ジャンキーな食欲が、1億総貧困の時代と接続する。「映画ちいか...の画像はこちら >>



 『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を、大人一人で観に行ってきた。レイトショーを選んだので客席に子どもはいなかったが、子どもたちのリアクションを聞くのもよかっただろうと思いを馳せる。



 『ちいかわ』という作品自体は、「キャラクターがかわいいのに、設定がシュールで残酷」といういかにもインターネット上でウケそうなコンセプトに、流行当初は食わず嫌いをしていた。しかしここまでの大作が出来上がってしまえば無視するわけにはいかない。この映画は、2026年の子どもたちにとって一生残る思い出である。果たして、名作であった。



 X上で無料公開されている原作漫画(ところどころ削除済み?)を事前に読んでから観に行ったが、映画はさすがの迫力。敵キャラ「セイレーン」のバケモノさ加減に圧倒された。メインキャラの半数とモブキャラの全員が言葉を話さない(キャラクター同士は意思疎通できる)という設定上で繰り広げられる、セリフなき心理ドラマの表現にも引き込まれた。



 『ちいかわ』は、ひたすら酒を飲む「くりまんじゅう」というメインキャラが示す通り、そもそも子ども向けには作られていない。しかし、こうして夏休みの子ども向け映画となった意義は十分にあると言える。「子ども向けに見せかけて大人向け」というわかりやすいスカしを越え、この作品には、子どもたちが人生の最初期に触れておくべき容赦のなさがある。良質な情操教育として、親御さんはぜひ我が子を映画館に連れて行ってほしい。



 本稿では、映画のネタバレに当たるストーリーには触れない。

そのかわり、ここまで『ちいかわ』が日本を席巻している理由を、原作全体を貫く演出面から考えてみたい。



 『ちいかわ』は正直に言って、日本人以外にウケるかどうか微妙な作品である。もっと言えば、過去や未来の日本人にウケるかどうかも怪しい。なぜならば、今回の映画の中ならしるこサンド、原作漫画には二郎系ラーメン、チャルメラならぬ「チャリメラ」、オフィスグリコなど、現代日本に実在する食文化がこれでもかと登場するからだ。



 こんな世界観は本来、現実の日本の文明が背景に存在していないと成立し得ない。しかし『ちいかわ』世界の食べ物は、「湧きドコロ」からぽこぽこ湧いてくるという、都合の良い設定になっている。



 固有名詞のつく食べ物以外にも、今回の映画で言えば焼きそばやカツカレーなどガッツリ系の料理、パフェなどのスイーツも、原作を通して頻繁に登場する。漫画では食べ物の寄りで一コマを使ったり、こだわりの美味しい食べ方を懇切丁寧に描いていたりする。読んでいるだけで非常に食欲をそそるのだ。



 おかげで今回の映画とセブン-イレブンのコラボでは、作品中に登場する料理がそのまま商品になっている。映画を観てカレーやラーメンを食べたくなり、その帰りに本物を買って帰れるという贅沢さだ。



 この過剰な“食”の演出が、経済の悪化に伴い、エンゲル係数がうなぎ上りしている現代日本の読者にダイレクトに刺さっているのではないか。



 『ちいかわ』の“食”は決して美食ではない。非常にジャンキーである。現実に目を転じると、最近ではミスタードーナツのもっちゅりんや、セブン-イレブンのスムージー半額キャンペーンといった、安価かつイベント性のある“食”に人々が飛びつき、長蛇の列を作った。この“食”へのジャンキーな欲求を、『ちいかわ』もまた掻き立てつつ満たしているのではないだろうか。



 『ちいかわ』世界の“食”の表現はおそらく、原作者のナガノ氏の私生活と密接に結び付いている。同氏のエッセイ的漫画『くまのむちゃうま日記』を見れば自明である。そもそも『ちいかわ』は、ナガノ氏の「こんな姿になって暮らしたい」という思いから生まれたという。『ちいかわ』の“食”にもまた、現代日本に生きるナガノ氏の等身大の欲求が反映され、大衆の欲求と響き合っているのだろう。



 『ちいかわ』の世界では、食べ物は「湧きドコロ」から採れるので、キャラクターたちは働かなくても生きていける。しかし、二郎系ラーメンは自生せず店でしか食べられない。この世界にも貨幣経済があるのだ。



 お金を稼ぐ手段としては、日雇い労働が存在する。

資格試験もある「草むしり」や、“でかつよ”というバケモノの「討伐」など、過酷な肉体労働ばかりだ。メインキャラクターたちは日々、「草むしり」=植物学の勉強や、「討伐」の訓練に励んでいる。“でかつよ”はちいかわ族を捕食するため、「討伐」には命の危険が伴う。そこは決してユートピアではない。『ちいかわ』が子ども向けではないとされる所以の一つである。



 “健康で文化的な最低限度の生活”は保障されつつ、勉強と試験があり、労働があり、命の危険がある。読者のユートピアへの欲求は満たしつつ、不景気の長引く現代日本との乖離も起こさない、奇跡的なバランス感覚の設定である。



 どんなにかわいくのどかに過ごしていようとも、『ちいかわ』のキャラクターたちは、読者が現実的に直面している生活の課題から免れていない。そしてちいかわ族は小さく、弱い。人間ならば誰でも手のひらに乗せて握り潰せるサイズである。ちいかわ族は、現代日本人よりも恵まれているということがなく、人間に勝てない。これが読者の心理的安全性を担保している。



 おかげで読者は、ちいかわ族を安全圏から見守ることもできるし、己の境遇をちいかわ族に置き換えることもできる。主人公格の「ちいかわ」「ハチワレ」「うさぎ」らは、少年漫画のような無邪気な善性を持っている。不条理な現実に直面しながらも、分を弁えて前向きに生きる“善良な市民”の体現者だろう。対照的に、労働をせず奪取によって生きるフリーライダー「モモンガ」が、作品に幅を与えている。読者は各々の倫理観によって、「モモンガ」を嫌うこともできるし、己の秘めた欲望を託すこともできる。いずれにしても、目の前の圧倒的な現実をうんと縮小した、手のひらサイズの世界で起こっていることとして。



 思えば、平成のゆるキャラブームが過ぎ去った。ゆるキャラの最適サイズは着ぐるみか、小さくともせいぜいぬいぐるみ程度だった。『ちいかわ』のキャラクターデザインは、着ぐるみにするとやや間延びする。昨今大流行中の、指先サイズの「めじるしアクセサリー」や「ボンボンドロップシール」ならばちょうどいい(いずれも『映画ちいかわ』の入場者特典だ。さすがである)。令和の日本人の自我は貧困によってどこまでも矮小化され、指先でちょこまかと奮闘する極小サイズの“かわいい”にまで収縮している。



 ナガノ氏が己の欲望を突き詰めた結果、現代日本の時代性と接続したのだろう。同氏は、令和を代表する天才と言える。



 ちいかわ族という令和の日本人の精神性が、海からやってきたバケモノ「セイレーン」と、どのような対決を繰り広げるのか。ぜひ2026年夏の日本を、劇場へ目撃しに行ってほしい。



文:BEST T!MES編集部

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