真夏のような日差しの5月下旬、広島電鉄・鷹野橋電停(広島市中区大手町)近くにある1軒のカフェを訪れた。「ルーエぶらじる」という個人経営の店で、1952年から60年以上この場所で営業している。

実は、同店はモーニングサービス発祥の店といわれる。

 日本の喫茶(カフェ)業界は、ここ数年で人気店の潮流が変わってきた。5月23日、スターバックスコーヒーが鳥取県に新店舗をオープンし、国内47都道府県への出店を成し遂げたことが話題を呼ぶ一方、昔ながらの喫茶店も復権してきている。

 その代表が、モーニングサービスを武器に首都圏でも店舗拡大を続けるコメダ珈琲店(国内店舗数は5月末時点で632店)だ。コメダ流のこだわりについては別の機会に紹介するとして、今回はモーニングサービスの歴史について深掘りしてみたい。

●モーニングサービス発祥地は広島?

 喫茶店のモーニングサービスといえば愛知県や岐阜県が有名で、両県の店舗は多くのメディアでも取り上げられている。
これらの地域の住民が喫茶店を愛していることは、データからも裏づけられている事実だ。

 例えば、都道府県庁所在地・政令指定都市別の「1世帯当たりの喫茶代年間支出額」データを見ると、1位・愛知県名古屋市1万2367円、2位・岐阜県岐阜市1万1874円となっている。3位・東京都区部8203円、4位・神奈川県川崎市7595円、5位・神戸市7564円と比べて突出して多い(2010~12年・総務省統計局「家計調査」より)。

 一般的には、モーニングサービスも愛知県で始まったとされている。実は、筆者自身も以前はそう思っていた。発祥として、愛知県一宮市の「一宮モーニング」と豊橋市の「東三河モーニング」を推進する団体から、双方の歴史について話を聞いたことがあるからだ。
ところが取材を続けると、ルーエぶらじるが先にモーニングサービスを始めていたという情報が入り、取材して拙著でも紹介した。

 だが、なぜ広島で始まったかについての疑問は残っていた。数字がすべてではないが、同調査における広島市の統計は16位で5313円。全国平均5093円を少し上回る程度にすぎない。「広島ではモーニングサービスが盛ん」という話も聞いたことがない。そこで、あらためて、同店に足を運んだ次第だ。


●喫茶店店主の「おもてなし」から生まれた

 ルーエぶらじるの前身は末広食堂といい、終戦直後の46年に先代の末広武次氏(故人)が広島駅前で始めた。52年にタカノバシ商店街の現在地に店を移転させ、喫茶店として再スタートした。当時の店名は「喫茶ブラジル」で、戦前に東京に住んでいた同氏が、通っていた銀座の老舗喫茶店の名にちなんでつけたという。

 そんな店でモーニングセットが生まれたのは55年という。現店主の末広克久氏は、「先代は新しもの好きで、当時は三種の神器と呼ばれた冷蔵庫もテレビも、地域に先がけて最初に購入した人でした」と語る。ちなみに49年生まれの克久氏は、長男で当時6歳だった。
モーニングについて武次氏は、こんな意識を持っていたそうだ。

「お客様に『夢の三点セットを出したい』と言っていました。コーヒーとパンと卵料理のことです」(同)

 こうして生まれたのが、コーヒーにSSサイズの卵を使った目玉焼きをトーストに載せたセットだ。当時コーヒー1杯50円のところ、60円で提供したという。

「これが評判となり、『週刊朝日』(朝日新聞社/現・朝日新聞出版)が記事として取り上げたことで全国に広まったようです」(同)

 56年に撮影した当時の外観写真にも「モーニング」の文字が写っている。

 先代が三点セットを「夢」と語ったのは、説明が必要だろう。
広島市に原子爆弾が落とされて壊滅的な被害を受けた45年8月6日から、まだ10年しかたっていなかった。発売当時は敗戦の傷跡が残る食糧難で、小さなSSサイズの卵も貴重品だった。ちなみに戦時中は「贅沢品」だったコーヒーの輸入が再開したのは、発売5年前の50年のことである。

