「泥棒社員がいる前提で経営しろ」性善説では生き残れない、藤田...の画像はこちら >>



「目撃者がおらず絶対安全であればかならず泥棒をするという社員をかかえているという前提に立って、これからは経営をしていかなければ危ない」。お人好しの日本人経営者が耳を傾けるべきメッセージ。

横領、内部不正、機密情報持ち出し、なりすまし、ハッキング…様々な犯罪行為が経営を脅かす現代を予見したかのような警告だ。日本マクドナルドを創業した藤田田の危機管理術を『殺されない社長の心得』(ベストセラーズ)より抜粋して紹介する。





■経営者は性悪説の立場に立て



 日本の経営者の考え方は、私にいわせると甘すぎる。



 日本の経営者たちは、日本の国は美しい、一国家一民族で仏教的発想をするから人間は悪いことはしないと考えている。だから、社員はかわいがってやれば、安月給でも恩義を感じて会社や経営者に忠誠を尽くすものだと信じている。



 そういった、お涙ちょうだい式な考え方をしていたのでは、これからは生き抜いてはいけない。はっきりいえば、これから性善説の立場を捨て、性悪説に立って会社を経営していかなければならないのである。



 文明が進歩してくると生活が豊かになる。テレビで最新の情報が入るし、ドラマや映画が自宅にいながらにして楽しめる。マイカーで好きなときに好きなところへ、好きなスピードでいくことができる。エアコンのおかげで酷暑の夏も避暑地へいくことなく快適にすごせる。



 そういった豊かな生活は、確かに文明の恩恵である。

しかし、文明は恩恵だけをもたらすものではない。文明を利用した高度に発達した犯罪をも、同時にもたらすものなのである。





■部下さえも信用できない時代がきた



 かつて、自動車や航空機を犯罪に用いることは想像もできなかった。ところが、今日では、航空機乗っ取り事件などという犯罪がおこなわれる。



 航空機のない時代には、一度に数十人の人間を小さなところに閉じ込めて脅迫し、犯人が目的を達するような犯罪は不可能だった。文明が航空機を生みだしたから、ハイジャックという犯罪がおこなわれ、一度に数百人の人命が失われたり、失われそうになったりという危険にさらされることになった。



 コンピューターを利用した犯罪も、これからいろいろなものがでてくることが考えられる。コンピューターを使った初歩の犯罪でも、伊藤素子の事件があり、女子行員のちょっとした操作で5億円もの大金が横領できることが証明されている。



 これからは、もっと複雑な操作で、もっと高額のものを横領する、国際的規模の犯罪があらわれる可能性がある。



 日本人特有の性善説の立場に立ってのんきにかまえていたのでは、ひとたまりもない。人間は文明の恩恵だけに目を向けがちで、文明を利用した犯罪というと実感がわかないものだが、これからは進歩した文明を利用した大がかりな犯罪に備えなければならない時代なのである。



 古典的なコソ泥、スリ程度の犯罪がおこなわれているうちは、取り締まりもそれを検挙すればことはたりていた。

性善説をとり、コソ泥やスリを改心させれば、同一人物によるつぎの犯罪も予防できた。



 しかし、インド航空機の爆破事件に見るように、瞬時にして数百人を殺すような犯罪には性善説は通用しない。インド航空機に爆弾が積み込まれたのは、カナダのトロントの空港の手荷物検査がゆるやかだったためである。性善説が1個の爆発物を入れた荷物を見逃したから、数百人の人命を失う犯罪がおこなわれたのだ。



 コンピューター犯罪は、現在でこそ、まだ大きな問題にはなっていないが、将来は、大規模な犯罪が頻発することが考えられる。しかも、コンピューター犯罪の最大の特徴は、普通の人間では、ソフトウェアがわからないから、手のほどこしようがないということである。



 5、6人で日本的経営をやっていくうちはいい。組織が巨大になり、目の届かない社員がふえてくるとそうはいかなくなる。



 だから経営者も、目撃者がおらず絶対安全であればかならず泥棒をするという社員をかかえているという前提に立って、これからは経営をしていかなければ危ない。文明の利器を活用した大規模犯罪を予防できない。



 過去の犯罪はいずれも小規模であった。犯人グループもせいぜい数人という程度だった。

しかしこれからは、犯罪をビジネスにする者が出現してくる。体が頑健で頭脳も優秀という人間が、合法の仮面をかぶり、国際的な規模でグループを組んで犯罪ビジネスに乗りだしてくる。



