調達を続けていたということなのだ。
■「別の仕事」に人員が割かれ、監視が緩む
外事警察はかねて監視を続けていたにもかかわらず、なぜもっと早く摘発できなかったのか。
「岸田政権時の2022年ごろから本格的に始まった、外事警察のアウトリーチ活動です。経済安保対策を企業に促すため、現場で情報収集に従事していた外事警察官の一部が国内の企業や団体に赴いて、経済安保の意義などの説明を行っていました。この活動に人員が割かれ、現場の情報収集要員が減り、結果的に監視能力が弱まってしまい、今回のアエロフロート日本支店への監視が甘くなってしまったと推察されます」(松丸さん)
そもそもロシアスパイが最も得意とし、日本に対しても盛んに行われているのがヒューミント(人的諜報)活動だとされる。過去、そして近年でも、ロシアスパイの日本人への情報工作活動がニュースになっている。
代表的な例では、2000年代初めの「ボガチョンコフ事件」が挙げられる。海上自衛隊員がGRUのスパイから偶然を装い接触され、結果的に篭絡され機密情報を渡してしまったという事件だ。ロシアスパイは隊員の一人息子が難病に苦しんでいることに注目し、治療費や絵本をプレゼントするなど「心のひだに入っていくロシアスパイの伝統的なやり方」(松丸さん)を駆使して、隊員からさまざまな機密情報を引き出していった。
■「道を教えて」きっかけでスパイの共犯に
2020年のソフトバンク事件では、5G設備に関する機密情報を在日ロシア通商代表部所属のスパイに漏らしたとして社員の男が警視庁公安部に逮捕されている。また今年1月には工作機械メーカーの30代男性が、ロシアスパイに機密情報を漏らしたとして書類送検されている。

※日本経済新聞「ロシア元職員ら書類送検 メーカー機密情報漏洩疑い、スパイ活動か」(2026年1月20日)
「手口はロシアが得意とする典型的なヒューミントです。男性が路上を歩いているとウクライナ人と名乗る外国人に道を聞かれ、教えると『お礼に食事をご馳走したい』と持ち掛けてきたそうです。男性はレストランでの食事の後もこの人物と会うようになり、カネと引き換えに機密情報を渡してしまった。その後も会うたびに金額が増えていき、断り切れなくなってしまったそうです。男性は『小遣いが欲しかった。唆されてしまった』と供述しています」(警察関係者)
いったん取り込まれたらその先は地獄が待っている。一会社員がロシアスパイの手足となっていとも簡単に犯罪に加担してしまう。
「20年のソフトバンク事件では、パソコン画面に映し出した機密情報を特殊なマイクロチップに入れさせて、ロシアスパイがソフトバンクの課長に『こうすれば何もないマイクロチップに見えるから』という方法まで指南していました」(松丸さん)
■公開SNSはスパイにすべて見られている
ロシアはアエロフロート日本支店で得た個人情報で、ヒューミントのターゲットを探していた節があると松丸さんは指摘する。
「偶然を装い人に迫っていく伝統的な手口に加えて、最近はビジネス系SNSで公開されている情報が、ロシアスパイが標的を探すための足がかりになっている現状があります。公開されているSNSは全てロシアなどのスパイに見られていると思ったほうがいい。リンクトインなどをやっている人は個人情報表記に注意が必要です」(松丸さん)
人に巧みに迫り、間接的に情報を奪っていくロシアスパイ。偶然を装った接触は他人事ではないだろう。
もし接触を受けたらどう対応すべきなのか。
「ロシアスパイは機密を入手できる対象者を幅広く探していて、SNSに特に注目しています。だから自分の情報を相手に取られるということを防ぐには、SNS上に出す個人情報をしぼってほしい」
こうした対策を取っても、ロシアスパイの接触を受けたらどうすればよいのか。
「まずは相手の手口を熟知することです。手口を知っていれば、もし声をかけられたときにロシアスパイの接触だと気づくでしょう。また、これは企業の管理者側向けの話ですが、社内にある情報を1回棚卸しして、これは公開情報、これは社内閲覧のみで外には出さない、取扱注意、これは極秘という風にランク付けしておくこと。仮に社員がスパイから接触された場合、これは秘密ではないと開き直られる可能性も踏まえて、情報管理を規則でしっかり定めておいて、違反者には厳しい罰則を設けることが必要だと思います」
■「スパイ天国」から脱却するためには
高市政権は国家のインテリジェンス機能をより強化すべく、国家情報局を設立した。そして今後スパイ防止法の制定を目指す。
しかし、松丸さんはそれだけでは不十分だという。
「どんなに立派な法律ができたとしても騙される日本人がそこにいる限りはダメなので、法律ができて当局が取り締まりやすくなることに加えて、国民のスパイに対するリテラシーが高まることが最も重要で、これがあってこそスパイ天国を脱却できると考えています。
スパイから見て、日本人って騙しやすかったけど全然話に乗ってこないという状態になれば、法律がなくても、スパイたちはヒューミントがやりづらくなります。だからまずは手口を知ったり、会社も情報管理体制を整えたり、法律以外のところでやっていくことが大切です」
決してフィクションの出来事ではない、日本へのスパイ活動。
私たち一人ひとりの対応が、結果的に国のスパイ防止力を高めていくことになるといえそうだ。

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一木 悠造(いちき・ゆうぞう)

フリーライター

テレビ報道の現場で記者として主に事件取材を重ねてきたフリーライター。

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(フリーライター 一木 悠造)
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