ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
友人たちの聖地を巡礼【明大前駅・はんばあぐはうす ぐずぐず(洋食屋)】vol.36
大学時代はのんべんだらりと過ごしていた。単位はギリギリで取得し、バイトと軽音サークルの活動に明け暮れた。世田谷区にある明大前駅から甲州街道を越えた先に、キャンパスがあった。学生食堂にテラス席があり、所属していたサークルがその隅を溜まり場と呼んだ。少なくとも5、6人。多くて10人くらいがたむろした。
私は学生食堂の料理が好きだった。安くて、早くて、量がある。味にはもとから関心がないので、文句など言いようがなかった。
寂しさが生まれた日は、どんな季節だっただろうか。
ある日、いつものように「メシ食うかあ」と誰かが言って、私もその後についていこうとした。しかし、そのとき溜まり場に流れた空気は、確実に違っていた。
「今日、『ぐずぐず』行かない?」
ぐずぐず?
「あ、いいね。行こう行こう」
ぐずぐず……?
「ぐずぐず」という、おそらく飲食店と思われる店が、この世のどこかにあるらしかった。しかし、食への好奇心が著しく欠落している私は、得体の知れない店で貴重な空腹を満たすことは、いささか危険が過ぎると思った。
それで、「ぐずぐず」に行くタイミングを失った。
この判断が後悔の始まりとは、思いもしなかった。
友人たちは少しずつだが確実に「ぐずぐず」に向かう頻度を増やしていった。
「いやー、いい店だよね」「今度からあっちで溜まろうか」「それも悪くないね」などと、まるで自分たちが選ばれた人間であるかのように話した。
私は、寂しさに暴れだしそうだった。学生食堂派の人間は確実に数を減らしており、一人でカツカレーを頬張る日もあった。もはや意地だった。
「ぐずぐずって、なんやねん」
そう思い続けて、大学4年になった。通うキャンパスが駿河台に移動したのに、それでも「ぐずぐず」への劣等感は消えなかった。私も、あっち側の人間になりたかった。心はいつまでも泣いていた。
久しぶりに、明大前駅で降りた。あれから20年近くたっていた。キャンパスを覗くと、校舎は新しくなり、溜まり場は当然のように消えていた。
甲州街道沿いを歩いた。どこかで腹を満たしたかった。
「はんばあぐはうす ぐずぐず」
こんな近くにあったのかと、拍子抜けした。「ぐずぐず」は、もっとずっと、遠くにあるものと思っていた。
扉を開けると、大量の本や雑誌、漫画が空間を圧迫していた。小さなテーブルと木製の椅子。8人も入れば満席の可愛らしい店だった。
ここで、ぎゅうぎゅうになりながら、楽しく飯を食っていたんだろうな。
しばらく会っていない友人たちを思い出し、心に火が灯った。私は、彼らがよく食べていたと思われる「ぐずぐず風はんばあぐ」を、自分も食べてみようと思った。
ニット帽を被ったお母さんが、注文を取りに来た。おそらく20年前も、この人が営んでいたのだろうと思った。
「ぐずぐず風はんばあぐ、ください」
わずかに、涙腺が緩んだ。過去の呪いが解けた気がした。お母さんは、どこか寂しそうな顔で言った。
「それ、今日は終わっちゃったのよ」
呪い、全然解けねえじゃねえか。
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>
―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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