西日本旅客鉄道(JR西日本)の社員が過労自殺したとして、遺族が会社を相手取り、1億9144万円の賠償を求めた裁判の判決が3月20日にあり、大阪地方裁判所はJR西日本に対して約1億円の支払いを命じた。

 裁判資料によると、事件の当事者はW氏(男性、当時28歳)。

W氏は、東京都内の大学院を2009年3月に卒業し、同年4月にJR西日本に総合職として採用された。

 遺族や上司はW氏の性格を次のように評する。

「真面目で、礼儀正しく、他人のことを第一に考える優しい人」
「完璧主義のところもあって、仕事はキッチリこなさないと気が済まないところはあった。大学の卒業論文では、期限に間に合わすために、がむしゃらにやった。手を抜けない性格で、教授が卒業時の寄せ書きに、『弦を緩めることの大切さ』と書いていたほど」
「資料の作成は細かく、精度も高くて、とてもわかりやすかった」
「正義感が強く、曲がったことが嫌い。どんなことでも、言われたことは最後までやり遂げるタイプ。
温厚で協調性もあった」
「仕事に一生懸命。人の悪口は一切言わない」

 こうした人格ゆえに、会社からは将来を嘱望されていた。

 入社後、W氏は、京都府福知山支社電気課で勤務し、10年6月からは兵庫県尼崎市内にある大阪電気工事事務所の設計課で働き、11年6月からは同工事事務所の保安システム工事事務所で保安業務などに従事してきた。

 具体的には、大阪府泉佐野市内にあるJR阪和線とJR関西空港線の分岐する交通の要衝、日根野駅の連動装置取替工事の管理を担当した。ここの工事現場は、通常規模の4倍で、11年度末には準備作業の遅れから工期が見直され、当初の予定より3カ月遅れていた。

 この現場でW氏は、多数の施工図面のチェック、工事の竣工検査、体制表・手順書の作成、新旧装置切り替えに向けた資料作成、安全管理、品質管理、工程管理、運転関係の申請手続、各種試験といった作業を担当した。
職場でのW氏の評価は高かったが、その裏でW氏は、「常軌を逸した恒常的な時間外労働」を強いられていた。

●250時間超の異常な時間外労働

 まず、朝9時から休憩を挟んで翌朝6時45分に至る「不規則夜勤」。そして、昼の工事所内の業務に続き、夜間も日根野駅の工事業務をした後、翌日も引き続いて工事所内で業務を行う「昼夜連続勤務」。そして「休日出勤」も日常になっていた。

 しかも、この工事は乗客の安全確保のためミスが許されないので、心労も重なったとみられる。11年12月以降は、毎月100時間以上の残業をしていたことがわかっている。


 そうした中、12年4月には結婚式を挙げることが決まり、新婚旅行は仕事がひと段落つく12年10月に設定した。

 しかし11年9月頃から、W氏は家に帰ってくることがめっきり少なくなった。結婚前に婚約者と一緒に電化製品を見に出かけようとした時に、先輩から連絡があり、仕事に出かけたこともあったという。

 12年1月頃からは、さらに忙しくなり、帰宅は3日に1回、ひどいときは1週間に1回になった。深夜にタクシーで帰宅し、翌日昼には出て行くような生活を続け、家に帰ってもほとんど会話はできないほどだったという。また、この頃からW氏は、寝ているときにうなされるようになっていたという。


 そして、結婚式前月の時間外労働時間は254時間49分に達した。この時期、W氏は、「大声で泣きたい」「死ぬことばかり考えてしまう。精神的におかしくなっているかも」「結婚前なのにごめん」といった言葉を頻繁に家族に漏らすようになっていった。

 結婚後も忙しい日が続き、丸一日休んだのは、結婚式当日と翌日くらいで、夜中に、「終わらないよ」とうなされることも多くなった。

 お盆の帰省時にも、W氏は分厚いファイルを持ち歩き、顔色が悪く疲れ切っていて、イライラしたり落ち込んでいる様子で、普段は周りに気を使う性格なのに、このときは対人関係もおかしく、精神的に変調を来していると家族は気付いたという。

 また、現場では、10月5日に切り替え工事を控え、阪和線で7~9月に大きな事故を含め何度か設備事故があり、社内に「ミスは許されない」という雰囲気が生じていた。
そうしたなか、現場で一緒に働いていた上司が異動することになり、切り替え工事の当日、W氏がほとんど一人で取りまとめなければいけない事態となり、一層負担は増した。9月29日の夜、W氏は下請け業者に電話した後、「もう泣きたいよ」と涙ぐんでいたという。

●止められなかった悲劇

 そして、新婚旅行を間近に控えた10月1日の朝、家を出るときW氏は、泣き出しそうな悲しい顔で「行きたくない」と言った。それを聞いた妻は泣きながら、「行かなくていい」と引き留めたが、W氏は「みんなに心配かけるといけないので行く」と言って出勤した。

 この日、夜には帰宅する予定だったが、夕方にW氏は妻に電話し、「帰れなそう」と伝えた。妻が「着替えを持っていこうか」と尋ねたところ、W氏は「いつ休憩を取れるかわからないし、近くで買えるから大丈夫だよ。
仕事も朝までには間に合いそうだ」と答えたという。これが夫婦の交わした最後の言葉となった。

 この日の夜、W氏は上司一人と、切り替え工事のリハーサルのための資料作りの準備作業をした。深夜3~4時頃、横になると寝てしまうので、2人はイスで仮眠した。午前6時頃、やっと作業終了のめどがついたところで、W氏は「寝ていてください」と上司を気遣った。

 午前7時50分頃、出社した事務員の女性が、W氏に「どんな進捗状況ですか?」と聞くと、W氏は「全然、進んでいない」と、つらそうに答えた。午前8時頃、同じ事務員が通路ですれ違った際、W氏は「しんどい」と言ったという。

 その後、W氏は、近くのマンションの14階に行き、タバコを吸い、マンションの壁に「ごめんなさい。ありがとう」と書き残し、飛び降り自殺した。

 両親と妻は尼崎労働基準監督署に労働災害申請を出し、13年8月に労災認定された。同年9月、遺族は会社を相手取り、慰謝料や逸失利益などを求めて大阪地裁に提訴し、今年3月20日に冒頭の判決が下った。

 一審判決についてJR西日本に見解を聞いたところ、「弊社社員が亡くなったことについて、深くお詫びし、心からご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご家族の方々に対しまして本当に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。当該社員について、長期にわたって休日出勤や長時間残業があったことは事実であり、弊社といたしましては、こうした事実を真摯に受け止め、引き続き、社員の労働時間管理に万全を期し、再発防止に取り組んでまいります」と答えた。

 なお、裁判資料によると、会社が把握しているW氏の時間外労働時間は、毎月ほぼ30~40時間程度。250時間を超した12年3月に関して、会社の記録では72時間45分、亡くなる前月は、実際には162時間16分だったのに対し、会社には35時間15分としか記録されていなかった。

 要するに、JR西日本では電気工事現場の労働管理ができていないといわざるを得ない。「引き続き、社員の労働時間管理に万全を期し」と述べているが、今まで労働時間管理ができていないのに「引き続き」と言うあたり、今後も変わらないのではないかと疑いたくなる。
(文=佐々木奎一/ジャーナリスト)