会場に入ってまず目に飛びこんできたのは、「切腹女子高生」(2002年)という、文字どおり女子高生たちが切腹して腸が飛び出したり、首チョンパされていたりする絵だったので思わず笑ってしまった(心のなかで)。その隣には、大量のピンクチラシをコラージュして梅か桜か花の咲いた樹を描いてみせた「鶯谷図」(1990年)が! のっけからいきなり18禁スレスレの作品が続いたところで、今度は初期の代表作である「あぜ道」(1991年)という絵を見てなごむ。田園のなかの一本道を後姿の女子高生が見つめている(その道は彼女の髪の分け目とつながっているかのように描かれている)というこの絵は、日本画家・東山魁夷の「道」の構図が巧みに引用されている。
……と、こんなふうにいちいち作品を紹介していたらページがいくつあっても足りない。単に点数が多いというだけでなく、その表現も「手を変え品を変え」という言葉がぴったり来るほど多彩な作品がならぶ。絵のほかにも、立体やインスタレーション作品、パフォーマンスの様子を記録した映像も少なくない。
会田の作品は、10余年前からギャラリーなどでちょこちょこ見てきただけに、今回の展覧会では懐かしさを覚えるものもちらほら。たとえば黒板に図とともに説明がびっちり書かれた「新宿御苑大改造計画」(2001年)。大渓谷をつくったり野生動物を放したりして、新宿御苑をもっと自然に近い森林公園にしてしまおうというこの壮大なプランを、たしか会田は当時青山にあったミヅマアートギャラリーで、「おにぎり仮面」という自作キャラのかぶりものをまといながらプレゼンしてみせたのだった。ちょうどこのとき、ご近所にある岡本太郎記念館の館長(当時)で、いまは亡き岡本敏子が来ていた。そこで意見を求められた敏子さんが、「何で会田さんがこんなことをする必要があるの? 新宿御苑なんてどうでもいいじゃない」と率直に述べていたのがいまでも印象に残っている。
たしかに会田の作品には、どーしようもなかったり、正直いってさほどクオリティの高くないものも結構ある。敏子さんじゃなくても思わず「会田さん、こんなことやらなくてもいいのに……」と言いたくなるのも、わからないではない。最近だと、家族や仲間とともに「劇団★死期」という人形劇団を結成し、あちこちで公演を行なっているというのだが、これがまた、部活気分でやっていると本人が語っているとおり、ビデオで観るかぎりとてもぬる~い感じ。でも、きっと思いついたらやらずにはいられないのだろう。
会田がすごいのは、思いついたアイデアを、それにもっともふさわしい表現でバシッと決めてみせてしまうところだ。たとえば、子供の描く啓発ポスター(「自然を守ろう」とか「町をきれいに」といった類いのアレ)を擬した、その名も「ポスター」というシリーズ(1994年)では、本当に子供が描いたように、技術レベルのみならず精神年齢まで落として描いていて笑わせてくれる。先日紹介した山口晃『ヘンな日本美術史』に、「一度自転車に乗れるようになると、乗れないことができなくなる。無理に乗れない風を装うととてもわざとらしくなる」というたとえが出てきたが、この言にならえば会田はあれだけの技術を持ちながら、ヘタに描いてもわざとらしくない、描けない風を装うことのできる希有な才能の持ち主といえるかもしれない。
そういう作品があるかと思えば、「スペース・ウンコ」(1998年)ではそのものずばり、宇宙空間に漂うウンコをクソリアリズムで描いてみせる。アイデアとしてはくだらないが、ここまで大真面目に描かれると文句がつけられない。それは、お待ちかねの“18禁コーナー”に展示された作品にもいえることだ。ここに展示されたうち「犬」と題する連作は、四肢切断された少女を描いたショッキングな作品である。もし実写でこれと同じものを見せられたら、おそらくその残酷さに目をそむけてしまうはずだが、会田の筆にかかればちゃんと見れてしまう。絵画として素直にきれいだと思えてしまうのだ。
本人の解説によれば、このシリーズの制作はもともと大学院生だった頃、東京国立博物館での「室町時代の屏風絵展」で松や梅の幹や枝の描法を見ているときに、なぜか日本オリジナルのエロチシズムを表現する必要性を感じたことが発端になっているという。そう言われてみると、庭木や盆栽の枝にハサミを入れてきれいに整えるのと、少女の手足をちょん切ってしまうことにはどこか通じるものがあるようなないような。いや、ないよ! だが、ついそんなことを思わせてしうまうところが、会田作品のやばさといえる。
会田にとってアイデアは日常(ケ)のときに出るものの、制作はあくまで非日常(ハレ)の行為なのだという(展示パネルに引用された彼の言葉より)。彼の大作を見ると、たしかに毎日このテンションで描き続けていたら身も心も病んでしまうのではないかと思ってしまうものばかり。だから、大作は展覧会などここぞというときにだけ制作される。今回の展覧会でも、「ジャンブル・オブ・フラワーズ」と「電信柱、カラス、その他」という未完成の新作2点が出品されている。会期中も少しずつ描き続けられているというから、何度か会場に足を運んで経過を確認するのも面白そうだ。
先日、BSジャパンの「7PM」という番組にて、「電信柱、カラス、その他」の制作風景がVTRで紹介されていたのだが、参考にするためか床に長谷川等伯の「松林図屏風」や菱田春草の「落葉」の図版が置かれているのが目に入った。どんなに突飛だったりやばいアイデアでも、説得力を持った作品に会田が仕立てあげられるのは、このように歴史上の名作からも貪欲に学びつつ、自家薬籠中のものにしているからなのだろう。
ちなみに今回出品されたなかで、ぼくのいちばんのお気に入りは「大山椒魚」(2003年)という大作だ。発表時にミヅマアートギャラリーの個展でも見ているが、あらためていい作品だと思った。
なぜ少女とオオサンショウウオなのかはわからない。けれども、白い少女たちと黒いサンショウウオ、ツルツルとした少女たちとヌルヌルとしたサンショウウオ、年端もゆかない少女たちと何年も生きていそうなサンショウウオ……と、この組み合わせからはさまざまな想像をかきたてられる。会田のここ10年間の代表作のひとつであることは間違いない。森美術館のミュージアムショップでは現在、この絵を使ったポストカードのほか、ノートも販売されている。さすがに堂々と使うにはちょっと勇気がいりそうだが。
なお、展覧会のカタログは目下作成中で、ミュージアムショップで予約したところ12月後半の発送になるとのことだった。いまから届くのが楽しみだ。(近藤正高)