報酬をケチる会社は社員に嚙み殺される。「日本一の月給」を社是...の画像はこちら >>



「社員に高い月給を払ってつぶれた会社がないということは、社員にはたくさんの月給を払っていいということである」。賃上げと人材獲得競争がやまない今、40年前にこう断言した経営者がいた。

外食産業初の年商1000億円企業・日本マクドナルドを育てた藤田田の報酬哲学を『殺されない社長の心得』(ベストセラーズ)より抜粋して紹介する。





■スピード時代の社員教育法



 人間が人の話をきいて、辛抱できる限界は、20分間である。話が20分をこえると、苦痛でしかなくなる。



 わがマクドナルドでは、社員教育にビデオを利用しているが、そのビデオは1本20分以内で、それ以上のものはない。私は、社長として、全店に向けてビデオで年頭の挨拶をおこなったが、それも5分間の短いものだった。



 社員教育のビデオは、20分のもので、ここが一番教えたいというポイントをふたつだけいれてある。前半の10分間でひとつ、後半の10分間でひとつのふたつだけである。6つ教えたいことがあったら、20分のビデオを3本つくる。



 それがマクドナルドのやり方なのである。マクドナルドの社員教育は、即戦力化することを目的としている。そのために20分間にエッセンスをつめこんだビデオを活用しているのである。



 会社にとってなにが心強いか、というと、新人社員が即戦力化してくれることである。

昨日はいってきた社員が、今日はベテラン社員にひけを取らない戦力になってくれたら、これほどありがたいことはない。



 従来の日本の資本主義の最大の欠点は、一人前の社員を養成するのに、3年も4年もかかった、という点である。これではダメなのである。いまはスピード時代である。3年も4年もかけて社員を教育していたのでは間に合わない。



 世の中の変化、多様化は昔とはくらべものにならないほどはやくなっている。のんびりと時間をかけて社員教育をしていたのでは、世の中の変化に追いつかないのである。だからこそ社員は即戦力化しなければならないのである。



 マクドナルド流でやれば、20分ものビデオを3本、社員に見せればいい。そうすれば、3年ぐらい、一生懸命時間をかけて回り道していた社員教育が、わずか60分でできるのである。その方法で、かなりのレベルまで即戦力化ができる。



 私は社員の即戦力化はビデオでやるのが一番いいと考えている。

とくに、マクドナルドのように、日本もパリもロンドンもニューヨークもロサンゼルスも、ハンバーガーを売るために画一的な社員教育をしなければならないところでは、ビデオが最高である。



 わが日本マクドナルドでは、店舗数20ぐらいのときからビデオを導入し、現在では500店舗をこす全店で活用している。



 ビデオのメリットは、何回でも同じ話がきけるということである。いつきいても、声の調子がかわったり、しゃべる内容がかわったり、というようなことがない。同じ教育をする。



 外から講師を呼んでくれば、そのつど、時間いくらの謝礼を払わなければならない。ビデオだったら、1本つくっておけば、何回見ても無料である。マクドナルドでは、この社員教育のビデオを、毎日、20分間だけ、全店で社員に見せている。





■日本一の月給がほしくないか?



 「社員にやる気を起こさせるものはなにか?」



 そうたずねると、いろいろ立派な答えが返ってくる。



 「社員に使命感を与えることである」「社員に、社会に貢献をしているという誇りをもたせることである」といった答えが多い。建て前はたしかにそうである。



 それでは、社員はなんのために働いているか、ということを本音の部分で考えてみると、金がいるから働いているのである。

社会的な使命感に燃えて、無料で働いているのではない。



 とすると、当然安月給で働くよりも、少しでも高い給料をもらいたい、と思うのが人情である。だから、会社のほうも「わが社は高給を払います」ということをスローガンに掲げるべきである。



 私は、マクドナルドは、日本最高の月給を払うことを会社の目的とする、ということを、社是の第一番目に掲げている。日本最高の月給を払う、というのがわが社の方針なのだ。



 売り上げが1000億円をこえた、とか、社員が何万人いる、ということよりも、もっと社員にやる気を起こさせるのは、日本最高の月給を払うということである。



 この会社以外には、これだけの給料をくれるところはない、ということになれば、この会社でがんばろう、という気になる。



 月給をロクに払おうとせず、あるいは安い月給で社員を酷使しようとしたり、節約をモットーに月給までけずるというようなことでは、社員はやる気など起こすはずはない。



 現実に払っていなくてもかまわない。日本最高の月給を払うように努力する、ということをいつも社員にいうことである。



 いまは日本最高の月給を払っていなくても、会社が伸びれば日本最高の月給を払う、と約束すれば、社員は、かならずやる気を起こすものなのである。



 良心的な製品をつくったり、社会的貢献度を吹聴したりすることも、社員に使命感をもたせることで必要かもしれないが、使命感だけで仕事をやってくれるのは、ボランティアぐらいのものだ。