 一方、前述した愛知県一宮市では、モーニング発祥店は不明だが、始まったのは同時期で、繊維の街・一宮では紡績業が最盛期の時代だった。当時「はたやさん」(機織職人)が事務所で打ち合せしようとしても、機械の音がうるさくてゆっくり話ができない。そこで近くの喫茶店を接客に使うようになった。
やがて人の良いマスターが、サービスで「コーヒーにゆで卵とピーナッツをつけたのが始まり」とされる。

 豊橋市の発祥店は「仔馬」(現在は閉店)という店で、57年頃に従業員にまかないとして出していたパンをお客にもサービスで出すようになり、「松葉」でも始まったとされる。

 誤解のないように記すが、一宮市も豊橋市も、「当地こそがモーニング発祥地」とは主張しておらず、「地域一体に広まっていった」と説明している。残念ながら発祥当時の資料は残っていない。したがって当時の写真が残り、内容も具体的な広島が発祥というのが有力なのだ。3地域に共通しているのは、店主のおもてなし精神から生まれたという点だ。

●あの「談話室滝沢」に学び、ベーカリーカフェとして進化

 克久氏は、立教大学社会学部観光学科(当時)を卒業後、家業を継いだ。先代からの伝統を受け継ぐだけでなく、自らも研鑽して商品やサービスを進化させていった。ハンバーグなど、ごはんもののランチも手がけている。興味深いのは、今なお首都圏の人の記憶に残る喫茶店「談話室滝沢」(66~05年)に学んだことだ。

「実は滝沢を創業した滝沢次郎さんは広島県の出身です。人づてに紹介してもらい、何度か教えを受けました。『滝沢はコーヒーやジュースで勝負しているのではない。接客する女性の人間性とサービスを売り物にしているのだ』と語っていましたね」(同)

 談話室滝沢は、東京都内の新宿駅や御茶ノ水駅、池袋駅周辺に店を展開した。コーヒーや紅茶は1杯1000円と割高だったが、店に何時間いてもよかった。接客する女性は東北地方の公立高校出身者を募集して、採用者は寮生活を送り、華道や茶道の作法を会得。サービスの本質を学ばせたうえで接客させていた。

 当時は各店とも21時すぎまで営業しており、特にメディア関係者に重宝されて人気だった。「時代が変わり、昔ながらの従業員教育ができなくなった」ことが閉店理由だという。

「滝沢さんにサービスの本質を学んだ一方で、先代が亡くなってから次の発展を考えました。そこで自家製パンの開発に取り組んだのです。当初は職人に委ねていましたが、独学で勉強し、今では自分で焼いています」(同)

 これが新たなお客を呼び込んだ。家族で切り盛りする店なので、娘の末広朋子氏が商品を開発し、克久氏が生地から作って焼く。妻の規里美氏も店で接客を担う。焼き立てパンを販売する「ベーカリーカフェ」の側面もあり、「パンだけを買われるお客様を含めると1日に500~600人が来店される」(同)という人気店だ。

 カフェのモーニングも豪華になった。朝7時から10時30分まで「Aモーニング」(パン、ゆで卵、サラダ、ドリンク)が550円、「Bモーニング」(パン、目玉焼き、サラダ、ドリンク、ミニジュース)が650円で提供されている。

「食材にも気を配っています。野菜は国産にこだわり、コーヒーを淹れる水も現在は県内にある景勝地・龍頭峡から汲んできた水を使っています。以前は別の名水を使っていましたが、お客様から勧められて試飲した結果、こちらのほうがよりおいしいと判断し、変更いたしました」(同)

 地域一体にモーニング文化が広まらなかったのは、周辺の環境変化もありそうだ。かつて近くには広島大学があったが、同大学は20数年前に移転してしまった。学生街だった当時から残っている店は少ない。それでも同店には常連客が多く、インターネットを見て知ったという若い世代も訪れるという。

「移転前の広島大生で学生時代に通われていた方が、定年後、ご夫婦で再来店されるケースもあります」(同)

 スターバックスやコメダの人気は確かに高いが、国内各地の個人店店主が創意工夫を続けたことで日本の喫茶文化は発展してきた。後継者不足で閉店する老舗店も多いが、同店は次代を担う三代目が毎日お客と向き合っている。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)