ダイエーの発行済み株式のうち44.15%を保有するイオンは9月24日、ダイエー株主にイオン株を割り当てる株式交換方式で完全子会社化すると発表した。昨年イオンがダイエーの経営権を握るまでの筆頭株主で、現在も4.99%を持つ丸紅と交渉中だという。
2014年2月期末のダイエーの個人株主は12万人で、ダイエーは年内に臨時株主総会を開いて3分の2以上の賛成が必要な特別決議を行い、来春に株式交換を実施。東証1部上場も廃止する。

 ダイエー系列の「ダイエー」「グルメシティ」の店舗数は約280店(8月末時点)。関東や関西にある店舗は食品スーパーに特化し、北海道と九州の約60店舗は別のイオングループに移管。また、18年度をメドに「ダイエー」の屋号をなくす。

 1970~80年代には日本最大の小売業にまで上り詰め、流通業界のリーダー的存在として君臨したダイエー転落の遠因としてよく挙げられるのが、中内功元会長が太平洋戦争フィリピン戦線で味わった苛烈な飢餓体験である。
人肉食いの噂が常につきまとう戦場から奇跡的に生還した中内氏は、他人を信用できなかった。人間不信から、傅氏、力氏ら弟たちをはじめ有力幹部を次々と放逐。東京・大田区田園調布の豪邸の近くに、長男・潤氏、長女・浅野綾氏、次男・正氏の家を建て、中内家が住む一帯は“ダイエーの天領”と呼ばれた。●中内王国の瓦解


 血の継承にもこだわった。潤氏をダイエー副社長に就け、正氏にはプロ野球球団・福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)オーナー代行の座を与えた。潤氏を流通部門、正氏をレジャー部門のトップに据えて中内王国を盤石なものにすることを目指した。



 1989年1月、潤氏は33歳でダイエー副社長に就き、欧米に多く見られる倉庫型の低価格店、ハイパーマートを導入した。店舗にかけるコストを徹底的に削減し、低価格を実現する。天井は鉄骨むき出しだ。利用客は大型ショッピングカートに商品を乗せて、出口ゲートを兼ねたレジで代金を支払う。潤氏は「安くすれば売れる」と信じていた父の考えの信奉者だった。香川県坂出市に出店したハイパーマートはトイレに便器を使わず、コンクリートを打ちっぱなしにした。
しかし、こうした斬新な店舗は、日本の消費者には受け入れられなかった。時代が変わり、食品スーパー市場はすでに買い手市場になっていることに中内親子は気づかなかった。失敗が明らかになっても潤はハイパーマートを猛烈な勢いで出店し、その数は36店に上ったが、いずれも巨額な赤字を垂れ流した。その結果、既存店の設備更新に手が回らず、老朽化が進んだ。

 再建のキーマンとして2001年に副社長に迎えられた平山敞氏は、「どうやったらダイエーをこんなに悪くできたんだ」と昂然と言い放ったという。平山氏は潤氏を後継者に据える中内氏と対立して、一度はダイエーを去った男だ。
潤氏が事実上のトップとして君臨した期間は、ダイエーの「失われた10年」だった。2人の息子に託した中内王国は、一瞬にして瓦解した。

●政治問題としてのダイエー処理


 04年には巨額の負債を抱え産業再生機構の支援を受けたが、ダイエーの再建は思うように進まなかった。再生機構が手を付けたのは店舗の閉鎖と資産売却による不良債権処理だけだった。この頃、ダイエー問題は政治問題の側面も有していた。金融庁対経済産業省、つまりは旧・大蔵省と旧・通産省という2つの中央官庁の主導権争いである。

竹中平蔵金融・経済財政担当相と中川昭一経済産業相が対立し、小泉純一郎首相が裁定した。事の始まりは、UFJホールディングス(現・三菱UFJフィナンシャル・グループ)の経営危機。傘下のUFJ銀行が抱える不良債権処理に、金融庁は産業再生機構の活用を画策した。その最終ターゲットがダイエーであり、竹中氏がダイエー処理を想定して創設したのが再生機構だといわれている。

 02年9月に金融担当相に就任した竹中氏は、大手行の不良債権問題を解決するために「金融再生プログラム」を策定。大手行の不良債権比率を半減させるという目標を掲げた。
その実現のためには不良債権を銀行から切り離す必要がある。そこで不良債権化している企業の債権を銀行から買い取る受け皿としての公的機関が必要になる。再生機構はこうした時代背景から生まれた。バブル期の不良債権の象徴で、かつ知名度抜群のダイエーはもってこいの獲物だった。

 省庁間の抗争が火を噴いたのは04年8月。ダイエーの主力行であるUFJ銀行、みずほコーポレート銀行、三井住友銀行の3行が、ダイエー再建について再生機構の活用を検討中との報道が流れた。ダイエーの唱える自主再建では不良債権は減らない。UFJ銀行の不良債権を減らすには、ダイエーを再生機構に送らなければならない。金融庁の隠された狙いもここにあった。一方、経産省は所管官庁としてダイエー再建の主導権を握りたい。ダイエーが再生機構送りになれば、金融庁がダイエーの生殺与奪権を握る。金融庁に主導権を奪われるのを阻止するのが狙いだった。結局「介入は即刻、やめろ」という小泉首相の経産省に対する鶴の一声で、ダイエーに対する再生機構活用が決まった。

 その後06年、総合商社の丸紅が再生機構からダイエーを698億円で買収し経営権を握ったが、経営再建に失敗。ダイエーとの取引が拡大し業績アップにつながるという、従来の大手商社の発想でダイエーを引き受け、高い授業料を払う羽目に陥った。丸紅は西見徹氏、桑原道夫氏と2代続けて社長を送り込んだが、丸紅は水面下で米ウォルマートにダイエーを売る交渉をしていたといわれている。

 ダイエーが持つ店舗は駅前などの立地の良さが魅力との見方もある一方、軒並み老朽化していて客を呼ぶ力を失っているとの指摘も多い。1957年に中内氏がゼロから創業し、戦後の経済成長と軌を一にして流通王国にまで成長したダイエーは、名実ともに終わりを告げようとしている。
(文=編集部)