マーガレット・ミッチェルの長篇小説『風と共に去りぬ』(1936)の、鴻巣友季子による新訳(新潮文庫Star Classics名作新訳コレクション、全5冊)が、この4月から刊行されはじめた(Kindle無料無料試し読みブックレットもある)。
そして先日、完結した。

ボンクラ野郎が新訳『風と共に去りぬ』を読んでみた。助けてロマンスの神様!
マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』第1分冊、鴻巣友季子訳、新潮文庫Star Classics名作新訳コレクション。カヴァー画=影山徹。710円+税。第5分冊には作者年譜、訳者あとがきと巽孝之の解説を附す

『風と共に去りぬ』といえば、刊行直後から世界じゅうでベストセラー&ロングセラーとなったロマンス巨篇。ピュリッツァー賞を受賞した。何度も舞台化された人気作品だ。
またヴィクター・フレミング監督による大作カラー映画(ヴィヴィアン・リー主演)も映画賞をいわゆる「総ナメ」にした。
ボンクラ野郎が新訳『風と共に去りぬ』を読んでみた。助けてロマンスの神様!
ヴィクター・フレミング監督『風と共に去りぬ』製作75周年記念コレクターズBOX(3枚組)。

今回の新訳刊行に合わせてということだろうか、ここしばらくは各地の映画館でも『風と共に去りぬ』を上映している。名画を銀幕で観るめったにないチャンスだ。


ロマンスは男には読めないのか


鴻巣訳は、各巻の帯コメントを黒柳徹子さんや酒井順子さんらが担当している。
その人選を見ても、また彼女たちが書いたコメントを読んでも、この作品は女性が共感したり萌えたり燃えたりして読むもののように見える。
もちろん、破格の売れかたをした以上、男性読者だって多いはずだ。
だけど、なんといってもこの作品は、南北戦争前後を背景とした歴史「ロマンス」なのだ。この作品の支持者は、やはり女性が主体らしい。

野暮天男はロマンスをどう読んだらいいのか


恥ずかしながら小生、この齢までこの超有名作を読まずにきた。それもこれも、
「やっぱロマンスだしなあ」
という先入観のせいだ。

いや、ロマンスでも、城とか、そのヴァリエーションである古い豪邸とか、陰謀とか呪いとか悪漢とかが跳梁する、ゴシック系のやつ(シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』など)は超好物なのだ。

ボンクラ野郎が新訳『風と共に去りぬ』を読んでみた。助けてロマンスの神様!
シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』吉田健一訳、集英社文庫。857円+税。

だから小生は、男のなかでは「ロマンス」耐性が強いほうなのではないか、と密かに自負していた。
よし! 先入観は捨てて、新訳刊行を機に読むぞ!
と、第3巻が刊行された5月に決意した。読むぞ!

そして2か月が経った。
読んだぞ!
……先入観、思いっきり当たってたぞ……特濃ロマンスの原液だったぞ……どっと疲れたぞ……。

もちろん、南北戦争で負けを食らった南部の、さまざまな社会階層を、あるときはパノラマ的に、あるときは接写で記述する、けっこう骨太な歴史小説、という側面があったのは、少々意外だった。
この感じは、ひょっとすると第2次世界大戦に大負けした昭和20年代の日本人の心をキャッチしたのではないだろうか、NHK連続テレビ小説的な握力で。


にしても濃かったよ、ロマンス濃度が。
正直いろいろしんどかったよパトラッシュ……。
女心をまったく解さないこんな野暮天のボンクラ野郎には、20世紀もっとも売れたと言われるこの大作を読む資格はないのか? 教えてロマンスの神様!
いや、そんなことはない。と信じたい。
小生と同じくらいこの大作のストーリー部分になかなかシンクロ(=うっとり)できない、つまり小生と同じくらい女心を解さない世の男性諸氏のために、本作を身をもって読んだ小生が、読む指針をここに記す!

最終巻の「訳者あとがき」から読め


まず最初の指針は、最終巻の「訳者あとがき」から読め、ということ。
いきなりの敗北宣言のように聞こえるかもしれないが、そうではない!