 私は、明治以降の日本の資本主義社会で、高い月給を払いすぎてつぶれた、という会社にお目にかかったことはない。会社がつぶれる最大の原因は、社長が無能力だからである。



 社員に高い月給を払ってつぶれた会社がないということは、社員にはたくさんの月給を払っていいということである。



 ガラス張り経営をおこなっている会社があるが、私は、ガラス張り経営、大賛成である。会社はガラス張りにして、儲けの何パーセントは社員に還元する、ということをはっきりさせ、社員を大いに優遇すべきである。



 社員にやる気を起こさせるためには、日本最高の月給を払うと同時に、きめこまかなアフターケアも必要である。いろいろな人間として生きていくためのきめのこまかなテイクケアが必要なのだ。それがなければ、社員はやる気を起こさないものなのだ。





■金の卵をさがすより、いかに訓練するかだ



 金の卵をさがせ、ということが、よくいわれる。しかし、私にいわせるなら、人間の中に金の卵がある、という発想が、そもそもまちがっている。



 人間というものは、極端なバカでないかぎり、もって生まれた能力は、ほぼ同じ、大差はない。金の卵などありはしない。

多少、頭の悪い人でも、人生というマラソンでは体力でカバーすることができる。頭がよくても、風邪などで、しばしば会社を休むようでは困る。



 頭と体力をかけ合わせてみると、頭が4で体が2という人がいる。この人の総合点は4×2で8である。逆に、体力は4だけど頭は2という人もいる。この人の場合も総合点は8になる。だから、このふたりの場合には、金と鉛ほどの差はない。ほぼ、同じだといえる。



 ただ、ほんのひと握りの天才はいるかもしれないが、だからといって、ほんのひと握りの天才をさがして、企業は成り立っているのではない。企業というのは大勢の人間が協力して成り立っている。



 だから、金の卵をさがすのではなく、総合点8の人間をいかに教育して、戦力にするかが大切なのである。金の卵をさがすよりは、そのほうが重要なことなのである。



 人間は、先天的な遺伝的要素と後天的な訓練によって成り立っている、というのが心理学の定説である。もって生まれたものに大差がないとすれば、あとは訓練しだいである。訓練には限度がない。



 バルチック艦隊を相手に戦った日本海海戦で、訓練至上主義の東郷元帥は勝利をおさめた。この東郷元帥の訓練至上主義は企業でも大いに活用すべきだ、と思う。



 つまり、訓練して、ある程度のレベルにまでもっていき、チームを組んで仕事をするのである。そのほうが、ありもしない金の卵を血まなこでさがすより、よほど理にかなっている。



 ありもしない金の卵をさがし求めてみても、結果は失望するだけである。金の卵は、永久に見つからないかもしれない。だから、金の卵をさがす、ということは、およそ、非現実的な話なのである。



 ビジネスというのは、きわめて現実的である。理想主義ではビジネスには勝てない。つねに、現実主義をとるべきなのである。



 社員全部が東大卒という会社はない。同様に、社員全部が早稲田卒、慶応卒という会社もない。社員は玉石混交で、会社は成り立っている。それも、石といっても、それほどひどい石ではない。



 日本は義務教育が高度に発展した国である。しかも、国民の大半が高校へ進み、また、その半数以上が大学に進学しているような国である。ひとりひとりの国民に、教育はいきわたっているから、社員の玉石の差はそんなにない。僅差である。



 だから、あとは、会社側の教育しだいである。会社側がはいってきた社員を、自分たちの目的に合わせるために、どう教育するか、である。



 戦時中の軍隊も、最初から兵士を集めたわけではなかった。全国から銃器をあつかったこともなかった若者を集めて、それを二等兵にして、訓練し、正規の軍隊の兵士に仕上げたのだ。



 もともと素人軍隊である。その素人軍隊が、アメリカ軍をふるえ上がらせる活躍をしたのである。



 戦後、一時期、私は進駐軍関係の仕事をしていたことがあるが、そのときに、ある大尉がしみじみといったものだ。「日本にアメリカと同じ数の武器があったなら、この戦争でアメリカは負けていた」と。



