いま、大注目の編集者!篠原一朗さん。文藝春秋時代に、本屋大賞を受賞した『羊と鋼の森』(宮下奈都著)や 『そして、バトンは渡された』(瀬尾まいこ著)、アーティストの作品など数々の話題作を担当。
◾️ミュージシャンと組んだ書籍が大ヒットした理由
2014年に文藝春秋に転職するが、幻冬舎との社風の違いに最初は戸惑うことも多かったという。
「当時の幻冬舎は、そこにいる人たちの喜怒哀楽が激しくて、毎日がお祭りみたいな会社でした。売れる本を作ったらワッショイとなるし、何か非があることをすれば、しっかり叱咤されます。でも、文藝春秋は、みんな落ち着いていて、淡々と平穏な日々が過ぎていくわけです。ただし、会社に歴史とブランドがあるので、いきなり『今日から東野(圭吾)さんの担当ね』ということもある。文藝春秋は『個人ではなく会社として仕事をしなさい』というのが基本としてある会社なので異動も多いんですよね。人が代わっても組織としてうまく回っていて、それはそれで合理的だと理解はしていても、幻冬舎の社風に染まり切った僕としては、入った当初は、もっと刺激が欲しいかも、と思ってしまいました。ただ、僕も後々そんな環境が当たり前になって、文藝春秋が居心地よくなっていくわけですが。
これは幻冬舎の社長の見城(徹)さんが著書などで書かれているのですが、見城さんがKADOKAWA(当時『角川書店』)に入った時に、『会社の看板を使った仕事は誰でもできる。
文芸の編集仕事をしながら、上司から「篠原の好きなようにやっていい」というお墨付きをもらい、当時は今ほどメジャーではなかったRADWIMPSの野田洋次郎氏のエッセイやクリープハイプの尾崎世界観氏、SEKAI NO OWARIのSaoriこと藤崎彩織氏の小説などを担当した。
「そういった作品がヒットをしたら、社内で『篠原は勝手にやらせておけば売れる本を作るだろう』みたいな雰囲気になったという流れです。もちろん、文芸作品の担当編集者としても『羊と鋼の森』(宮下奈都著)や『そして、バトンは渡された』(瀬尾まいこ著)などを作り、この2冊は会社もとても力を入れてくれて、結果として本屋大賞を受賞することができました。他には村上龍さんの本も引き続き担当できましたし、西川美和さんの『永い言い訳』だったり、窪美澄さんの本なども作らせていただきました。
今も昔もですけど、この20年、仕事以外の時間なんてなくて、プライベートも仕事仲間と遊ぶし、仕事のことを考えているし、公私混同極まれりという感じで境目がないです。それを好きでやっているので仕事をしている感覚もなくて。
ミュージシャンの本業は音楽を作ることだから、本作りは仕事だけど仕事ではないんですよね。だから、小説家とだけ仕事をする編集者だったら9時から5時の中でしっかり仕事として編集者をやります、ということで成立するのかもしれないですけど、ミュージシャンたちとはプライベートでも一緒にいないと信用してもらえないこともあるし、率直にそれが楽しかった。そういう意味では、彼らとは友達付き合いの延長で仕事をしていた気がします」
■幻冬舎と文藝春秋で研鑽を積めたからこそ
また、文藝春秋は芥川賞・直木賞の選考を担う出版社でもある。その選考に携われたことも貴重な経験だった。
「選考はすごくフェアで、みんなプライドをかけて作品を読んでいます。
大好きな作家たちとかかわれたのも文藝春秋というブランドのおかげでもあった。また、転職のおかげで仕事の幅も広がった。全く毛色の違う幻冬舎と文藝春秋で研鑽を積めたのが何よりの財産となったようだ。
「幻冬舎にいたのは15年も前ですが、本当にみんな元気で刺激的な会社で編集者としての基礎を叩き込んでいただいたし、文藝春秋では看板のすごさをしっかり見せていただいた。あと文藝春秋の編集者って、一見サラリーマン的ですけどたくさん本を読んでいる人が多くて読解力があって、地頭がいいんです。だから、奇をてらわない王道の文芸編集者の面白さ、優秀さを感じることができました」