諸君が、ロマンスに身も心も乗っかって進める、女心のわかる、というか女心インストール済のハイスペックな兵(つわもの)なら、こんなことをする必要はないかもしれぬ。
しかし、小生同様に女心を解さない軟弱な男は、全巻完結したいま、35頁にわたる長尺の「訳者あとがき」を、臆せず先に読むべきであろう。
読まないのはもったいない。

小生は、5月に第3分冊が刊行されたタイミングで、1冊目から読み始めてしまったが、完結後に最終巻の訳者あとがきを読んでから本体を読み始めればよかった、といまにして思っている。
それくらい、この「訳者あとがき」は助かる。「たしかにこう読むと楽しいかも」というヒントに満ちている。また、この小説にそういう工夫がしてあったのか!ということがいろいろ書かれていて、教えられる。

スカーレットの運命に自然にうっとりできる人は、こういうヒントに助けてもらわなくても充分楽しめるだろうが、読めばさらに多角的に楽しめるはず。

ここでの訳者は、翻訳家であると同時に批評家、さらには教育者に見える。頼もしい。

とくに、
〈主役の四人が戦争に反対しながら巻きこまれていくさまや、戦後の再建時代の恐怖政治による管理社会のようすなどは、歴史小説としてではなく、まさに現代の物語、もっといえば、不条理な近未来ディストピア小説のように感じられた〉
という指摘は素晴らしい。まったくもってそうだと、小生も心の底から思う。

レット・バトラーをアニメキャラとして消費せよ


強気のヒロインであるスカーレットも重要だが、そのスカーレットの反撥と執着の対象である挑発的で危険な男レット・バトラーも、ロマンス妄想爆発のキャラクターだ。
こいつを味わわない手はない。ということで第2の指針は、レット・バトラーをとことん消費してやろう、ということ。


レットが前面に出てくるのは第2分冊から。その巻のカヴァー表4惹句、諸君が新潮文庫を買おうかどうしようか決める手がかりになる内容紹介文には、このように書いてある。
〈鬱屈した日々を送るスカーレットに、南北間の密輸で巨利を得ていたレット・バトラーが破天荒な魅力で接近する〉。
 破天荒な魅力!
ごめんレット、僕にはもう平成ノブシコブシ吉村さんの赤いフンドシしか目に浮かばないよ。ロマンスの神様、この人でしょうか? ホントに?

そのバトラーがスカーレットに投げつける数々の挑発的な台詞のなかで、なぜか印象に残ったのがこちら。
〈愛を語りながら金の算段か。女の本性ってやつだな〉(第4部第34章)
なんだこれは。尾崎紅葉『金色夜叉』の間貫一が熱海の海岸でお宮に言いそうな台詞じゃないか。
ボンクラ野郎が新訳『風と共に去りぬ』を読んでみた。助けてロマンスの神様!
尾崎紅葉『金色夜叉』新潮文庫。750円+税。

『金色夜叉』の種本であるバーサ・M・クレイ(シャーロット・メアリ・ブレイム)の『女より弱きもの』(1878)を、ミッチェルが読んでても、たしかに不思議ではない。
そんな破天荒な決め台詞をレットが言うたびに、この台詞をほかのだれに言わせたらいいか、小生は考えながら読んでいた。

〈愛を語りながら金の算段か。女の本性ってやつだな!〉byシャア(声・池田秀一)
〈愛を語りながら金の算段か。女の本性ってやつだな!〉by五ェ門(先代、声・井上真樹夫)
〈愛を語りながら金の算段か。女の本性ってやつだな!〉byスネ夫(先代、声・肝付兼太)
〈愛を語りながら金の算段か。女の本性ってやつだな!〉byさくらヒロシ(声・屋良有作)
シャアも五ェ門も〈女の本性ってやつ〉なんて言わない! 「女の本性というもの」って言うだろ……。
「愛を語りながら金の算段かいベイビー。レディの本性だね!」by花輪くん(声・菊池正美)

スカーレットを己が煩悩の鏡像とせよ


最後の指針。これは完全に裏技である。
なぜなら、『風と共に去りぬ』を、煩悩百態を描きつくした長いお経として読む、という方針だからである。

『風と共に去りぬ』の主人公スカーレットは、なかなかの苦労人ではあるが、同時に、世界文学史上もっともたくさん怒ってるキャラクターだ。なんかもう数ページに一回はカチンときてる印象。
元気だなあ。スカーレットが作中で放出したアドレナリンの総量で救える命があるのではないか。
こんな怒ってばっかの人を主人公にしてこんだけ長尺のストーリーを書く作者も凄い。

怒りは仏教でいう三毒(3つの根本煩悩)のひとつ、瞋(じん)だ。こんなに怒ってばかりでは、煩悩が湧いて湧いてしょうがないだろう。
それもそのはず、スカーレットは煩悩が強すぎて、こういうふうに紹介されてしまうくらいなのだ。

〈ふたりの女性の違いはじつのところ、メラニーが相手をいっときでも幸せにしたいという気持ちから、心くすぐるやさしい言葉をかけるのに対し、スカーレットには私利を図ろうとする下心がかならずあることだった〉(第2部第8章)

うう浅ましい。これは三毒のひとつ、貪(とん、強欲)ではないか。ツライお人だ。
ヒロインをこうまで厭な感じに書いておいて、なおかつ読者がそれにうっとりするのが、ロマンスを読むということなのだろうか?
それともロマンス読者というものは、「こういう厭なとこ自分にもある!」と思って、かえって自己投影しやすくなるのだろうか?