 その大尉が、ガダルカナルで日本軍と戦ったとき、彼は飛行機で、川を偵察した。



 その作戦では、その川をさかのぼっていくことになっていたので、事前に日本兵の有無を偵察したのである。日中の偵察では、日本兵らしいものは、まるで発見できなかった。



 ところが翌朝、川をさかのぼっていくと、川の曲がり角から、突然、日本軍が射撃をしかけてきた。どうにか反撃して、日本軍を殲滅したが、あとで日本兵の死体を調べたら、どの死体も、全身ヒルだらけだったというのだ。つまり、日本兵は前夜から川にはいって、ヒルに血を吸われながらも、息をひそめ、アメリカ軍がやってくるのを待ちかまえていたのである。



 大尉は、「アメリカ兵なら、ヒルが吸いついてくるようなところには絶対に入らない」という。だから、そういった勇敢な国民には、兵器の物量が同じであったら、絶対に勝てるわけはない、というのだ。



 その勇敢な日本軍の兵士は、金の卵でもなんでもない、かり集められた素人の集団である。それを日本の軍隊が教育をして、そこまで勇敢な兵士に仕上げたのである。



 私は言葉の単純な国は伸びないと考えている。日本人は非常に複雑な言葉をしゃべる国民である。最近の若い女性は、テメエとかオマエとかいうらしいが、それでも、日本語には、女性には女性らしい言葉があり、男性には男性の言葉がある。そして、それをたくみに使い分けている。しかも、他国の言語にはない敬語がある。



 そういった複雑な言葉をしゃべることで平素から頭のコンピューターの訓練をしている民族であるから、本来、バカな人はいないと思う。本来、優秀な民族だから訓練しだいですぐれた戦力になりうるのである。





■エリート意識が人間をダメにする



 うちの会社はなんのために社員を雇っているか、といえば、ハンバーガーを製造し、ハンバーガーを売るためである。だから、お客さんを啓蒙するとか、お客さんを教育するとか、お客さんの前でダンスをしてみせるとかいう社員教育は必要ない。



 ハンバーガーを製造し、販売するための教育だけをすればいい。



 そこで、わが社は、ハンバーガー大学をつくって、これを最終学歴とする、と決めていると、前にも述べた。よその、国公私立の大学で教育していただいた社員に、ハンバーガー大学でうちなりの教育をして、マクドナルド人間になってもらって、これを最終学歴とすることにしているのだ。



 わが社に関していえば、だから、学歴だけのエリートというのは存在しない。東大卒、という学力は、官界やよその会社では、一代かぎりの貴族鑑札みたいになっている。エリート中のエリートというあつかいを受けている。



 しかし、私は、マクドナルドにおいては東大卒ではなく、ハンバーガー大学をでた人がエリートだと考えている。つまり、はじめからエリート社員というものはない。そういった区別はない、というのが私の考え方なのだ。要は本人の努力しだいだ、と考えている。



 はじめから、あなたは東大卒だから、エリートなので局長までなれる、という考え方はおかしいと思う。はじめに特急券をもたせるという考えはとらない。わずか4年程度の大学教育だけで、その人の残りの人生の大半を決めてしまうというのは、まことに無礼な考え方である。



 入社して、30年なり35年間働く。その間に、その人がエリートかどうか、判断すべきなのである。入社したときには、いっせいに、同じスタートラインからスタートすべきである。チャンスは平等なのだ。



 会社にとってもその社員にとっても、一番大切なことは、いつも会社に入社したときの気持ちをもって、フレッシュマンのつもりで仕事をすることである。



 オレは課長だ、とか、オレは部長だ、と思った瞬間にその人間は終わりなのである。



 いつまでも会社の一兵卒のつもりで働く。昨日はいってきた新社員のつもりで働く。それが大切なのだ。そういう気持ちの社員はまちがいなく、出世する。



 どんな会社にも、人のいやがる仕事というのがある。その人のいやがる仕事を喜んでやることも大切なことである。人の一番いやがる仕事を一番喜んでやる社員が一番出世する社員なのだ。



 英語で、「トラブル・シューター」という言葉がある。トラブルをさがして解決していく人のことである。つまり、人が他人に押しつけたがっている、一番いやな、一番やっかいな仕事を、いつも引き受けてやってのける人のことである。



 私は、この会社で一番やっかいな仕事、一番いやな仕事は全部オレのところへもってこい、という姿勢で働く社員を、もっとも高く評価する。



 人生というのは、満塁ホームランを打つことではなく、こまかいことをコツコツと積み重ねることである。努力しないで、出世する方法などありはしない。出世したいと思ったら、寝てもさめても、たえずその目的に向かって努力することである。毎日毎日、寄せてはかえす波のごとく、執拗に努力してほしいと思う。



文:藤田田





《『殺されない社長の心得』より構成》

編集部おすすめ