そんな会社を再び辞め、独立するのだから人生何があるかわからないものである。
「幻冬舎に対しては、入れてもらった恩も育ててもらった恩もあるので、辞めたときは後ろめたさがありました。今思い返しても、当時の自分は子供だったと思います。でも、文藝春秋に対しては感謝と愛情は強くありますが、僕は編集者としてある程度育った状態で移って売れる本も出せたので、独立することににあまり負い目はなかった。だから、辞めるときもすんなり言えたし、辞めるけれどまた一緒にやってもらえませんか、という話もしやすかったですね。
ブランド力もあり、大勢の編集者を抱え、資金力もある大手に太刀打ちするのは並大抵のことではないだろう。何か秘策はあるのだろうか。
「ないですよ。そもそも太刀打ちしようと思ってないです。大きい出版社がきちんと日本の出版業界を支えてくださるから、その隙間で僕らがゲリラ戦をできるのであって、全く敵だとは思っていないし、むしろ『ありがとうございます』という感謝しかないです。
ただ、刊行点数が少ない分、大手よりも1冊1冊丁寧に作っている自負はあるし、時間もお金もきちんと投入しています。水鈴社はこの規模の出版社にしてはバックヤードのスタッフが多くて、プロモーションにたけた人がいたり、SNSとかこまごましたことをやってくれる人がいたり、営業も2人いますし。会議で『この本はどうしていこうか』と語り合ったりはしますけど、普段から何でも気軽に話せるので風通しはすごくいいと思います。1冊の本を分担ではなく、みんなで届けていますから。編集者として心掛けているのは、一生懸命やること、嘘をつかない、丁寧にといった当たり前のことですね」
■どんな人が出版の世界で結果を出せるのか?
小さい会社だからこそ、小回りもきくが、いいと思った本が必ずしもヒットにつながるとはならないのが世の常だ。
「でも、自分がいいと思っていない本でヒットは目指せないですし、本気でお勧めできないですよね。本が売れないと言われて20年くらい経とうとしていますが、やれることは多いと思っています。
あと、大きな会社だと会社を維持するために自転車操業的に新しい本を作り続けていかなければならないけれど、水鈴社のような小さな会社は、極端に言えば半年本を出さなくても持ちこたえられるので、あたふたする必要がないんです。ただし、大金持ちにはなれないですよ(笑)。金がすべてじゃないとか、やりたいことをやっているんだからとか、きれいごとを言うつもりはありません。お金がないと本は作れないし、スタッフに給料も払えないし、僕だっておいしいものを食べたいからお金は稼ぎたいです。でもそのために無理はしたくないし、悪いと思っていないのに頭を下げるのも違う気がします」
だから、「無駄の少ない筋肉質な会社でいたいと思っています」と篠原さんは言い切った。篠原さんの1日は仕事中心に回っている。朝は8時に目覚ましで起き、多種類のサプリを飲み、風呂に入った後、朝食と特製スムージーを作って飲むのがルーティンだ。9時ころからメールなどをチェックした後、10時から11時の間に出社し、仕事をこなす。夕食はほぼ会食で埋まっており、帰宅は11時前後。そこからデスクワークや読書をして2時に就寝するという生活を繰り返す。
「僕は休みの日も仕事をしています。
★インタビュー第3回につづく・・・
取材・構成:大西展子
篠原一朗
編集者/株式会社水鈴社 代表取締役社長
1978年東京生まれ。小学生時代をスリランカで暮らす。大学卒業後、ゼネコン勤務を経て株式会社幻冬舎に入社。雑誌『パピルス』の編集長などを務めたのち、2014年に株式会社文藝春秋に転職。2作の本屋大賞受賞作を含む数多くのベストセラー小説や、人気ミュージシャンの小説、エッセイを送り出した。20年に新たな出版社・水鈴社を設立。
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