レットさんのエッチー!


そういう女だから、やはり煩悩のひとつである「慢」(他人と比べることで自分の価値を確認しようとすること)にもまみれている。

〈なにしろレットはハンサムなので、彼との外出は鼻が高かった。〔…〕他の女性たちの目が彼に吸い寄せられるのが分かる。彼が手に口づけるために屈みこむと、目をぱちくりしているのが分かる。よその女性たちが自分の夫に魅せられ、きっと自分を嫉んでいると気づくと、レットと連れだって歩くことを急に自慢に思うようになった。
「ふふ、わたしたちって美男美女のカップルね」スカーレットはそう思って悦に入った〉(第5部第48章)

うへえ。
と思うけど、これ男女逆にしたら、美人を連れて歩く男側のこういう心理を書いた小説は、じつはきっとはるかに多いはずだ。そういうのを読むたびに、世の女の人たちは「うへえ」と思ってきたにちがいない。

そしてとにかく、非ゴシック系ロマンスのお約束である展開、すなわち、
「こんなに狙われちゃうのも、私が魅力的だからかしら……(狙ってくるのがイケメンだから許すけど)」
的な展開もまた、煩悩にまみれている。
 なんだろう、ロマンスのヒロインってイケメンにだったらどうされてもOKなのか? それとも、ロマンスとは、イケメンはなにをしようとセクハラ「できない」、そんな惑星を舞台とする小説だということなのか?

〈「〔…〕今夜ばかりは、わたしのベッドでふたりきりにさせてもらおう」
 レットはスカーレットを横抱きにして、そのまま階段を昇りだした。頭が彼の胸にぶつかるので、その心臓の激しい鼓動が耳に響いた。〔…〕胸に口を押しつけられたまま悲鳴をあげると、レットは踊り場でいきなり立ち止まって、すばやく腕のなかでスカーレットを仰向けにし、貪るような、完璧な口づけをした〉(第5部第54章)

このあとの記述を引用するのは自粛するが……、諸君、これでうっとりできるなら、むしろ諸君は漢と書いて「をとこ」である。

このように、スカーレットは定期的に怒ったり、他人を見下すことで自分の価値を確認しようとしたり、「狙われてるわたし」に悦に入ったりする。小生は同じく煩悩まみれの我が身を指さされるような思いがした。
スカーレットの煩悩は、われわれ人類の煩悩である。
いつしか、そう、やがて第3分冊を過ぎるや、こういう場面にさしかかるたびに、「南無………」と瞑目するようになっていた自分を、小生は見出したのであった。

この煩悩を突きつめた果てに、小説を締めくくるスカーレットの台詞、
〈あしたは今日とは別の日〉(第5部第62章)
がくる。もうこれ、大乗仏教の煩悩即菩提って境地に見えてくる。
ちなみにスカーレットの最後の台詞をちょっとだけひねった題の、高橋幸宏1983年のアルバム『Tomorrow’s just another Day(薔薇色の明日)』はなかなかの名盤。
ボンクラ野郎が新訳『風と共に去りぬ』を読んでみた。助けてロマンスの神様!
高橋幸宏『Tomorrow’s just another Day(薔薇色の明日)』。細野晴臣、坂本龍一、ピエール・バルーらが参加。

以上、このロマンス原液(業務用特濃タイプ)の大海原をわれわれボンクラ男が溺れずに泳ぎきるための戦略を3点、紹介した。
諸君もこの夏、ロマンスの大洋へと風と共に旅立ってはいかがだろうか?
そして小生とともに1から、いやマイナスからスタートして、ともに女心を学ぼうではないか。

なお、鴻巣訳第1巻刊行の半月後には、岩波文庫から荒このみによる新訳(全6冊)の刊行がスタートし、現在第2分冊まで刊行されている。
ボンクラ野郎が新訳『風と共に去りぬ』を読んでみた。助けてロマンスの神様!
マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』第1分冊、荒このみ訳、岩波文庫。840円+税。岩波は全6冊の予定。

(千野帽子)