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酒乱の三船敏郎を叩きのめし、石原裕次郎に詫びを入れさせた安藤昇という男

2015年12月29日 09時50分

ライター情報:大山くまお

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北の湖、原節子、水木しげる、野坂昭如……今年も年末にかけて各界の巨星の訃報が相次いだ。

12月16日に亡くなった安藤昇もまた間違いなく「巨星」の一つであろう。しかし、安藤昇という人物がいったい何者なのか、ある世代から下の人々には、ほとんど知られていないかもしれない。

ある新聞記事には、「元『安藤組』組長、俳優の安藤昇さん死去」という見出しが打たれていた。ウィキペディアを見れば、「日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー」とある。
『映画俳優 安藤昇』(ワイズ出版映画文庫

元ヤクザで俳優。メディアのコンプライアンスが厳しい現在、ちょっとありえないような肩書きだが、実際、安藤昇は戦後史に残るヤクザの組長の一人であり、引退後は堂々たる映画スターとして活躍していた。けっして、チョイ役で“特別出演”していただけで俳優を名乗っていたわけではない。

ここでは、今年5月に刊行された山口猛『映画俳優 安藤昇』(ワイズ出版映画文庫/単行本は2002年刊行)を元に、“安藤昇伝説”をあらためてまとめてみたいと思う。

20代半ばで500人を率い、渋谷を席巻した男・安藤昇


まずは略歴を簡単におさらいしておこう。安藤昇は1926年(大正15年)生まれ。戦中は特攻隊に配属され、過酷な訓練を受ける。除隊後、法政大学予科に入学するが中退。在学中からヤクザと抗争を繰り返していた安藤は、仲間たちと愚連隊を結成し、1952年(昭和27年)には渋谷に東興業の事務所を開いた。これがいわゆる「安藤組」である。

安藤組は最盛期で500人を超えるほどの勢いを誇っており、幹部には漫画『グラップラー刃牙』の花山薫のモデルである喧嘩師・花形敬らが名を連ねていた。また、後にベストセラー作家となる安部譲二も末端の構成員として安藤組に出入りしていたという。

安藤組の幹部はすべて大学卒業、または中退者であり、刺青・指詰め・薬物を禁止する一方で、背広の着用を推奨するなど、当時としてはとてもファッショナブルな集団であり、若者を中心に大変な人気を博した。『映画俳優 安藤昇』の表紙を見ればわかるが、安藤昇自身も大変な凄みをたたえた二枚目である(撮影は荒木経惟)。

脚本家の石松愛弘は「安藤さんっていう人は、ある意味、僕らの青春時代のアイドルでした」と振り返っている。「渋谷のスターでしたからデパート勤めの女の子たちがしょっちゅう見に来ていました」というのだから、従来のヤクザとは一線を画した存在だったということがわかるだろう。
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ライター情報

大山くまお

ライター。著書に『野原ひろしの名言』『野原ひろしの超名言』(双葉社)、『名言力』(ソフトバンク新書)、『中日ドラゴンズあるある』(TOブックス)など。

URL:Fire Stone and Water

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