先日発表された第40回日本アカデミー賞で、アニメ作品では初となる最優秀脚本賞を受賞したことも話題の『君の名は。』。
邦画史上でも稀に見る大ヒット作の次はどんな映画になるのか──監督の肩には相当なプレッシャーがかかっているであろうが、そのヒントとなる発言が最新のインタビューのなかにあった。それはなんと、これまでの新海誠作品の世界観とは180度真逆の「大人」な「夜」の世界。もっと下世話な言い方をしてしまえば「物語のなかに"ラブホテル"が出てくる世界」を見据えているのだというのだ。
その発言があったのは、「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)2017年4月号に掲載されたスガシカオとの対談でのこと。お互いがファンだと告白し合う和やかな雰囲気の対談のなかで新海監督はこのように語り出す。
「僕はそろそろ次回作を考えなければいけないタイミングなんですが、お話の中身はもちろん、音楽をどうするかということも一緒に考えていきたいなと思っていて、ヒントを探しているんです。そんな下心もあって今日ここに来たんですが(笑)」
『君の名は。』におけるRADWIMPSの劇伴はもちろん、『秒速5センチメートル』での山崎まさよし「One more time, One more chance」、『言の葉の庭』における秦基博「Rain」など、新海作品において音楽の存在は極めて重要な立ち位置を占めており、それは脚本の善し悪しにも匹敵するほど大事なものと言ってもいいかもしれない。
そんななか、新海監督作品の音楽について質問されたスガシカオはこのように語る。
「僕ね、新海さんの作品を観ててひとつ思ったのが、セブンスが合わないんですよ」
「アメリカ音楽、要するにブルースが深く根づいてる音楽はたぶん、新海さんの作品には合わないんじゃないかな、と。例えばRADWIMPSは、セブンスの匂いがないんですよ。
ここでスガシカオが言っている「セブンス」とは、「セブンスコード」のことで、根音から7度に相当する音を含んだ和音のこと。このコードを使うとブルースっぽい雰囲気になるのだが、セブンスの音楽が似合う映画とはいかなるものなのか。スガシカオはこのように説明している。
「DQNな感じだと合うんですよ。酒とか煙草、セックスの匂いがする感じになってくると合うんです。だけどピュアで美しいものが多くなってくると、だんだんセブンスが合わなくなってくる感じが強い」
ナルシシズムを多分に含んだ文化系男子の叙情を物語の前面に押し出し、「童貞の妄想を映像化する監督」と揶揄されることもある監督の作品に「DQN」や「セックス」は最も遠い要素。この話はあまりシンクロしないだろうと思いながら読み進めていくと、意外にも新海監督は「今のお話はすごく興味深いです」と前置きした後、スガシカオの最新アルバム『THE LAST』に収録されている楽曲「青春のホルマリン漬け」を例に挙げ、このように語り始める。
「これは僕の作品に限らないのではないかと思うんですが、アニメーションの世界の中で、東京のきらきらした側面は扱いようがあるんです。でも、僕がスガさんの『THE LAST』から受け取った東京の"夜"の側面は、なかなかうまく出せないような気がするんですね。例えば「青春のホルマリン漬け」という曲で、「日暮里のせまいラブホテル」というフレーズが出てくるじゃないですか。アニメーションの中でラブホテルを出そうとすると、なかなか難しい」
「でも、例えばそこにスガさんの音楽が乗れば、僕が作るアニメーションの世界の中に「日暮里のせまいラブホテル」が成立するのかもしれない。『THE LAST』を聴かせていただきながら、ここにあるような音楽が映像とうまく絡み合ったら、今までのアニメーション映画にはないような味を付け足していってくれるんじゃないかと感じていたんです」
ちなみに、「青春のホルマリン漬け」は、日暮里のラブホテルのなかで交わした会話(「自慰ばっかりして最近不感症なの...」と女性が語る)や、隣の部屋から漏れ聞こえてくる風俗嬢の声などを事細かに描写した曲。
それはともかく、まさか、そんな世界観の楽曲に対し、新海監督が「ここにあるような音楽が映像とうまく絡み合ったら、今までのアニメーション映画にはないような味を付け足していってくれるんじゃないかと感じていた」と語るとは。
