今回は、本連載前回記事に引き続き、「組織ぐるみ」といわれた不正会計処理を受け組織の立て直しに向けて東芝が取った組織的な内部的対応について、見てみることにする。

 2015年9月、それまで暫定社長だった室町正志会長が臨時株主総会で正式に社長に就任し、新経営体制が船出を迎えたが、不正会計時の前田恵造CFO(最高財務責任者)を財務顧問に迎えるといった、世間の常識とは異なる感覚を露呈している。



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 さらに、7人の社外取締役の年齢は68~76歳と高齢で、社内取締役も含めて外国籍の取締役はいない。取締役会議長である前田新造資生堂相談役が最年少である。東芝と比較される大手総合電機メーカーの日立製作所も指名委員会等設置会社であり、12人の取締役のうち8人が社外取締役だが、4人は外国籍の社外取締役で、日本人社外取締役の年齢は58~73歳、外国籍の年齢はさらに若い42~68歳である。国籍や年齢構成をみると、東芝よりも「巨艦」の日立のほうがはるかに進んでいるといえよう。

 東芝は社外取締役をご意見番として扱っているようだが、急速なグローバル化や技術革新が進む事業環境において社外取締役全員が60代後半以上という体制が、未来に向けてのチャレンジとしての経営刷新として意味をなすと考えるのは極めて難しい。

 そもそも、東芝は西室泰三会長時代の2003年に、日本企業としては、いち早く委員会等設置会社(現在の指名委員会等設置会社)となったことで経営の透明性を評価された企業であった。
しかし、内部統制が効くはずの仕組みを持っているにもかかわらず、不正会計を全社で長期にわたり行ってきたのである。

 つまり、東芝の抱える問題は、そもそも社外取締役の数を増やすといった人数合わせ程度で刷新されるものではない。「仏を彫っても魂が入っていない」状況である。15年8月の経営新体制発表の時点で取締役会議長が未定であっても、あえて新体制発表を行うという形式にこだわったこともこの一例であろう。

 今回の組織変更も、いかにも点取り屋の優等生的である。これまでの経緯を見るに、「不正会計の清算」という経営層の強い思いではなく、「幕引き」で済まそうとの経営層の思惑とも取れなくはない。


 室町社長は、「消去法社長」ともいわれているが、そもそも不正会計が発覚した時点で会長であった室町氏が新体制の社長になったこと自体にも問題はあろう。佐々木則夫元社長との社長レースに敗れ、12年6月には副社長と取締役を退き常任顧問となった。しかし、西田厚聡前会長が相談役に退くにあたって、東芝の社長を経験することなく、14年6月に取締役会長に就いている。

 第三者委員会の調査結果で「今回の不正会計には関わっていない」とされた室町氏は、会長を辞任する意向だったが、西室相談役が翻意させたと本人が15年7月に語っている。室町氏本人は、「社長を続投したのは、忸怩たる思いがある。だが、副社長4人、全部で8人の取締役が退任した。
副社長の中には田中社長の後任になるべき人材もいた。そういう人材が退任せざるを得ないという非常に悲惨な状況となった。社長の職務を遂行できそうなのは(私)、申し訳ない言い方だが、私がやるべきだろう」と8月の記者会見で述べたと報道されている。これを東芝への愛社精神と取るか、西室氏の院政と取るかは人それぞれであるが、東芝の新たな船出にふさわしい人選かという点では、首を傾げざるを得ない。

●大物OBの影響

 パソコンと原子力が収益の柱とはならず、半導体事業に依存せざるを得ない「6兆円企業」であり、大きなリスクは取れないという東芝の現状を考えれば、外部からの社長招聘ではなく、半導体畑出身の室町氏を新体制の社長に据えるということは、マネジメントの安定性や継続性の観点から、内部的にはわかりやすく説明がつくであろう。

 しかし、その内実はおそらく、西室氏が自身の奔走を公言してはばからず、また、社外取締役や室町氏の選任などに象徴されるような、大物OBの影響があるのであろう。
もっとも、こうした事例は東芝に限ったことではなく、かつてのソニーや日産自動車をはじめとして、日本企業ではよく見受けられることである。

 ただし、東芝はその傾向がかなり強く、現役経営陣も受け入れてきたのではないか。当然、OBに悪意はないであろうが、すでに経営陣ではなくオーナーでも大口の株主でもない、責任も取れない人間が、「企業愛」と称して経営に口を挟むという行為は、欧米ではまったく説明のできないことである。

 東芝は、使命の終わった恐竜のような元国営金融会社や、経営のイロハを知らない元国営航空会社などではない。激変の真っただ中にあるエレクトロニクスとICTにかかわる業界で熾烈な競争をしている企業である。そのような「未来形」を必要とする企業の経営に、「過去形」であるOBが強い影響を及ぼすのは、老害であるといえよう。
東芝は、10人を超える経営陣OBを相談役および顧問として抱えるといわれる。東芝が過去と決別して再生するためには、この整理が本当の第一歩ではないか。新聞報道によれば、さすがの東芝もこの制度の見直しを検討しているそうである。

 単刀直入にいえば、粛々とお化粧をしながら、新体制という仏を彫ることに専念はしたが、魂が入っていないので本質的な問題を解決できていない。つまり、東芝の本質は変わっていないのではないか。現在の東芝のおかれた状況は、再生とも第二の創業ともいえるはずだが、「再生させるという強い意志」も、「生まれ変わるという勇気」も感じられない。


●川は二度に分けては渡れない

 兆速な技術進歩と融合した急速なグローバル化による変化が激しいため不確実性が高く、過去の経験が役に立たない、つまり、予見性の低い世界においては、過去の経験が豊富であることが価値とはなりにくいのが現状である。そのような事業環境に晒されている東芝には、小手先ではなく、マネジメントの抜本的な若返りが不可欠であろう。それなくして、生き抜くことは難しい。

 新体制では、少なくとも50代前半にマネジメントを任せるべきであったであろう。50歳すぎの取締役未経験者を社長に据えた三井物産並みの英断が必要であったのではないか。
 
 東芝に限ったことではないが、本当に変わる企業と変われない企業の分かれ目とは、事業環境の変化を理解し、その適応のために、「川は二度に分けては渡れない。渡るのであれば一度にわたる。留まるのであれば留まる」ということを経営者が理解するかどうかである。

 ここまでの経緯を見るに、東芝は事業整理こそ粛々と進めているが、組織体質の抜本的改革には手が届いていない。まさに、二度に分けて川を渡るという表明が、室町体制であろう。これでは、東芝再建の道のりは見えてこない。東芝は、企業再生の千載一遇の機を逸したかもしれない。今後の東芝の動向に注目したい。
(文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授)