 これに対処するには性悪説に立って冷静な状況分析をおこなうしかない。





■コンピューターの便利さの裏のマイナス面



 日本人は、世界にもその例を見ない九九を駆使する暗算が得意な民族だった。計算がはやい。



 そして、コンピューターのない時代の算盤は、これ以上はない、最高の計算機だった。



 九九と算盤。このふたつがあったからこそ、日本人は世界でもっとも暗算がはやくて正確だと賞讃されたものである。



 最近はポケット計算機が普及して、買い物などの釣り銭の計算も瞬時にできるようになった。頭を使って暗算をする必要がなくなってきた。



 そのために、日本人もしだいに暗算が不得手になりつつある。計算はすべてコンピューターまかせの時代になってきた。

つまり、機械万能主義になりつつある。計算は確実になってきたが、反面、これは危険な傾向でもある。機械に頼りすぎることで、人間同士の信頼感が失われるからである。



 私にいわせるなら、コンピューターは高速道路のようなものである。高速道路の建設が計画されると、騒音が発生し、環境が破壊されるという理由で反対を唱える人があらわれたり、用地買収をめぐってトラブルが発生したりで、建設は難航する。



 ところが、完成して非常に便利だということがわかると、反対していた人も積極的に利用するようになる。わざわざ、信号ストップや渋滞で時間がかかる一般道路を利用する者はいなくなる。同様に、コンピューターも使いはじめると使わないわけにはいかなくなる。それほど便利なのだ。だからといって、あまりコンピューターに頼りすぎると、人間関係がぎくしゃくするといった悪い面がでてくるのも事実である。





■西欧化が人との付き合い方を変える



 私が子供の頃は、生徒が学校の先生をなぐるようなことは、信じられないことだった。



 なぐる生徒のほうにも、なぐられる先生のほうにもそれぞれの理由はあるはずだが、これが文明の進歩なのである。

文明の進歩は先生が万能ではないことを証明した。



 生徒から、先生は平凡な安月給取りではないかといわれれば、それまでなのだ。



 そういった時代に、親孝行をしろ、先生を尊敬しろという思想を一方的に押しつけても、子供はそれを受け入れてはくれない。



 コンピューターが発達し、なんでもコンピューターに依存するようになると、親と子の人間関係、先生と生徒の信頼関係もくずれかねないのである。



 文明が進歩すると、今日の1日8時間労働という原則も変わることが考えられる。1日8時間労働では十分な成果が得られないからである。1日20時間分の労働が当たり前になるかもしれない。それほど、企業間の競争は激化することが予測される。



 だから、これからの魅力的な人間というのは、自分の能力が10とすると、パソコンなどを駆使して、能力を10倍アップして、100の力で働くことができる人間である。



 こうしてコンピューターへの依存度が高まると、ますます人間関係は薄らいでいく。



 そういった時代には、アメリカ人がやっているような、家族単位の付き合いが必要になってくる。



 家族は夫婦につぐ小さな単位である。

グループ同士の付き合いは、グループが大きくなるほどむずかしい。人間自体が多様化すれば、趣味も利害関係も多様化してくる。だから、小さくても家族単位での付き合いが一般化していくものと考えられる。



 はじめに、これからは性悪説をとれといったが、人間全部を悪人であると考えると自分も悪人だということになってしまう。そうすると、自分だけは人のものを盗まないといってみても、一般には通用しない。そうなると、それが通用する者だけが集まろうとする。あるグループとだけなら性善説で付き合える、という同士だけが集まろうとする。そういったことからも、アメリカ人のおこなっている家族単位の付き合いが、これからは必要になってくる。





■「金の切れ目が縁の切れ目」は契約社会の本質だ



 家族単位の付き合いを含め、世の中は西欧化している。



 日常生活も、布団がベッドになり、トイレもウェスタンスタイルになり、朝食がパンとコーヒーになりつつある。



 西欧化というのは、交通機関が便利になり、カゴが自動車になるということだけではない。



 ビジネスの世界でも、これまでは以心伝心でことが運ばれていた。改まった契約などは必要なかった。しかし、これからは、契約ということがうるさくいわれるようになってくる。契約社会になってくる。それも西欧化である。



 もちろん、西欧化が進んだからといって、意識まで短期間に西欧的な意識になるとは考えられない。



 日本人としての意識は、一夜でアメリカ人の意識に変わるものではない。



 かつては、夜中まで働く社員が上司から働き者として評価された。しかし、西欧化が進むと使われている側もシビアになり、安い超勤手当てで働くよりも休息を選ぶようになるかもしれない。



 働かせるかわりに高い給料を払うという姿勢が経営者にも要求される。「うちの会社は世の中のためになることをしているのだから、安い月給で辛抱してくれ」というこれまでの理論では通用しない。



 昔は、芸者は金の切れ目が縁の切れ目だといわれたものである。最近では芸者でなくても、金の切れ目が縁の切れ目と心得ている者が多い。



 これから西欧化が進むと、もっとひどい状態になるかもしれない。



文:藤田田





《『殺されない社長の心得』より構成》

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