前身の『ライオンのいただきます』(1984年10月開始)から数えて31年半にわたり放送されてきた、小堺一機司会のフジテレビの“お昼の顔”『ライオンのごきげんよう』(91年1月開始)が、3月31日に最終回を迎えた。ゴールデン帯で放送された30日のスペシャル版では、師と仰ぐ萩本欽一、堺正章が登場。

宮根誠司や上沼恵美子といった大物司会者も特別出演し、最後に相応しい放送となった。

 だが、“あの人”と小堺の共演を見たかったファンもいるのではないだろうか。小堺と関根勤が27年半ものあいだTBSラジオで放送していたラジオ『コサキン』をきっかけにブレイクしたルー大柴である。ルーといえば、『いただきます』のクイズコーナーにレギュラー出演し、『ごきげんよう』でサイコロトークが始まった後もたびたびゲストとして招かれており、番組に所縁のある人物である。

 もともと、勝新太郎の主宰する『勝アカデミー』で出会った2人は私生活でも仲が良く、小堺がルーに頻繁に私服をプレゼントするなど深い間柄だった。芸能界関係者が話す。


「小堺や関根の所属事務所である浅井企画で育ったルーは、07年の再ブレイク後に独立。以来、小堺とルーの交流は独立後も続いたようですが、同事務所とルーの共演は一切なくなりました。ゲストが出演する最後の通常放送となった『ごきげんよう』には、明石家さんま、関根勤、中山秀征の3人が小堺の勇退に花を添えましたが、もし浅井企画に残っていたら、中山ではなくルーが出演していたでしょうね」

 アルシンド(当時鹿島アントラーズ)と『アデランス』のCMに出演するなど90年代前半にブレイクしたルーは、その後低迷。だが、07年には「藪からスティック」「休みもホリデーホリデー言え」などの“ルー語”が大いに受け、再ブレイクを果たした。そのウラには、新しく変わったマネージャーの存在があった。テレビ局関係者が語る。


「あのマネージャーなくしてルーの再ブレイクはなかったでしょう。各方面と揉めることもあったが、それだけルーのことを本気で考え、実際まさかの再ブレイクを果たしましたから。その彼は事務所の考え方と合わず、独立。すると、恩義に感じていたルーは付いていくことを決断した。ルー自体は売れなくなってからも面倒を見続けてくれた浅井企画にも当然恩を感じていたし、苦渋の選択だった」

●コサキン&ルー、共演の日は?

 マネージャーが代わった途端に再ブレイクしたルーからしてみれば、当然の道理だったかもしれない。しかし、事務所関係者からは『再ブレイクした途端、天狗になって出て行った』と受け取られてしまい、この“独立事件”による両者の溝は埋まらなかった。
その後、ルー大柴のメディア露出は激減し、最近ではテレビで見掛ける機会はほとんどなく、ブログのコメント数も数えるほどになってしまっている。

「何かをきっかけに、小堺や関根とルーの仲が元に戻ればいいなと思いますが、独立から8年経った今でも現実的には難しいかもしれません。あれだけ仲が良かったわけですから、『怒んないで聞いて』とお互いの素直な気持ちを話し合って、いつかまた3人で共演してほしいですね。そしたら、ファンは喜ぶと思いますよ。そのチャンスは『ごきげんよう』の最後の放送かなとも思っていましたが」(同前)

 コサキン&ルーの共演が叶う日はやってくるのか。
(文=編集部)