もちろん、好きなミュージシャンを前にした対談でのリップサービスの可能性もなくはないが、その話を聞いてどうしても思い出してしまうのが、今年1月に『池袋ウエストゲートパーク』でおなじみの直木賞作家・石田衣良から、「新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」と言われ激怒した騒動だ。
発端は、ウェブサイト「NEWSポストセブン」で公開された石田のインタビューだった。そのなかで彼は『君の名は。』が大ヒットした理由をこのように分析した。
「「君の名は。」の監督の新海誠さんも若い子の気持ちを掴むのが上手いと思いました。たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。それがテーマとして架空のまま、生涯のテーマとして活きている。青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです。
付き合ったこともセックスの経験もないままカッコイイ男の子を書いていく、少女漫画的世界と通底しています。宮崎駿さんだったら何かしら、自然対人間とか、がっちりした実体験をつかめているんですが、新海さんはそういう実体験はないでしょうね。
これに対し、新海監督は石田の名前を明言することは避けつつも、ツイッターにこんな文章を投稿。行間から怒りを滲ませていた。
〈最近は実に様々なお言葉いただきますが、なぜ面識もない方に僕の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされなければならないのか...笑。いやもう口の端にのせていただくだけでもありがたいのですけれど!〉
新海監督自身は、自身の作品にそういった「童貞」感があり、それを求める観客も多くいることを認めている。『君の名は。』の前の作品『言の葉の庭』公開時に受けたインタビューではこのように語っていた。
「風景がきれいなアニメを「新海作品みたいだ」と言ってくれる方もいれば、童貞臭がする物語とかハッピーエンドじゃない物語も「新海っぽい」と言っていただけることもありまして(笑)。そういう童貞くささとか悲劇性を求めている人からすると、昔からリア充の人には僕の作品が伝わらないだろうと思われるのかもしれませんね」(「週刊プレイボーイ」13年5月27日号/集英社)
ただ、『君の名は。』という作品は、そういった従来の作風を残しつつも、より多くの観客に届くように苦心しながらつくっていった作品だった。その一環として新たに組んだのがRADWIMPSであり、東宝のプロデューサー川村元気である。
特に、川村元気との仕事は新海監督に「生みの苦しみ」を与え、脚本執筆段階ではダメ出しのオンパレード。
物語の構成にも大幅にダメ出しが入り、結果としてそれは作品にとってはプラスに働くのだが、その際に感じた怒りをこのようにも語っていた。
「会議には、たとえば川村元気という東宝のプロデューサーに入ってもらいましたが、彼は別に一行も書いてくれるわけじゃない。けど、たとえば「瀧が三葉になって目覚めるまでに20分もかかったら、ちょっと退屈しちゃうかもしれません」とか言うんです。あるいは、何カ所か設定したクライマックスのうち、「こことここの2カ所の間がちょっと離れすぎているから、ひとつにまとめたほうが泣けるんじゃないですか」みたいなことを言うわけですよ。(中略)「いや、ここに来るまでに相当、構成を考えたんだけど」みたいな(笑)。しかも、照れもあるのでしょうが、「ここで泣かせれば興収プラス5000万ですよ!」とか、冗談めかして言うわけです。それもカチンとくるんですけど(笑)」(「アニメージュ」16年10月号/徳間書店)
こういった苦しみの果てに、作品をよりメジャーなフィールドへ届くようブラッシュアップした結果、どんな成果が得られたかは敢えて書く必要もないだろう。
かつて、ナンシー関は、この国のカルチャーにおいて「ヤンキー」が最大のマーケットであることを指し、「世の中の9割はヤンキーとファンシーでできてる」といった発言をしたことがある。現在ではその割合は少し下がっていると思われるが、それでも最大のマーケットが「ヤンキー」であるという点は変わっていないだろう。
『君の名は。』以上にマーケットを広げるのであれば、ヤンキーカルチャーにも訴求する作品をつくる必要がある。
(新田 樹)