教員時代のことです。
やかましく騒いでいた女生徒に、ぼくは言いました。
「もっと女の子らしく、おとなしくしていなさい!」
その子はマジメなので、すぐにおとなしくなりました。
おい待て。「女の子らしく」ってなんだ? そんなものあるのか? 
かつてぼくが子供の頃、読書中「男の子らしく外で遊びなさい」と言われて、理不尽に感じ、傷ついた記憶が蘇ります。
現在では、学校教育で「男の子らしく」「女の子らしく」という言葉はNGワード。

中世ヨーロッパではそれどころではなかったようです。
大久保圭のマンガ『アルテ』は、埋めようのない中世ヨーロッパの男女の格差を描いています。

時代はルネサンス。16世紀のフィレンツェは職人としての「画家工房」がたくさんありました。
絵を描くのが大好きな、貴族の箱入り嬢様・アルテは、画家工房に弟子入りしようとしています。

ところが、門前払い大連発。
理由は簡単。女だから。


彼女の絵を見るまでもなく、ほとんどの工房が彼女の言葉に耳すら傾けません。
「女のくせに何言ってんだ!」
「ナメてんのか!」
「ウチの敷居をまたぐな!」
これが当時の「女性」への見方。

アルテは絵すら見てもらえないことを知り、公衆の面前で自分の長い髪をちぎり捨てます。
「女」であることを、公の場で捨てました。

この物語の外枠は「アルテが大好きな絵を描くために工房に入る」というものです。
しかし裏側に流れているのは、女性差別に立ち向かう、憤怒の感情の話です。


「男たちは自分たちの領域に女が踏み込んでくるのを嫌がる……」

ああ。この言葉、「女の子らしく」といったぼくへの激しい叱責じゃないか。
女の子はおとなしく、優しく。なんだそれ? 男が何様のもんだ?
「らしさ」を押し付けてどうする。かごの中に鳥を押しこむに等しい発言じゃん。

アルテは髪の毛を切り捨てた後、スカートは短く縛って動き回りやすいようにし、重い荷物もすべて自分で運び、徹底して「女ではない」ように振る舞います。

周囲は好奇の目で見ますよ。そんなことはおかまいなし。

ある優しい青年が「女性には酷だ」と彼女の重たい荷物を運ぶ手伝いを仕様とした時、アルテは鋭い目で言います。
「やめて下さい」
徹底して、女として扱われたくない。一人の人間として見てほしい。

成長譚としては『魔女の宅急便』に似た雰囲気があります。

全部自分でやろうと自信いっぱいのアルテの行動の見た目は、キキにそっくりです。
ただ、彼女にはジジのような助言者がおらず、常に怒りが渦巻いている。

彼女が弟子入りできたのは、偏屈で厳しい画家工房のレオ。
それまでは優しい人も厳しい人も、今までみんなアルテを「女」として見ていましいた。
しかしレオだけは、「一人の職人」としてアルテに接します。

問題はここから。
そんなことされたら好きになっちゃうわけですよ。
アルテは女であることを捨てはしました。しかし男になりたいわけじゃない。
恋をした瞬間、否が応でも「女」に引き戻されてしまいます。

知り合いになった高級娼婦は言います。
「私たちみたいに男の庇護の外で生きようとしてる女にとって、溺れるような恋は地獄への入口よ、アルテ」
独り立ちした少女が仕事しながら恋をして……いい話のはずなのに、時代がそれを許さない。

読者側にもジレンマが生じます。
ぼくは読んでいて、もうね、アルテが全力にまっすぐ進む様子がかわいくて仕方ないのですよ。
「女性」を拒絶した少女を、「女」として見てるなんてね! 
とはいえ間違いなく女を捨てたアルテの方が、作中ではイキイキかわいく描かれている。
ずるいよなあ。

「女」であること、「男」であることは、どんなにあがいても捨てることはできない、生まれついての呪縛。
社会制度がどうあろうと、世界のどこであろうと、本人の意志がどうあろうと、これだけは逃れられない。
面倒くさいね。性別なんてなければいいのに。
でも、性別があるから面白いのも事実なんだよね。

かつて、「女らしく」「男らしく」と言われて傷ついた人のエールになる作品です。
だって、怒りに震えながらも前を向くアルテの瞳は、男女関係なくキラキラしてるんだもの。


大久保圭『アルテ』

(たまごまご)